自動車電話

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高級自動車レクサスに搭載されている自動車電話(1989年)

自動車電話(じどうしゃでんわ)とは、自動車搭載の電話機による移動体通信である。受話器と機械部が分離された通信機器で、陸上の基地局公衆交換電話網と相互接続されるシステムで、のちに開発・普及する携帯電話システムの元となった。

NTTドコモau(旧日本移動通信)が展開していたPDC方式(第二世代携帯電話)の自動車電話は「デジタルカーホン」の製品名となっている。移動中でも高品質で安定した通信が可能な第三世代携帯電話の進展に伴い、2002年以降新規展開を大幅に縮小しており、日本では第二世代携帯電話と共にサービス事業を終了した。

日本では、携帯電話などと共に1999年11月から運転しながらの通話が道路交通法により禁止(2004年11月から無条件・罰則対象)されたため、運転者は停車中だけしか使ってはならない(ハンズフリー使用等は地方自治体の定めた禁止条例のない地域のみ対象外)。運転中に通話・操作を行うことは非常に危険であるとされている。

初めての自動車電話[編集]

初めての、公衆交換電話網と接続された自動車対象の移動無線電話システムは、1946年アメリカミズーリ州セントルイスでの、サウスウエスタン・ベル電話会社による手動式自動車電話だといわれている。

これは、トランシーバーと同じく同時通話の出来ない単信式であり、半径20 - 30km前後の非常に広い範囲を一つの基地局でカバーした大ゾーン方式で、通信を途切れさせること無く基地局変更するハンドオーバー機能が無かった。また、150MHz帯に60kHz間隔で6chの割り当てしかなく同時通話可能数が少なかった。

1961年に400MHz帯が割り当てられて同時通話可能数が増え、1963年に自動交換式のサービスが開始された。

世界の自動車電話[編集]

カナダ1947年に手動交換式のサービスが開始された。

ドイツ(旧西ドイツ)で1950年に手動交換式のサービスが開始された。

スウェーデン1951年に手動交換式のサービスが開始された。

イギリス1959年に手動交換式のサービスが開始された。

フランス1969年に手動交換式のサービスが開始された。

日本の自動車電話[編集]

日本では民生用以前から、警察消防防災行政業務用に「移動警察電話」「移動消防電話」「防災行政無線電話」のシステムが存在した。多くは本部長・部長など幹部職員が本部や関係機関と連絡を取る為の専用回線として使用されていた。これらは、複信方式の無線機を単に有線網に接続しただけであり、日本において現在の携帯電話に続いていく方式は後述のNTT方式となる。

民生用としてサービスインしてからは、自動車(乗用車)内で連絡を取る必要性が高いビジネスマンや新聞記者、政治家・官僚らが使うハイヤー社用車個人タクシーの連絡用途に設置されることが多かった。希にタクシーで乗客が使用できる通話料金度数制の自動車電話が設置されている事もあるが、2000年代前半以降はかなり稀少になった。

1980年代に規制緩和に伴う新規事業者参入により、競争が発生し料金が低下し、土木建築現場やイベント会場などの遠隔地での通信手段確保の用途に広がり、現在の携帯電話の下地を作った。携帯電話の技術進展により、自動車電話と遜色なく通話等利用できるものになったため、規模は10万契約を割っている。

2000年代では携帯電話が大きく成長したことで自動車電話を取り巻く状況は大きく変化し、2000年代後期になると新規顧客や利用者がほぼいない状態となり[1]、機器も通話や旧世代のデータ通信 (9600bps) ・ショートメールしか扱えないシンプルなタイプは過去の物となりつつあった。また、複合機器では日産のカーウイングスのように既存の携帯電話と車載情報端末(カーナビゲーション)を接続したり、車載情報端末が携帯電話の通信モジュールを備えたものなど様々な形態によってテレマティクスが展開されており、DCMG-BOOKサービスで音声通話を含めた無線通信をおこなうための車載型無線電話機)の様な形態になって今後も発展して行くと考えられている。

NTT[編集]

