武田麟太郎

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武田麟太郎(1940年 - 1941年頃)

武田 麟太郎(たけだ りんたろう、1904年5月9日 - 1946年3月31日)は、日本小説家。代表作に、「日本三文オペラ」「井原西鶴」「銀座八丁」「一の酉」などがある。長男は詩人の武田文章(1933-1998)、次男は河出書房の編集者の武田穎介(1935-2001)。

経歴[編集]

大阪府大阪市南区日本橋筋東一丁目(現在の浪速区日本橋東一丁目)に、父左二郎・母すみゑの長男として生まる。公的な出生の届出では、5月15日生まれ。父は、のちに警察署長となる。

第三高等学校に学ぶ。三高在学中に土井逸雄清水真澄らと同人誌『真昼』を発行し、身辺観察的な短い文章を寄稿する。

その後、東京帝国大学文学部仏文科に進学し、同人誌『辻馬車』に加わる。やがて労働運動に共感を覚え中退、1929年に『文藝春秋』に「暴力」を発表しプロレタリア作家としての地位を築く。

その後のプロレタリア文学への弾圧を経て、転向。西鶴の浮世草子の作風に学んだ「市井事もの」を著し、時代の庶民風俗の中に新しいリアリズムを追求する独自の作風を確立した。1933年林房雄川端康成小林秀雄らと『文學界』を創刊、1936年には『人民文庫』を創刊し主宰したが発禁となり、莫大な借金を背負うことになる。

太平洋戦争中は陸軍報道班員としてジャワ島に滞在。1946年、肝硬変により神奈川県藤沢市の義妹宅で死去。戒名は鳳藻院慈覚法麟居士[1]。死因について吉行淳之介は、当時カストリ焼酎などの粗悪な密造酒が流行しており、それにはしばしばメチルアルコールが混入していて失明する者や命を落とす者が多く、武田の死因もメチル入りの酒を飲んだからだと述べている[2]

著書[編集]

  • 『反逆の呂律』改造社〈新鋭文学叢書〉 1930
  • 『暴力』天人社〈現代暴露文学選集〉 1930
  • 『脈打つ血行』内外社 1931
  • 『釜ケ崎 小説集』文座書林 1934
  • 『勘定』改造社〈文藝復興叢書〉 1934(「日本三文オペラ」を含む)
  • 『市井事』竹村書房 1935
  • 銀座八丁』改造社 1935 のち角川文庫、新潮文庫
  • 『好色の戒め 随筆集』文圃堂書店 1935
  • 『若い環境』竹村書房 1936
  • 『風速五十米』新潮社 1937(再版 民友社 1946)
  • 『山脈』玄海書房 1938
  • 『浅草寺界隈』新小説選集 春陽堂 1938
  • 『世間ばなし』相模書房 1938
  • 『市井談義』新選随筆感想叢書 金星堂 1939
  • 『大凶の籖』改造社 1939
  • 『宵待草』八紘社 1939(再版 隅田書房 1947)
  • 『浅草一代女』八紘社 1939
  • 『幾山河』大日本雄弁会講談社 1940
  • 『蚊帳』今日の問題社 1940
  • 『薄化粧』輝文館 1940
  • 『簪』新潮社 1940
  • 『小説作法』明石書房 1941
  • 『礎の人々』昭和書房 1941
  • 『雪の話』小山書店 1941
  • 『東京環状線』昭和書房 1941
  • 『美しい表情』長隆舎書店 1942
  • 『弥生さん』東京出版 1946
  • 『女の環境』飛鳥書店 1946
  • 『情婦』鎌倉文庫 1947
  • 『大都会』隅田書房 1947
  • 武田麟太郎全集』全14巻 六興出版部 1946-1948/復刻版・日本図書センター 2003
  • 『武田麟太郎全集』(全3巻)新潮社 1977
  • 『武田麟太郎 若い環境/文学的自叙伝』「作家の自伝」シリーズ・人間図書館 日本図書センター 2000
  • 『銀座八丁 日本三文オペラ』福武書店〈文芸選書〉 1983
  • 『日本三文オペラ 武田麟太郎作品選』講談社文芸文庫 2000

翻訳[編集]

  • 貧農組合 エフ・パンフェロフ 内外社 1931
  • 現代語訳国文学全集 第21巻 西鶴名作集 非凡閣 1938

参考文献[編集]

  • 浦西和彦児島千波編『武田麟太郎』(『人物書誌大系』21)、日外アソシエーツ、 1989年6月。
  • 大谷晃一『評伝武田麟太郎』、河出書房新社、1982年10月。

脚注[編集]

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  1. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)192頁
  2. ^ 吉行淳之介『定本・酒場の雑談』(集英社 1989年)、「スルメと焼酎」より。

外部リンク[編集]