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現役時代は[[ボタフォゴFC (サンパウロ州)|ボタフォゴFC]]など、国内リーグでのプレーが中心だったが、[[セリエA (サッカー)|セリエA]]の[[ACFフィオレンティーナ|フィオレンティーナ]]に所属したこともある。引退後もボタフォゴFCとの関りは深く、[[ゼネラルマネージャー|GM]]・監督から下部組織のコーチまで、様々な役職を務めた。 |
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アントニーニョが日本でコーチをするようになったのは、息子のヘジスの様子を見にきたことがきっかけである。ヘジスは当時、[[ジャパンフットボールリーグ|旧JFL]]の[[柏レイソル]]に所属していたが、そのころの柏にはGKコーチが居らず、現役時代にGKだったアントニーニョが練習を手伝うようになった。その後、[[1994年]]に正式にGKコーチに就任し、その年のJリーグ昇格に貢献した。 1995年2nd ステージでは、最下位の成績で監督を解任された[[ジョゼ・セルジオ・プレスティ|ゼ・セルジオ]]の後任として監督に就任し、1stステージ最下位だった柏を建て直しセカンドステージは、5位に導いた。柏には1996年まで在籍し、1995年のNICOSシリーズでは監督を、1996年には総監督を務めた。 |
アントニーニョが日本でコーチをするようになったのは、息子のヘジスの様子を見にきたことがきっかけである。ヘジスは当時、[[ジャパンフットボールリーグ|旧JFL]]の[[柏レイソル]]に所属していたが、そのころの柏にはGKコーチが居らず、現役時代にGKだったアントニーニョが練習を手伝うようになった。その後、[[1994年]]に正式にGKコーチに就任し、その年のJリーグ昇格に貢献した。 1995年2nd ステージでは、最下位の成績で監督を解任された[[ジョゼ・セルジオ・プレスティ|ゼ・セルジオ]]の後任として監督に就任し、1stステージ最下位だった柏を建て直しセカンドステージは、5位に導いた。柏には1996年まで在籍し、1995年のNICOSシリーズでは監督を、1996年には総監督を務めた。 |
2023年5月28日 (日) 13:29時点における最新版
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名前 | ||||||
本名 |
ベネディクト・アントニオ・アンジェリ Benedicto Antonio Angeli | |||||
ラテン文字 | ANTONINHO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1939年2月10日 | |||||
出身地 | サンパウロ州 | |||||
没年月日 | 2021年6月3日(82歳没) | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アントニーニョ(ポルトガル語: Antoninho)ことベネディクト・アントニオ・アンジェリ(ポルトガル語: Benedicto Antonio Angeli, 1939年2月10日 - 2021年6月3日)は、ブラジル・サンパウロ州出身のサッカー選手、サッカー指導者。
来歴[編集]
現役時代はボタフォゴFCなど、国内リーグでのプレーが中心だったが、セリエAのフィオレンティーナに所属したこともある。引退後もボタフォゴFCとの関りは深く、GM・監督から下部組織のコーチまで、様々な役職を務めた。
アントニーニョが日本でコーチをするようになったのは、息子のヘジスの様子を見にきたことがきっかけである。ヘジスは当時、旧JFLの柏レイソルに所属していたが、そのころの柏にはGKコーチが居らず、現役時代にGKだったアントニーニョが練習を手伝うようになった。その後、1994年に正式にGKコーチに就任し、その年のJリーグ昇格に貢献した。 1995年2nd ステージでは、最下位の成績で監督を解任されたゼ・セルジオの後任として監督に就任し、1stステージ最下位だった柏を建て直しセカンドステージは、5位に導いた。柏には1996年まで在籍し、1995年のNICOSシリーズでは監督を、1996年には総監督を務めた。
2002年にボタフォゴFCのGMを辞任してからはフリーだったが、2004年、清水エスパルス監督として9年ぶりにJリーグの現場に復帰したが、同シーズンの開幕から不振が続き、1stステージ終了後に辞任した。
2021年6月3日に死去した[1]。
選手歴[編集]
- パルメイラスユース 1956-1957
- ボタフォゴFC 1958-1959
- ACFフィオレンティーナ 1959-1962
- ボタフォゴFC 1962-1968
- アメリカFC 1969
- コメルシアウFC 1970
- セルトンジーニョFC 1971-1972
指導歴[編集]
- ボタフォゴFCジュニアチームコーチ 1977
- ボタフォゴFCコーチ 1978-1981
- アメリカFC (サンパウロ) 1982
- ウベラバFC 1983
- コメルシアルFC 1984
- フランカーナFC 1985-1986
- インダイアトーバEC 1987
- ECピラスヌンゲンシ 1988
- センタオンジーニョFC 1989-1991
- ボタフォゴFCユース 1992-1993
- 柏レイソルGKコーチ 1994-1995
- 柏レイソル 1995.7月-12月
- 柏レイソル総監督 1996
- ボタフォゴFC 1997
- ピラスヌンガFC 1998
- ボタフォゴFCコーチ 1999-2000
- ボタフォゴFC・GM 2001-2002
- 清水エスパルス 2004
タイトル[編集]
選手時代[編集]
- ACFフィオレンティーナ
- コッパ・イタリア:1回(1960-61)
- UEFAカップウィナーズカップ:1回(1960-61)
脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- アントニーニョ - Soccerway.com (英語)
- アントニーニョ - FootballDatabase.eu (英語)
- アントニーニョ - WorldFootball.net (英語)
- アントニーニョ - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- アントニーニョ - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語)
- アントニーニョ - J.League Data Siteによる監督データ