電電公社の初期の自動車電話機。MT-800M形1号。1978年製造。逓信総合博物館所蔵。

アナログ携帯電話の系譜につながる自動車電話システムの研究は、旧日本電信電話公社(現NTTドコモ)研究所無線課の岩井文彦、森永隆廣らによって1955年頃から始められた。1966年には、全自動交換方式、ハンドオーバー可能な本格的な自動車電話方式の開発に着手した。1967年には、全自動交換方式、16無線チャネルを使ってのハンドオーバーを可能とした世界初の本格的な民間用自動車電話として開発を完了したが、当時使用可能であった400MHz帯では帯域が狭く加入者容量が十分でないとの判断で、民間用としてはサービスが見送られる事となり、1974年に都市災害対策用無線電話(TZ-41型)として運用が開始された。その後、より広い帯域を確保するために800MHz帯が開発され、民間用としては世界で初めて1979年12月3日に本格的な自動車電話サービスが開始された。

収容可能移動局を増やすため、一つの基地局あたりのカバー範囲を半径数km程度にする電波の利用効率の良い小ゾーン方式とし、帯域の広い800MHz帯を使用し、ハンドオーバーを可能にしたものである。

当時機器類はすべて電電公社からのレンタル品であり、保証金20万円のほか、月額基本料3万円、通話料が6秒で10円と、非常に高額であった。このため、当初は大手企業の社長など経営幹部の社用車に設置され、後部座席に座る幹部と本社の緊急ビジネス連絡用に使用された。

自動車電話は自動車のバッテリーから電装品として給電されるが、その電源を電話機に搭載し可搬式としたものがショルダーホンである。1980年代に登場した携帯電話の原型となる受話器型の機種は大振りであり、1991年に超小型機種シリーズの「mova」が登場する以前の移動体通信は、ショルダーホン・自動車電話およびポケットベルが主流の時代であった。

1993年にPDC方式の「デジタルmova」の登場により自動車電話も「デジタルカーホン」シリーズとなる。2002年7月にNTTドコモの当時社長であった立川敬二が不採算となっている自動車電話サービスを終了することを示唆したが、機種の販売を継続してきた。

しかし、2008年11月末にmovaサービスともども自動車電話も新規申込みを終了。2009年1月にやはりmovaともどもサービス自体を2011年度いっぱいで終わらせることが発表された。2009年7月31日には自動車電話などの新規レンタル申し込みも終了し[2]、予定通り2012年3月31日にサービスを終了した。

au(旧DDIセルラー・IDO)[編集]

1985年の電電公社の民営化などの通信自由化政策が行われ、1988年以降、新規参入第一陣として、旧IDODDIセルラーグループ(現au)が自動車電話事業を開始した。

アナログ方式、デジタル方式の自動車電話を出してきたが1999年にカーフォンLite M101HA(DDIセルラーグループ) C005NAS(IDO)を出した後は発売していない。auも現在[いつ?]はドコモ同様に第三世代携帯電話に事業の軸足を移しており、自動車電話サービスについてはテレマティクス型へと移行しつつある。

コンビニエンス・ラジオ・ホン[編集]

コンビニエンス・ラジオ・ホン (CRP : Convenience Radio Phone) は、法規上の名称を簡易陸上移動無線電話通信といい、 800MHz帯を利用した大ゾーン方式でハンドオーバー機能が無い、公衆交換電話網と相互接続される自動車向け移動体通信である。ゾーン内の同時通話数の少ない地域向けに、基地局・移動局のコストを抑え、安価な移動体通信を早期に普及させる目的で開発された。

通話時間が1回3分に制限される、携帯端末も存在したが小型化が進まなかったなど、使い勝手の悪い部分があった。

1988年より、各社がサービスを開始したが、PHS携帯電話の低価格化による競争の激化で、経営不振に陥り、携帯電話会社に営業譲渡(譲受側も廃止を前提としていた)してサービスを停止した。

  • 1995年6月
    • 山口ニューメディアセンター(山口)→NTTドコモ中国
  • 1997年7月1日
    • 釧路テレコム(北海道)→NTTドコモ北海道
    • 十勝テレホンネットワーク(北海道)→北海道セルラー電話(現KDDI)(会社は不動産賃貸業者に業態変更後、2011年9月20日破産
    • テレコム青森(青森)→NTTドコモ東北
    • テレコム八戸(青森)→東北セルラー電話(現KDDI)(会社自体はコミュニティFM局に業態変更して現存しビーエフエムとなる)
    • 長岡移動電話システム(新潟)→NTTドコモ(会社自体はコミュニティFM局に業態変更して現存(通称FMながおか。ただし商号は維持))
    • テレネット遠州(静岡)→日本移動通信(現KDDI)

略歴[編集]

以降は日本における携帯電話を参照。

脚注[編集]

関連項目[編集]