BMTジャマイカ線
| BMTジャマイカ線 BMT Jamaica Line | |
|---|---|
|
| |
| 概要 | |
| 種別 | 地下鉄 |
| 系統 | ニューヨーク市地下鉄 |
| 起終点 |
マーシー・アベニュー駅 121丁目駅 |
| 駅数 | 22駅 |
| 運営 | |
| 開業 | 1885年-1918年 |
| 所有者 | ニューヨーク市 |
| 運営者 | ニューヨークシティ・トランジット・オーソリティ |
| 路線構造 | 高架線 |
| 路線諸元 | |
| 路線数 | 2-3 |
| 軌間 | 4 ft 8+1⁄2 in (1,435 mm) |
| 電化 | 直流 600V 第三軌条方式 |
BMTジャマイカ線(BMT Jamaica Line)は、ニューヨーク市のブルックリン区とクイーンズ区を結ぶニューヨーク市地下鉄Bディビジョンの路線である。ブルックリンのブロードウェイ線(Broadway (Brooklyn) Line)と呼ばれることもある。ウィリアムズバーグ橋からブロードウェイ上を南東にイーストニューヨークへ、さらにフルトン・ストリート (ブルックリン)およびジャマイカ・アベニューの上を東進してクイーンズ区ジャマイカに至る。ジャマイカ西部でトンネルに入り、ジャマイカ中部でアーチャー・アベニュー線の下層線になる。J・Z系統はジャマイカ線全線、M系統はマートル・アベニュー駅以西で運行されている。
ジャマイカ線はニューヨーク市地下鉄の中で最長の高架路線で、最古の高架区間であるゲイツ・アベニュー駅 - ヴァン・シックレン・アベニュー駅間(1885年にブルックリン高架鉄道およびBMTレキシントン・アベニュー線として開業)と、最新の高架区間であるアーチャー・アベニュー線(地下)に下る坂路(1988年開業)を含んでいる。
運行主体がニューヨークシティ・トランジット・オーソリティになってからは路線案内は南北方向で行われるようになり、BMT時代の西が北、東が南に読み替えられた。このため、ダウンタウン・ブルックリンに至るBMTナッソー・ストリート線では運行系統により南北が異なることになった。混乱を防ぐためにBMT東部地区では方向の反転が行われ、ジャマイカ方面が北行になった[1]。KK系統(後にK系統を経てJ・Z系統)と現在のM系統はクリスティー・ストリート連絡線経由でIND6番街線と接続しジャマイカあるいはメトロポリタン・アベニュー駅が南端とされていたため、例外としてそのまま残された。
詳細
[編集]

ジャマイカ線の高架橋の種類は多岐にわたる。もともとBMTジャマイカ線はブロードウェイ・フェリー駅から始まり、東側にあるマーシー・アベニュー駅まで複線運行していた。この区間は「ブロードウェイ分岐線」と呼ばれており、ウィリアムズバーグ橋に向かって線路がカーブする地点の西側と南側に、短いながらも目立つ線路跡が残っていまる(線路はなく、幅約半ブロックほどの敷地に保線所などの建物がある)。
マーシー・アベニュー駅からアラバマ・アベニュー駅手前までは、かつての高架鉄道の構造を流用しているが、1913年のデュアル・コントラクトに基づき、第一次世界大戦頃に3線構造に改修・拡張された。アラバマ・アベニュー駅から現在のサイプレス・ヒルズ駅手前までは、ニューヨーク市で最も古い高架構造物である、1893年に開通した鉄骨補強鋳鉄製の高架線路が使われている。また、アラバマ・アベニュー駅の西側には、中央に3線目の軌道が設けられており、他の2線軌道の上を走っていますが、駅の西端で途切れている。この構造物は当初急行線の建設を目的としたもので、工事開始後に実施された振動調査の結果、列車が駅の上を通過する際の振動が大きく、駅自体が揺れてしまう可能性があることが判明したため中止された。
