大島義脩
大島 義脩(おおしま よしなが、明治4年8月1日(1871年9月15日) - 昭和10年(1935年)7月1日)は日本の教育者。旧姓蘆田。宮中顧問官[1]。
経歴[編集]
明治4年(1871年)8月、丹波国氷上郡佐治村(現兵庫県丹波市)に豪農蘆田家の四男として生まれた[2]。
8歳で母の実家である大島家に養子に入り、司法官であった叔父、大島貞敏に養育された[2]。
明治27年(1894年)帝国大学文科大学哲学科を卒業[1]。
四高教授、東京音楽学校長、八高校長、女子学習院長、帝室博物館総長などを歴任。
栄典[編集]
- 位階
- 勲章
家族・親族[編集]
脚注[編集]
公職 | ||
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先代 高橋健自(→欠員) |
![]() 1930年 - 1932年 |
次代 杉栄三郎 課長事務取扱 |