中央区立日本橋小学校

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中央区立日本橋小学校
Nihonbashi Elementary School-2.jpg
中央区立日本橋小学校
(2018年2月28日撮影)
国公私立の別 公立学校
設置者 中央区
併合学校 中央区立十思小学校
中央区立東華小学校
設立年月日 1990年(平成2年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
小学校コード 202200
所在地 103-0013
東京都中央区日本橋人形町1丁目1番17号
外部リンク 公式サイト
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中央区立日本橋小学校(ちゅうおうくりつ にほんばししょうがっこう)は、東京都中央区日本橋人形町一丁目にある公立小学校2017年5月1日時点で、12学級・334名在籍。校歌は「つつじの学校 日本橋」。

同じ建物の中に、日本橋図書館、日本橋社会教育会館が複合して同居しており、日本橋小学校温水プールは、一般にも公開されている。また同敷地内に中央区立日本橋幼稚園があり、地下には区営人形町駐車場が所在する。

本校の敷地は、江戸時代末期には姫路藩酒井氏の藩邸があり、明治初頭には西郷隆盛の屋敷があった場所である。[1]

通学区域

通学区域は、日本橋本町三丁目(6~11番)・四丁目(9~15番)、日本橋小伝馬町日本橋大伝馬町日本橋堀留町一丁目・二丁目、日本橋小舟町日本橋富沢町日本橋人形町一丁目・二丁目・三丁目、日本橋小網町(7~19番)、日本橋蛎殻町一丁目(7~16番)。

日本橋人形町二丁目15~20番及び32~36番は有馬小学校と、日本橋堀留町二丁目1番・2番・8~10番、日本橋富沢町、日本橋人形町二丁目21~31番・37番、日本橋馬喰町一丁目・二丁目は久松小学校とのそれぞれ調整区域として、いずれの学校への進学も可能となっている。

沿革[編集]

旧 十思小学校
  • 1872年(明治5年)- 明治政府太政官より、学校に関する基本法制として、学制が発布された。
  • 1877年(明治10年)12月 - 第一大学区第一中学区十六番小学十思学校として開校[2]
  • 1886年(明治19年)11月17日 - 校舎の類焼を受けて有馬小学校内にて授業をしていたものの、本校を廃止して有馬小学校に合併
  • 1892年(明治27年)4月 - 有馬小学校の分校として開校
  • 1897年(明治30年)5月8日 - 地元有志により校舎を新設し、有馬小学校の分校を廃止し、高等科を併置し、東京市日本橋区十思尋常・高等小学校として再興
  • 1908年(明治41年)3月 - 高等科を廃止し、東京市十思尋常小学校と称する
  • 1918年(大正7年) - この年の学級数は21、児童数は男子524名・女子553名[3]
  • 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災により校舎焼失
  • 1928年(昭和3年) - 関東大震災後の復興事業として、鉄筋コンクリート造の校舎(日本橋小伝馬町・現 十思スクエア・東京都選定歴史的建造物)建設[4]
旧 東華小学校
  • 1901年(明治34年)9月8日 - 東京市日本橋区東華尋常小学校として開校[5]
  • 1908年(明治41年)4月 - 東京市東華小学校と改称する
  • 1918年(大正7年) - この年の学級数は17、児童数は男子511名・女子513名[6]
  • 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災により校舎焼失
日本橋小学校
  • 1990年(平成2年)4月1日 - 十思小学校・東華小学校両校の統合により、東華小学校校舎に、東京都中央区立日本橋小学校として新設される。
  • 1994年(平成6年)- 建設期間の旧十思小学校への一時移転(1990年8月)を経て、新校舎落成
  • 2000年(平成12年)4月1日 - 校名を中央区立日本橋小学校に変更

主な出身者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 1974年(明治6年)12月、東京府地券課が作成した東京市街地の地籍図である「沽券地図」のうち、第一大区に関するものに、蛎殻町1丁目1番として西郷隆盛の名が記されている。
  2. ^ 東京市日本橋区役所 『新修 日本橋区史』下巻、1937年、375頁。
  3. ^ 東京市日本橋区役所 『日本橋区一覧』第二回、1919年、44頁。
  4. ^ 中央区立図書館 復興小学校案内 日本橋区編 十思尋常小学校
  5. ^ 東京市日本橋区役所 『新修 日本橋区史』下巻、1937年、377頁。
  6. ^ 東京市日本橋区役所 『日本橋区一覧』第二回、1919年、44頁。
  7. ^ 中央区教育委員会「西郷隆盛屋敷跡」の碑 - 日本橋小学校の敷地は、江戸時代は姫路藩酒井家の下屋敷であり、明治に入って西郷隆盛の屋敷となった。明治4年(1871年)に上京し参議に就任、明治6年(1873年)に征韓論に敗れて鹿児島に帰るまで、約2年間起居した。2600坪の屋敷に、書生を15人を住まわせ、下男を7人雇い、猟犬数頭を飼っていた。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]