クレセント・ストリート駅とサイプレス・ヒルズ駅の間には2か所の急カーブが存在し、フルトン・ストリートから北に曲がってクレセント・ストリートに入り、そこから東にジャマイカ・アベニューへと続く。このカーブはほぼ90度近くの角度になっており、列車は時速15マイルの速度制限を受ける[2]。サイプレス・ヒルズ駅東側はジャマイカ・アベニュー線と呼ばれ、デュアル・コントラクトに基づいて建設された最新の区間でもある。この区間は全線にわたって3線軌道が敷設できる構造になっている[3][4][5]が、111丁目駅の留置線と、かつて存在した終端駅(現在は廃線)の160丁目駅と168丁目駅間の留置線以外は、中央には軌道が敷設されていない。
ジャマイカ・アベニュー付近のカーブを含む4つのカーブは、ニューヨーク地下鉄で最も急カーブの30位以内に入っている[2]。
歴史
[編集]ブルックリン高架鉄道にリースされていたユニオン高架鉄道は、1888年6月25日、ゲイツ・アベニューからウィリアムズバーグのドリッグス・アベニューまで、ブロードウェイに高架鉄道を開通させた[6]。これは既存のBMTレキシントン・アベニュー線の支線で、当時レキシントン・アベニュー線はヴァン・シックレン・アベニュー駅で終点となっていた。ブロードウェイ高架線はドリッグス・アベニュー駅とヴァン・シックレン・アベニュー駅の間を運行していた[7]。ゲイツ・アベニューでは、ダウンタウン・ブルックリン方面行きのレキシントン・アベニュー線への無料乗換サービスが利用できた[8]。ブロードウェイ高架線は1888年7月14日にブロードウェイ・フェリーまで延伸された[9]。
この路線は1893年5月30日に、フルトン・ストリートとクレセント・ストリートに沿ってサイプレス・ヒルズ駅まで東方に延伸された[10]。レキシントン・アベニュー線とブロードウェイ高架線の両方はこの新しい終着駅まで延伸された[10]。この延伸区間には、以前廃線となったパーク・アベニュー高架線の一部が利用されていた[11]。ウィリアムズバーグ橋への連絡線は1908年に開通し、1916年7月3日にはブルックプレイン・フェリー支線の西端2駅が廃止された。ジャマイカ・アベニューに沿って168丁目駅まで東方に延伸された区間は、1918年7月3日に開通した[3][12]。
ロングアイランド鉄道のアトランティック支線との共同運行は、ノーウッド・アベニュー駅とクレセント・ストリート駅の間で行われており、ブルックリンのチェスナット・ストリート付近には連絡線が設けられていた。これにより、BRTの列車はロッカウェイやマンハッタンビーチへアクセスでき、LIRRはブルックリン橋を渡ってパーク・ロウ駅にあるBRTのターミナルを経由しマンハッタンへアクセスできた(このサービスは、イースト川トンネルがペンシルバニア駅まで開通する以前から行われていた)。しかし、連邦運輸委員会は1916年に、通勤鉄道とLIRRのような一般鉄道の運行基準が異なるとして、この共同運行を廃止するよう勧告、後に廃止された。

144丁目には、かつての高架線路跡地に隣接して発電所が建っている。1937年にIND地下鉄がジャマイカのヒルサイド・アベニュー沿いにINDクイーンズ・ブールバード線を延伸した頃には、ジャマイカの住民は高架鉄道に不満を抱いていた。 1940年にBMTがIRTとINDに統合されてからかなり時間が経った1960年代半ば、MTAは「行動計画」の一環として、アーチャー・アベニュー線の地下化計画を提案し始めた。アーチャー・アベニュー線の建設は1973年に開始され、当初はヴァン・ウィック・ブルバード(州間高速道路678号線)からロッカウェイ・アベニュー(ロッカウェイ・ブルバード)へ至る路線を建設するために計画されていたトンネル坑口が利用された。しかし、1970年代半ばにニューヨーク市が深刻な財政危機に見舞われたため、新線の完成と開業は延期された。その後、東端にある3つの駅(サットフィン・ブールバード駅、160丁目駅、168丁目駅)は1977年に閉鎖され、その区間の路線は1985年に大部分が撤去された。さらに西側の2つの駅(メトロポリタン・ブールバード駅とクイーンズ・ブールバード駅)も1985年に廃止され、その区間の路線は1990年に撤去された。アーチャー・アベニュー地下鉄は1988年に開業した。ジャマイカ地区には、かつてのジャマイカ高架鉄道の遺構が2か所残っている。1つは、現在アーチャー・アベニュー線で使用されている144丁目発電所、もう1つはヒルサイド・アベニューと165丁目の交差点南東角にある168丁目駅の駅舎と信号所(現在は婦人服店として利用)である。
