ラリー・アンダーセン

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ラリー・アンダーセン
Larry Andersen
Larry Andersen.jpg
2010年8月
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オレゴン州ポートランド
生年月日 (1953-05-06) 1953年5月6日(66歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1971年 MLBドラフト7巡目
初出場 1976年9月5日
最終出場 1994年7月31日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ラリー・ユージーン・アンダーセンLarry Eugene Andersen, 1953年5月6日 - )はアメリカ合衆国オレゴン州ポートランド出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴[編集]

現役時代[編集]

1971年MLBドラフト7巡目(全体157位)でクリーブランド・インディアンスから指名され、プロ入り。

1975年9月5日デトロイト・タイガース戦でメジャーデビュー[1]。その後、シアトル・マリナーズフィラデルフィア・フィリーズに在籍し、1981年からリリーフとしてメジャーに定着する。

1986年途中にヒューストン・アストロズへ移籍後は特に目覚ましい活躍を見せており、2年目の1987年には67試合に登板して自己最多の9勝、1989年1990年は両年とも50試合以上に登板で防御率1点台と安定した成績を残した。

1990年8月31日トレードによってボストン・レッドソックスへ移籍した[2]。アンダーセンは移籍後15試合に登板して防御率1.23と好投したが、この時の交換相手が後にアストロズの顔となり、アメリカ野球殿堂入りも果たすジェフ・バグウェルだったため、数年後にレッドソックスファンの間では、このトレードはベーブ・ルース放出以来の悲劇とも言われた[3]

その後、サンディエゴ・パドレスを経て1993年に古巣のフィリーズへ復帰した。40歳となったこの年は64試合に登板して防御率2.92と好投し、チームのワールドシリーズ進出に貢献した[4]。翌1994年がメジャーでの最後のシーズンとなった。

1995年は投手コーチ兼任でフィリーズ傘下のAA級レディング・フィリーズでプレーし、5試合に登板した。

引退後[編集]

1996年から2年間はフィリーズ傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レッドバロンズで投手コーチを務めた。1998年からはフィリーズ戦の解説者となった。

投球スタイル[編集]

メジャー有数と評判のスライダーが武器である[4]

詳細情報[編集]

背番号[編集]

  • 42(1975年、1977年、1979年)
  • 39(1981年 - 1982年)
  • 47(1983年 - 1990年途中、1993年 - 1994年)
  • 40(1990年途中 - 同年途中)
  • 48(1990年途中 - 同年終了)
  • 27(1991年 - 1992年)

脚注[編集]

  1. ^ Detroit Tigers at Cleveland Indians Box Score, September 5, 1975” (英語). Baseball-Reference.com. 2018年10月16日閲覧。
  2. ^ 梅田香子「スーパースター列伝54 ジェフ・バグウェル[アストロズ]」『月刊メジャー・リーグ』2007年4月号、ベースボール・マガジン社、2007年、雑誌 08625-4、47頁。
  3. ^ “[http://www.espn.com/page2/s/readers/worstdeals.html The List: Readers Pick Most Lopsided Trades]”. ESPN. 2018年10月16日閲覧。
  4. ^ a b 出野哲也『改訂新版 メジャー・リーグ人名事典』言視舎、2013年、25頁。ISBN 978-4-905369-67-7

関連項目[編集]

外部リンク[編集]