井伊直矩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
 
井伊直矩
時代 江戸時代中期
生誕 元禄7年1月8日1694年2月1日
死没 寛保2年3月19日1742年4月23日
改名 弁之丞、万千代(幼名)→直矩
戒名 光煕院殿花岳浄桃大居士
墓所 東京都墨田区向島弘福寺
官位 従五位下、兵部少輔
幕府 江戸幕府
越後与板藩
氏族 井伊氏
父母 父:井伊直興、母:春昭院(寺沢氏)
養父:井伊直朝
兄弟 直通直恒直矩直惟直定
井伊直朝
正室:昭覚院(阿部正邦の娘)
直陽

井伊 直矩(いい なおのり)は、遠江掛川藩の第4代藩主、越後与板藩の初代藩主。直勝系井伊家5代。近江彦根藩主・井伊直興の四男。

彦根藩の分家である掛川藩主・井伊直朝(正室は直矩の姉妹であった)の養嗣子となり、宝永2年(1705年12月3日に跡を継いだ。翌年1月16日、越後三島郡などに2万石を与えられて与板藩に移封となる。正徳5年(1715年)には徳川家康100回忌において日光祭礼奉行を務めた。享保16年(1731年2月27日、長男の直陽家督を譲って隠居し、寛保2年(1742年)3月19日に江戸で死去した。享年49。