運行パターン
[編集]| 運行系統 | 時間帯 | 運行区間 | ||
|---|---|---|---|---|
| ラッシュ時 | 日中 夕方 週末 |
深夜 | ||
|
各駅停車 | 全線 | ||
| 運休 | ||||
| 各駅停車 |
| |||
この路線は、かつて2つの主要な運行系統が存在していた。一つはBMT14系統(ブルックリン・ブロードウェイ線、かつてはカナーシー線と呼ばれていた路線で、後にBMT14丁目線と統合)で、もう一つは15系統(ジャマイカ線)である。その後、14系統はKK系統(1974年にK系統に改称)に、15系統はJ系統に改称されたが、K系統は1976年に廃止された。1988年には、それまで14/K系統と15/J系統が一部区間で実施していた千鳥停車運行を担うZ系統が新たに導入された。
語源
[編集]1940年にBRTが市の所有下に入り、その後も路線の西端からサイプレス・ヒルズまでの区間は、ブロードウェイ高架線またはブロードウェイ-ブルックリン線と呼ばれていた。その地点より先は、ジャマイカ・アベニュー高架線またはジャマイカ線と呼ばれていた。市による統合後、ブロードウェイ線とジャマイカ・アベニュー線の境界線は、より西側のイースタン・パークウェイ駅(現在はブロードウェイ・ジャンクション)とされる事例が多かった。
なお、ブロードウェイ-ブルックリン区間の単独運行が廃止されて以来、路線全体はジャマイカ線と呼ばれている。
駅一覧
[編集]| 地区 (概略) |
駅名 | 線路 | 運行系統 | 開業日 | 乗換・備考 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| ジャマイカ | 廃止区間 | |||||
| 168丁目駅 | 1918年7月3日[3] | 1977年9月10日廃止[13]。Q49系統のバスに代替されたが1988年12月11日にバスも廃止。 | ||||
| 160丁目駅 | 1918年7月3日[3] | 1977年9月10日廃止[14]。Q49系統のバスに代替されたが1988年12月11日にバスも廃止。 | ||||
| サットフィン・ブールバード駅 | 1918年7月3日[3] | 1977年9月10日廃止[14]。Q49系統のバスに代替されたが1988年12月11日にバスも廃止。 | ||||
| クイーンズ・ブールバード駅 | 1918年7月3日[3] | 1985年4月15日廃止[15]。Q49系統のバスに代替されたが1988年12月11日にバスも廃止。 | ||||
| メトロポリタン・アベニュー駅 | 1918年7月3日[3] | 1985年4月15日廃止[16]。Q49系統のバスに代替されたが1988年12月11日にバスも廃止。 | ||||
| BMTアーチャー・アベニュー線の続きとして開始(J | ||||||
| リッチモンドヒル | 121丁目駅 | 緩・急 | J |
1918年7月3日[3] | JFK空港行きQ10系統 | |
| 111丁目駅 | 緩・急 | J |
1917年5月28日[17] | |||
| 104丁目駅 | 緩・急 | J |
1917年5月28日[17] | 旧駅名:102丁目駅 | ||
| ウッドヘブン | ウッドヘイブン・ブールバード駅 | 緩・急 | J |
1917年5月28日[17] | ||
