清河寺 (大字)
■清河寺 | |
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臨済宗清河寺 | |
北緯35度56分11.3秒 東経139度34分58.98秒 / 北緯35.936472度 東経139.5830500度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市 |
区 | 西区 |
地域 | 旧大宮市域 |
人口 | |
• 合計 | 3,146人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
331-0048[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
座標は大龍山清河寺の位置 |
清河寺(せいがんじ)は、埼玉県さいたま市西区の大字。郵便番号は331-0048[2]。さいたま市の難読地名の一つに数えられる[4]。
地理
[編集]さいたま市西区北東部のおおむね大宮台地上に位置する。西の境界は滝沼川が流れて周囲を開析された沖積平野がみられる。東側で大字内野本郷に、南側で宮前町や大字内野本郷の飛地に、西側で西大宮や大字高木に、北側で上尾市大字堤崎やさいたま市西区西新井に隣接する。荒川の河川敷内である川越市と西区との市境付近に、入会地由来の飛地が二か所存在する。地内は全域が市街化調整区域であり[5]、全体的には農地が多い。
かつてはさいたま市消防局西消防署やさいたま市立指扇中学校も清河寺に位置していたが、土地区画整理事業の完了に伴う町名地番変更により所在地が西大宮となり、清河寺から外れている。
歴史
[編集]もとは武蔵国足立郡指扇領に属する清河寺村であった[6]。古くは水判土荘内野郷に属していたといわれている[7]。近世初頭に内野郷より分村された[6]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では255石(田138石余、畑116石余、山銭永390文)、『元禄郷帳』では259石余、『天保郷帳』では297石余であった[7]。助郷は中山道上尾宿に出役していたが、正徳・安永年間は日光御成街道大門宿にも出役していた。化政期の戸数は37軒で、村の規模は東西8町、南北19町であった[7]。地内にある寺院の清河寺には、1590年(天正18年)に寺領5石が寄進されていた[7]。名前は清河寺周囲の小名をそのまま村名とした[6]。
- 1590年(天正18年)の知行は旗本三宅氏、1596年(慶長元年)より幕府領[7] となる。
- 1623年(元和9年)より知行は旗本山内氏、1689年(元禄2年)より幕府領、1702年(元禄15年)より知行は旗本小川氏[7]。
- 1828年(文政11年)より、上尾宿寄場64か村組合に所属していた[7]。
- 幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、小川源之進の知行、および清河寺領[8]。
- 1869年(明治2年)12月2日:旗本領が上知され、浦和県の管轄となる(府藩県三治制も参照)。
- 1871年(明治4年)11月13日:第1次府県統合により、埼玉県の管轄となる。
- 1873年(明治6年):清河寺の境内を仮用して、清河学校(現・さいたま市立指扇小学校)が開設される[7][9]。なお、文化年間より寺子屋が開設されていた。
- 1879年(明治12年)3月17日:郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日:町村制施行に伴い、指扇村・宝来村・峯岸村・内野本郷村・西新井村・中釘村・清河寺村・高木村・指扇領辻村・指扇領別所村が合併し、指扇村が発足。指扇村の大字清河寺となる[7]。
- 1950年(昭和25年):地内に指扇村立指扇中学校(現・さいたま市立指扇中学校)が移転する。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 指扇村・馬宮村・植水村・片柳村・七里村・春岡村が大宮市へ編入合併され[10]、同市の大字となる。
- 1969年(昭和44年)12月23日 - 地内にせいか幼稚園が開園する[11][13]。
- 1987年(昭和62年)10月:地内に指扇分署(現・さいたま市消防局西消防署)が設置される。
- 1996年(平成8年)3月29日:一部を事業区域に含む大宮西部特定土地区画整理事業の都市計画決定が告示される[14]。
- 1998年(平成10年)11月12日:大宮西部特定土地区画整理事業の事業計画決定が告示される[14]。
- 2001年(平成13年)5月1日:浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。同市の大字となる。
- 2003年(平成15年)4月1日:さいたま市が政令指定都市に移行し、同市西区の大字となる。
- 2017年(平成29年)11月18日:大宮西部特定土地区画整理事業の換地処分が前日に行われた[14] ことに伴い、事業区域とその周辺で町名地番変更が行われ[15]、大字指扇・大字清河寺・大字高木・大字中釘の各一部から西大宮一丁目 - 四丁目が成立[16][17]。また、一部が宮前町に編入される[17]。これにより、西消防署やさいたま市立指扇中学校などが大字清河寺から外れる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は、以下のとおりである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大字清河寺 | 1,340世帯 | 3,146人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下のとおりとなる[18]。
区域 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | さいたま市立指扇北小学校 | さいたま市立指扇中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]- 国道16号(西大宮バイパス)
- 国道17号(上尾道路) - 清河寺北部や歩道橋の「清河寺きよらか橋」付近でかすめる
- 埼玉県道216号上野さいたま線
- 埼玉県道165号大谷本郷さいたま線
バス
[編集]高崎線宮原駅西口方面や大宮駅西口方面からの路線バスが運行されている。さいたま市西区コミュニティバスは清河寺方面へ運行されないが、さいたま市西区指扇地区乗合タクシー「あじさい号」が運行されている。
- 東武バスウエスト大宮営業事務所
- 地区内は「清河寺中央」、「清河寺」、「中原」、「公民館」停留所が設置されている[19]。
- 東武バスウエスト上尾営業所
- 地区内は「清河寺」停留所が設置されている[20]。
- さいたま市西区指扇地区乗合タクシー「あじさい号」
- 地区内は「清河寺」、「清河寺温泉」、「中原」、「清河寺団地入口」停留所が設置されている[21]。
施設
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ “さいたま来ぶらり通信 第20号” (PDF). さいたま市役所. pp. 1-2 (2012年11月15日). 2019年7月22日閲覧。
- ^ 外部リンク節の『さいたま市地図情報』を参照。
- ^ a b c 新編武蔵風土記稿 清河寺村.
- ^ a b c d e f g h i 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 508ページ。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ 学校の沿革 - さいたま市立指扇小学校.2019年10月1日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420ページ。
- ^ 『大宮のむかしといま』 資料-29頁。
- ^ 幼稚園概要 - せいか幼稚園.2019年7月22日閲覧。
- ^ 厳密にはこれは施設認可の日付で、実際の開園日は翌年の4月1日[12]。
- ^ a b c さいたま市土地区画整理事業一覧表 (PDF) - さいたま市
- ^ “さいたま市/西区 大宮西部地区の町名地番変更について”. www.city.saitama.jp. 2020年9月3日閲覧。
- ^ 大宮西部地区 旧新地番対照表(区画整理地区内) (PDF) - さいたま市
- ^ a b 大宮西部地区 旧新地番対照表(区画整理地区外) (PDF) - さいたま市
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ 大宮営業事務所管内バス路線図 (PDF) - 東武バス.2019年9月30日閲覧。
- ^ 上尾営業所管内バス路線図 (PDF) - 東武バス.2019年9月30日閲覧。
- ^ “西区指扇地区乗合タクシー「あじさい号」の運行ルートを変更します”. さいたま市 (2019年3月4日). 2019年9月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 『大宮のむかしといま』大宮市、1980年11月3日。全国書誌番号:81007009、NCID BN03449939。
- 「差扇領 清河寺村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ152足立郡ノ18、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764000/35。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- さいたま市地図情報 - さいたま市
- 西区ガイドマップ - さいたま市
- さいたま市西区文化財ガイドブック - さいたま市