康定市

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中華人民共和国 四川省 康定市
渓谷の中にあるダルツェンド市街
渓谷の中にあるダルツェンド市街
康定市の位置
康定市の位置
簡体字 康定
繁体字 康定
拼音 Kāngdìng
カタカナ転写 カンティン
チベット語 དར་རྩེ་མདོ།
ワイリー方式 Dar-rtse-mdo
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
四川
自治州 甘孜
行政級別 県級市
面積
総面積 11,486 km²
人口
総人口(2004) 11 万人
経済
電話番号 0837
郵便番号 626000
行政区画代碼 513321

康定市(こうていし)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州東部に位置する県級市

ダルツェンドダルツェムドタルツェムドタルツェド(dar-rtse-mdo,Darzêdo, 打箭爐)あるいはダルド(dar mdo)とも呼ばれる。康定とは「康(カム)の地を平定する」という意味[疑問点 ]

爐城鎮(ダルツェンド)は市の政治・経済・文化の中心だが、カンゼ自治州全体の政治・軍事・文化・交通・通信などの中枢でもある。康定情歌という民謡でも知られる。

交通[編集]

成都から康定(ダルツェンド)まで車で7時間程度。318国道が通る。

2008年には長さ4000mの滑走路のあるダルツェムド空港が開港した。標高は4,280mと開港当時は世界で二番目の高所にある空港だった。成都から康定(ダルツェンド)まで飛行機で約1時間。冬期以外、毎日運行している。

歴史[編集]

歴史上,ダルツェンドは漢族とチベット族の間の貿易や物資集散の中心で、内地からチベットへ向かう際の門戸でもあった。四川とチベットの間では、の相互取引(「茶馬古道」、「川蔵茶馬互市」)が盛んだったがその中心でもあった。

代には世襲の諸侯が土官に任ぜられ長河西千戸、長河西招討司が設置された。の永楽五年(1407年)には「長河西魚通寧遠宣慰」が設けられ、同じく世襲の職となった。民末期の崇禎十二年(1639年)にはグーシ・ハーン(固始汗)がこの地方を征服したが、土司の統治範囲に営官が設置され、土司を通じた間接統治と営官を通じた統治の二重体制になった。の康熙五年(1666年)、改めて土司が認められた。雍正八年(1730年)にはダルツェンドに打箭爐庁が置かれた。光緒三十年(1904年)に打箭爐庁は康定府に昇格し、この際に「康定」の名が使われ始めた。

中華民国の成立後、廃府為県が行われ、康定府は康定県になった。1939年にチベット東南部カム地方を統治する西康省が成立すると、ダルツェンドに省政府が置かれたが、西康省政府は従来この地を統治してきた諸侯らの反発を受けた。2015年3月16日、中華人民共和国国務院は康定県を廃止し、県級市である康定市を設置した。

言語[編集]

ダルツェンドはチベット族漢族羌族回族イ族など多数の民族が雑居する。この地のチベット族は、チベット語のカム方言とアムド方言、および羌語系のムニャ語(木雅語)と貴瓊語を話す。

行政区画[編集]

区分 名称
3 炉城 姑咱 新都橋
18 雅拉 時済 前渓 舎聯 麦崩 三合 金湯 捧塔 沙徳 貢嘎山 普沙絨 吉居 瓦沢 呷巴 甲根壩 朋布西 塔公 孔玉

市庁は炉城鎮にある。

画像[編集]

脚注[編集]