| 85丁目-フォレスト・パークウェイ駅 | 緩・急 | J |
1917年5月28日[17] | 旧駅名:フォレスト・パークウェイ駅 | ||
| 75丁目-エルダーツ・レーン駅 | 緩・急 | J |
1917年5月28日[17] | 旧駅名:エルダーツ・レーン駅 | ||
| サイプレス・ヒルズ | サイプレス・ヒルズ駅 | 緩・急 | J |
1893年5月30日[10] | ||
| クレセント・ストリート駅 | 緩・急 | J |
1893年5月30日[10] | |||
| ノーウッド・アベニュー駅 | 緩・急 | J |
1893年5月30日[10] | |||
| クリーヴランド・ストリート駅 | 緩・急 | J |
1893年5月30日[10] | 旧駅名:クリーヴランド・アベニュー駅 | ||
| イーストニューヨーク | ヴァン・シックレン・アベニュー駅 | 緩・急 | J |
1885年12月3日[18] | ||
| アラバマ・アベニュー駅 | 緩・急 | J |
1885年9月5日[19] | |||
| イーストニューヨーク車両基地への連絡線 | ||||||
| 急行線 始点(マートル・アベニュー駅まで定期列車なし) | ||||||
| BMTカナーシー線が緩行線に合流(定期運行なし) | ||||||
| ブロードウェイ・ジャンクション駅 | 緩・急 | J |
1885年6月14日[20] | A L ロングアイランド鉄道(イーストニューヨーク駅) 旧駅名:マンハッタン・ビーチ・クロッシング駅、マンハッタン・ジャンクション駅、イースタン・パークウェイ駅 | ||
| イーストニューヨーク車両基地への連絡線 | ||||||
| ベッドフォード=スタイベサント/ ブッシュウィック |
チャウンシー・ストリート駅 | 緩行 | J |
1885年7月18日[21] | ||
| ホールジー・ストリート駅 | 緩行 | J |
1885年8月19日[22] | |||
| ゲイツ・アベニュー駅 | 緩行 | J |
1885年5月13日[23] | |||
| コシチュシコ・ストリート駅 | 緩行 | J |
1888年6月25日[6] | |||
| BMTマートル・アベニュー線と合流(M | ||||||
| マートル・アベニュー駅 | 緩・急 | J |
1888年6月25日[6] | 1889年4月にスタイベサント・アベニュー駅から移転[24] | ||
| パーク・アベニュー駅 | 1888年6月25日[6] | 1912年から1921年の間に廃止・撤去[25] | ||||
| ウィリアムズバーグ | フラッシング・アベニュー駅 | 緩行 | J |
1888年6月25日[6] | ||
| ロリマー・ストリート駅 | 緩行 | J |
1888年6月25日[6] | |||
| ヒューズ・ストリート駅 | 緩行 | J |
1888年6月25日[6] | |||
| 緩行線への立体交差(J | ||||||
| マーシー・アベニュー駅 | 緩行 | J |
不詳 | |||
| 急行線 終点(マーシー・アベニュー駅構内) | ||||||
| ウィリアムズバーグ橋を越えてBMTナッソー・ストリート線に合流(J | ||||||
| ウィリアムズバーグ | 廃止区間 | |||||
| ドリッグス・アベニュー駅 | 1888年6月25日[6] | 1916年7月3日廃止[26] | ||||
| ブロードウェイ・フェリー駅 | 1888年7月14日[9] | 1916年7月3日廃止[26] | ||||
脚注
[編集]- ^ The service table on the 1967 New York City Rapid Transit Map and Station Guide refers to southbound a.m. skip-stop service on the JJ and QJ.
