ブルックリン橋

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ブルックリン橋
基本情報
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
所在地 ニューヨーク市マンハッタン区シヴィック・センターブルックリン区ダンボブルックリン・ハイツ英語版
交差物件 イースト川
用途 道路橋(車道、歩道、自転車道)
管理者 ニューヨーク市運輸局
設計者 ジョン・ローブリング
開通 1883年5月24日[1]
座標 北緯40度42分22.68秒 西経73度59分50.64秒 / 北緯40.7063000度 西経73.9974000度 / 40.7063000; -73.9974000座標: 北緯40度42分22.68秒 西経73度59分50.64秒 / 北緯40.7063000度 西経73.9974000度 / 40.7063000; -73.9974000
構造諸元
形式 吊橋斜張橋併用
全長 1,825.4 m[2]
25.9 m
高さ 平均高潮面上84.3 m[3]
桁下高 41.1 m
最大支間長 486.3 m
地図
ブルックリン橋の位置(マンハッタン内)
ブルックリン橋
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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Brooklyn Bridge
座標北緯40度42分20秒 西経73度59分47秒 / 北緯40.70567度 西経73.99633度 / 40.70567; -73.99633
建設1883年
建築様式ネオ・ゴシック
NRHP登録番号66000523
指定・解除日
NRHP指定日1966年[4]
NHL指定日1964年1月29日[5][6]

ブルックリン橋(Brooklyn Bridge)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市イースト川をまたぎ、マンハッタンブルックリンを結ぶである[7]

概要[編集]

マンハッタン島南端付近から南東方向に向かって伸びており、マンハッタン橋と並ぶように位置している。イースト川の上に架かっており、ロウアー・マンハッタンシヴィック・センターブルックリンダンボブルックリン・ハイツ英語版を結んでいる。長さは1,834m、中央径間は486mである。2008年の日平均通行量は123,781台であった[8]

もともとの名称は“ニューヨーク=ブルックリン橋”および“イースト・リバー橋”といったが、1915年に正式に現在の名前となった。アメリカで最も古い吊橋の一つであり、同時に鋼鉄のワイヤーを使った世界初の吊橋でもある。14年の歳月をかけて1883年に竣工・完成した。同年5月24日に開通し、開通初日には15万人もの人がこの橋を渡った。1903年に上流のウィリアムズバーグ橋ができるまで世界最長の吊橋であった。1964年アメリカ合衆国国定歴史建造物[5]1972年土木工学歴史建造物に登録された[9]

この橋は2層に分かれており、現在でも上層は人や自転車が歩いて渡ることができる。下層は片側3車線の車道である。1944年までは高架鉄道が下層に、1950年までは路面電車も上層に通っていた。

ブルックリン橋はゴシック風のデザインともあいまってニューヨークの観光名所のひとつになっており、休日にはよく橋の上をランニングする人々を見ることができる。

なお、マンハッタンからイースト川下流にかかる3本の吊橋の順序は、下流(南)からBMW (Brooklyn, Manhattan, Williamsburg) と記憶するという方法がある。

歴史[編集]

ジョン・オーグスタス・ローブリング
橋上の風景案内板 建設中の「自由の女神」

ブルックリン橋はベルリン王立高等理工科学校(現・ベルリン大学理工学部土木工学科)の橋梁工学を卒業したテューリンゲン州ミュルハウゼン出身のドイツ系移民のジョン・オーグスタス・ローブリングJohn Augustus Roebling、1806〜1869年、ドイツ語発音ではヨーハン・アウグスト・レーブリング(Johann August Rӧbling))によって最初に設計されたが、彼は橋の建設開始をまたず、衝突事故による破傷風で死亡した。その後、南北戦争に従軍した息子のワシントン・ローブリング(1837〜1926年)が建設を引き継いだが、彼もまたケーソン病で下半身麻痺となり現場に立てなくなったため、同じドイツ系の妻のエミリー・ワーレン・ローブリング英語版(1843〜1903年)が工学を勉強し、現場の監督者と彼との意思疎通をはかった。ワシントンは1903年に妻に先立たれてからも、自宅から望遠鏡で橋の建設を見守り、1926年に89歳で亡くなっている。

ローブリングは橋を設計する際に、当時必要と考えられていた強度よりも 6倍も頑丈に設計した。橋が建設された当時はまだ風洞実験が行われておらず、同時期に建てられた橋のほとんどが廃棄されたのに対して、この橋が今日まで生きながらえたのはこのようないくつかの幸運があったためだと指摘されている(多くの橋が廃棄されたのは、タコマナローズ橋が風で崩壊したことも理由となる)。

建設当時、ケーソン病はまだよく理解されておらず、建設に際しては多数のケーソン病による死者を出した。

なお、信濃上田藩第6代藩主・松平忠固の二男、松平忠厚が、マンハッタン高架鉄道会社に勤務していて、ブルックリン橋の一部の設計を担当した。

2017年から2年間、メキシコの麻薬王ホアキン・グスマンが留置所から裁判所まで往復する際にブルックリン橋が利用された。グスマンはメキシコ国内で2度、大掛かりな脱獄をした経緯があったことから護送車が通過する際には、身柄の奪取などが起きないように一般車両を通行止めにする措置が採られた[10]

アクセス[編集]

マンハッタン側からは、ニューヨーク市地下鉄レキシントン・アベニュー線456系統)のブルックリン・ブリッジ-シティ・ホール駅、またはブロードウェイ線NRQW系統)のシティ・ホール駅下車。シティ・ホール・パークから橋はすぐに見える。

ブルックリン側から渡るなら地下鉄の8番街線AC系統)のハイ・ストリート-ブルックリン・ブリッジ駅下車。こちら側から渡るほうが圧倒的に景色がいいが、入り口がわかりにくいので注意。

なお、歩行者用の通路でも自転車が猛スピードで走っていくことが多い。特に見通しの悪い夜間に橋を渡るときは注意が必要である。

その他[編集]

ブルックリン・ハイツ・プロムナード

ブルックリン橋の登場する作品[編集]

映画・特撮

アニメ・漫画

その他多数作品あり。

ブルックリン橋

脚注[編集]

  1. ^ Feuerstein, Gary (1998年5月29日). “Brooklyn Bridge Facts, History and Information”. Endex.com. 2010年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月23日閲覧。
  2. ^ NYCDOT Bridges Information”. New York City Department of Transportation. 2008年8月23日閲覧。
  3. ^ Brooklyn Bridge”. Nycroads.com. 2013年6月4日閲覧。
  4. ^ National Park Service (23 January 2007). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  5. ^ a b Brooklyn Bridge”. National Park Service (2007年9月11日). 2002年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月30日閲覧。
  6. ^ The Brooklyn Bridge—Accompanying three photos, from 1975.”. National Register of Historic Places Inventory-Nomination. National Park Service (1975年2月24日). 2010年6月30日閲覧。
  7. ^ 五十畑弘『図説日本と世界の土木遺産』秀和システム、2017年、296頁。ISBN 978-4-7980-5223-6 
  8. ^ New York City Bridge Traffic Volumes 2008” (PDF). New York City Department of Transportation. p. 63 (2010年3月). 2010年7月10日閲覧。
  9. ^ Brooklyn Bridge”. ASCE Metropolitan Section. 2010年6月30日閲覧。
  10. ^ 麻薬王「エル・チャポ」の公判がNYで開始。最も費用がかかる裁判に”. ハーバービジネスオンライン. ハーバービジネスオンライン (2018年11月10日). 2021年2月25日閲覧。

外部リンク[編集]