杉本宏之

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すぎもと ひろゆき
杉本 宏之
生誕 (1977-06-25) 1977年6月25日
日本の旗 日本 神奈川県川崎市
職業 起業家

杉本 宏之(すぎもと ひろゆき、1977年6月25日 - )は、日本起業家。不動産の売買、賃貸、管理及び仲介、マンション開発等を事業としている株式会社シーラホールディングス(旧SYホールディングス)取締役会長。株式会社エスグラントコーポレーション元代表取締役社長。

人物・エピソード[編集]

1977年、茨城県守谷市生まれ。 4歳の頃に父親が経営する不動産会社が倒産。[1] その後、父親は不動産ブローカーとして働くがうまくいかず、風呂なしアパートへの引っ越しを何度も繰り返した。[2]

小学校時代は給食費の支払いに困るほどの貧乏生活であった。8歳の時に交通事故に遭い、半年ほど入院。リハビリをした甲斐もあり、足は動くようになったが、左足の指の神経は戻らず、現在も動かない。13歳で母親がガンに侵され急逝。[3]

高校は、奨学金制度を使って川崎総合科学高等学校 情報工学科卒業に進学。[2]

父親との刃傷ざたの大ゲンカをきっかけに、人生を真剣に考え始める。高校3年の後半から勉強を開始して大学に補欠合格。[2]高校卒業後は、大学には進学せず不動産関係の専門学校へ進学。1年目に宅建主任者資格を取得。[3]

1997年に投資用ワンルーム販売会社である株式会社東光マンションセンターに就職。営業マンは約100人強の会社で、入社し3年目にはトップセールスマンとなる。約5年の経験を積んだ後、知人から「出資するから独立しないか」と声をかけられ、[4]2001年12月に自ら起業し、株式会社エスグラントコーポレーションを設立。

株式会社エスグラントコーポレーション[編集]

  • 2001年12月 - 株式会社エスグラントコーポレーション設立。代表取締役社長就任。デザイナーズワンルームマンションに特化した不動産販売を展開。[5]
  • 設立当初 - 売上が低迷し給与はゼロ。また社員に対しても歩合給をいれることができなかった。書籍の中では「社員たちは会社の状態を知っても辞職せず、「ボーナスを返上したい」と。この時から会社が良い雰囲気に一変。」と語っている。[2]
  • 2002年10月 - 自社物件の販売を開始。[2]
  • 設立4年目の2005年12月 - 業界史上最短、最年少で株式上場を果たす。上場までの記録は、著書に綴っている。[3]
  • 上場後 - ワンルームマンション事業に加え、事業用不動産の売買、不動産ファンド等も手掛け、順調に売上高を伸ばしてきたが、2008年9月のリーマン・ショックの煽りを受け、2009年3月に民事再生法の適用を申請した。約400億円の負債を抱え、自己破産に追い込まれた。[6]
  • 民事再生から5年が経ち、2014年7月、8年ぶりにダイヤモンド社から著書を出版。[3]

株式会社シーラホールディングス[編集]

  • 2010年 - 株式会社シーラホールディングスを創業。エスグラントコーポレーション時代に交流があった同世代の起業家4人の協力により資金を調達。[5]
  • 2014年 - 増資
  • 2018年 - 不動産投資の“すごい”真実出版(2018年6月、幻冬舎)
  • 2019年 - グループ会社7社、売上高200億円を超えるまでに成長している。

経営方針[編集]

  • 保有物件・管理物件によりストック収益が主であり、都心の物件に絞りワンルームマンションの開発・販売・管理を行っている。[3][4]
  • リーマンショックを忘れないために、自身を含めたグループの役員に対しては16個の行動指針を定めている。[7]
  • リーマンショックの教訓から、1Rと小さいビルに注力し、ディベロッパーから大家業へと軸足を移し、徐々に売上利益を伸ばしていくビジネスモデルに転換したと話している。[3]「今は無理に会社を成長させるつもりはありません。それよりも会社として人材、文化を醸成していきたい」とも話している。[6]
  • 「経営は楽しいものではありません。わくわくする瞬間はもちろんありますが、9割ぐらいは辛いものです。」と語っている。[1]

著書[編集]

  • 26歳、熱血社長、年商70億の男(2004年4月、経済界)
  • 1R(ワンルーム)男(2006年4月、アメーバブックス)
  • 30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由(2014年7月、ダイヤモンド社)
  • 不動産投資の“すごい”真実(2018年6月、幻冬舎)

脚注[編集]

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