桜井和市

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桜井 和市(さくらい わいち、1902年明治35年)7月11日 - 1986年昭和61年)1月12日[1])は、日本ドイツ語学者。長野県南佐久郡岸野村(現佐久市)生まれ。

旧制静岡高等学校教授、学習院大学文学部教授を経て、1970年から81年まで学校法人学習院院長[2]

略歴[編集]

人物[編集]

教え子であった三島由紀夫は恩師の桜井和市について、「雷名轟く」とても怖い先生で、「いつも血色よろしく、声量ゆたか、小兵の体軀にエネルギーが充満して」いて、生徒たちからは、「桜」の音をドイツ語読みにした「ザク」という「いかにも軍靴で砂利を踏みにじつてゆくやうな音感」の渾名で呼ばれていたと語っている[3]

かういふ怖い先生に怒鳴られつけてゐて、何かの加減でほめられた記憶といふものは忘れ難いもので、Das Mädchaen von Treppi といふ小説のテキストを[注釈 1]、いきなり与へられ、予習なしにいきなり読まされて、何とかその一節を訳してゆくと、「フム、フム」といふ合の手を入れて、苦笑ひみたいな笑ひ方をして、檻の中の猛獣みたいに教室の中を歩いてゐる先生の様子が、まづまづ御機嫌の態で、ほつとしたことがあつた。

桜井先生は教室で怖いばかりでなく、教室外でも学生課長で恐怖的であり、ちらつき出した雪の中を、頭から外套をかぶつて歩いてゐると、うしろからいきなり怒鳴られて、あわてて逃げたこともある。

— 三島由紀夫「ドイツ語の思ひ出」[3]

しかしその一面、膝を突き合わせて話すと、「妙に照れ性で、話題に乏しく、何とか軟らかい、非ドイツ語的な話題」を選んだのか、体を丈夫にする秘訣を教えられ、懐かしく思い出される先生だと述懐し[3]、「今になつて思ふと、苦しさ辛さの記憶はうすらいで、少くとも文法だけは、桜井式恐怖的指導法で詰め込まれるのが、一等ためになるのではないかといふ意見を、私は持つてゐる」と三島は述べている[3]

著書[編集]

単著[編集]

  • 独逸語話法の研究 大学書林 1934
  • ドイツ広文典 第三書房 1950.
  • 新ドイツ文典 三修社 1951.
  • NHKドイツ語入門 日本放送出版協会 1954.
  • ドイツ文法讀本 -- 改訂増補第3版 編著 南江堂 1956.5.
  • 独和重要語辞典 南江堂 1959.
  • 分詞・不定詞・話法 岩崎英二郎共著 白水社 1959. ドイツ語学文庫
  • 初学者のための独和必修語辞典 南江堂,1961.
  • たのしいドイツ語 会話・文法5週間 中島悠爾共著 開拓社,1969.

翻訳[編集]

  • エルンスト短篇集 三修社, 1939.10.
  • 幽霊部屋 パウル・エルンスト 弘文堂 1940.
  • 見霊者 シラー選集. 第1巻 富山房 1942.
  • ラオコオン 絵画と詩歌の限界について レッシング 生活社 1948
  • 令嬢エルゼ シュニツラー選集 第3巻 実業之日本社 1951 のち角川文庫 
  • 零八/一五 ハンス・キルスト 桜井正寅共訳 三笠書房 1955.
  • 愛の人びと ザツパー 三笠書房 1956 若草文庫
  • 初恋 ルイーゼ・リンゼル 南江堂 1957.
  • 金糸のヴェール アルベルタ・ロメル 三笠書房 1959.
  • 素朴文学と有情文学について 世界文学大系 シラー 筑摩書房 1959.
  • 涙の学芸会 アルベルタ・ロメル 三笠書房 1959 若草文庫
  • くるみわり人形 ホフマン 少年少女世界文学全集 講談社 1960
  • ドイツ語学概論 オトー・ベハーゲル 共訳 白水社,1972.

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ パウル・フォン・ハイゼの小説『高嶺の処女』

出典[編集]

  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、489頁。
  2. ^ 森山欽司 ─反骨のヒューマニスト─ 第二章 (PDF)”. 2013年8月17日閲覧。
  3. ^ a b c d 三島由紀夫「ドイツ語の思ひ出」(ドイツ語 1957年5月)。29巻 & 2003-04, pp. 521-526

参考[編集]