- ^ a b “Broadway Junction Transportation Study: NYC Department of City Planning Final Report-November 2008”. nyc.gov. New York City Department of City Planning (2008年11月). 2015年10月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h New York Times, New Subway Line: Affords a Five-Cent Fare Between Manhattan and Jamaica, L.I., July 7, 1918, page 30
- ^ “Construction of Foundations and Structure: Section 1, Jamaica Line”. New York Municipal Railway Corporation (1915年). 2016年3月4日閲覧。
- ^ “Annual Report of the Brooklyn Rapid Transit Co. for The Year Ending June 30, 1912”. bmt-lines.com. Brooklyn Rapid Transit Company (1912年6月30日). 2016年3月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “The Broadway Line Opened”. Brooklyn Daily Eagle (Brooklyn, NY): p. 6. (1888年6月25日)
- ^ “Trains Running This Morning”. Brooklyn Daily Eagle (Brooklyn, NY): p. 10. (1893年5月30日)
- ^ “Pushing the Road Along”. Brooklyn Daily Eagle (Brooklyn, NY): p. 4. (1888年7月20日)
- ^ a b “When the Union Road will be Finished”. Brooklyn Daily Eagle (Brooklyn, NY): p. 1. (1888年7月13日)
- ^ a b c d e f “Trains Running This Morning”. Brooklyn Daily Eagle (Brooklyn, NY): p. 10. (1893年5月30日)
- ^ “Elevated Railroad Extensions”. Brooklyn Daily Eagle (Brooklyn, NY): p. 16. (1893年5月28日)
- ^ “Annual Report of the Brooklyn Rapid Transit Co. for The Year Ending June 30, 1918”. bmt-lines.com. Brooklyn Rapid Transit Company. 2016年3月4日閲覧。
- ^ “A Sentimental Journey on the BMT...”. nytimes.com. The New York Times (1977年9月9日). 2015年7月2日閲覧。
- ^ a b Lee Dembart, New York Times, A Sentimental Journey on the BMT, September 9, 1977, page 61
- ^ “www.nycsubway.org”. www.nycsubway.org. 2011年4月27日閲覧。
- ^ “www.nycsubway.org”. www.nycsubway.org. 2011年4月27日閲覧。
- ^ a b c d e “TO OPEN JAMAICA AV. LINE.; Nearly Two and a Half Miles Ready for Operation Tonight”. New York Times Company. (1917年5月27日). pp. 24 2015年4月21日閲覧。
- ^ “Finished at Last”. Brooklyn Daily Eagle (Brooklyn, NY): p. 4. (1885年12月3日)
- ^ “Still Extending Its Lines”. Brooklyn Daily Eagle (Brooklyn, NY): p. 6. (1885年9月5日)
- ^ “East New York”. Brooklyn Daily Eagle (Brooklyn, NY): p. 6. (1885年6月13日)
- ^ “A New Station Opened”. Brooklyn Daily Eagle (Brooklyn, NY): p. 4. (1885年7月18日)
- ^ “Halsey Street Station Opened”. Brooklyn Daily Eagle (Brooklyn, NY): p. 4. (1885年8月19日)
- ^ “Done at Last”. Brooklyn Daily Eagle (Brooklyn, NY): p. 1. (1885年5月13日)
- ^ “Brooklyn Daily Eagle: It Reaches Broadway (April 5, 1889)”. bklyn.newspapers.com. 2016年5月8日閲覧。
- ^ “E. Belcher Hyde Map Co. Atlas of Brooklyn revised 1921”. www.historicmapworks.com. 2016年5月8日閲覧。
- ^ a b BMT Lines: Brooklyn Manhattan Transit: A History as Seen Through the Company's Maps, Guides and other Documents: 1923-1939," by James Poulous
外部リンク
[編集]
ウィキメディア・コモンズには、BMTジャマイカ線に関するカテゴリがあります。