ジョウズジャーン州

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ジョウズジャーン州
座標: 北緯36度50分 東経65度50分 / 北緯36.833度 東経65.833度 / 36.833; 65.833
アフガニスタンの旗 アフガニスタン
州都 シェベルガーン
行政[1]
 - 州知事 モハマド・アリーム・サイー (国政監視党)
 - 州知事代行 アブドゥル・ラフマン・マフムーディ
面積[2]
 - 計 11,291.5km2 (4,359.7mi2)
人口 (2012)[2]
 - 計 512,100人
等時帯 UTC+4:30
ISO 3166コード AF-JOW
主要言語 ウズベク語
トルクメン語
ダリー語
パシュトー語
座標は[3]

ジョウズジャーン州ペルシア語: جوزجان[4][3])は、アフガニスタン北部のである。州都はシェベルガーン。ジョウズジャーン州の面積は1万1292平方キロメートル(34州中21位)[2]、州の総人口は51万2100人(34州中19位)[2]、人口密度は45人/平方キロ(34州中17位)[2]

地理[編集]

日本の秋田県より少し狭い州である。州の7割は平地で[5]、トルクメニスタンのカラクム砂漠から続く砂漠があり、南縁部が山地になっている。州の殆どが荒地だが、バルフ川サフィード川の周辺のオアシスだけは緑が広がっている。

ジョウズジャーン州の東には北部最大の都市マザーリシャリーフを擁するバルフ州があり、ジョウズジャーン州と幹線道路で繋がっている。南にはジョウズジャーン州と同じサフィード川の流域に属するサーレポル州があるが、幹線道路は無い。また州の北端でトルクメニスタンレバプ州に接しているが、こちらにも幹線道路はない。

気象[編集]

冬季は、低温と大雪にさらされる。2017年にはダルザブ地区では50センチの積雪と氷点下10度の気温の中で交通が遮断。寒さと雪により子ども27人が死亡した[6]

歴史[編集]

青銅器時代・古代[編集]

ドラゴンと王達

州都シェベルガーンの付近にはティッラー・テペ遺跡があり、青銅器時代から住民が居たことや金属装飾品を地元で製造する技術があったこと、シルクロードを介してイランやローマ、中国、インドと交易を行っていた事が分かっている(後述)。

中世[編集]

現在も地元の商店で売られているメロン

1218年、チンギス・カンホラズム・シャー朝を攻撃し、シェベルガーンはチャガタイ・ハン国の領地になった[7]マルコ・ポーロによると、当時のシェベルガーンはサプルガンと呼ばれており、乾燥メロンが名物だったと言う。乾燥メロンはメロンの皮をはいで革ひも状にしてから天日に干したもので、ハチミツよりも甘く近隣にも販売されていた[8]。14世紀にチャガタイ・ハン国が滅亡した後も、モンゴル人達はチャガタイ・ウルスとして存続し、アフガニスタン北部はアパルディー族が支配していた。しかし1369年のシェベルガーンの戦いでティムールがチャガタイ・ウルスのアミールであるフサインを破り、新しいアミールになった[9]

近世・近代[編集]

1646年、ムガル帝国がアフガニスタン北部に侵攻し、シェベルガーンでジャーン朝に勝利しバルフを支配下に置いたが、ゲリラ戦により撤退した[10]。1845年、ドースト・ムハンマド・ハーンはアフガニスタン北部に軍を進めた。その頃のアフガニスタン北部の街はウズベク人のアミール達が支配しており、州都シェベルガーンもその1つだった[11]

冷戦時代[編集]

第二次世界大戦後、アフガニスタン首相のモハマド・ダーウド・ハーンソビエト連邦アメリカ合衆国の力を借りて、国内の開発を行おうとした。当初は乗り気ではなかった両国だったが、冷戦対立の下で1950年代後半から本格的な支援を始めた。アメリカはクンドゥーズ空港やマザーリシャリーフ空港、ヘルマンド州カジャキ・ダムの建設などを支援し、ソビエト連邦はカンダハール・ヘラート間の道路やバグラーン州のプレフムリー・マザーリシャリーフ間の道路、シバルガン・ガスパイプラインの建設などを支援した。1965年に工事が始まったシバルガン・ガスパイプラインは1968年に完成し、1970年には25億立方メートルの天然ガスの輸出が決まった[12]。なおジョウズジャーン州は1950年頃はマザーリシャリーフ州(現在のバルフ州)の一部だったが、1958年頃に分割されて独立した州になった。その頃の名称はシェベルガーン州だったが、1964年4月に改名されて現在の名前になった[13]。1988年4月、一部をサーレポル州に割譲した[13]

冷戦終結後[編集]

1997年のアフガニスタンの状況。赤がマスード派、緑がドスタム派、黄がターリバーン

1989年にソ連軍がアフガニスタンから撤退しても、ムハンマド・ナジーブッラーが率いるカーブルの共産党政権はなんとか持ちこたえていた。共産党政権はムジャーヒディーンに対抗するために、民兵を組織して幹線道路を守らせた。民兵の中心はアフガニスタン北部や北西部出身のウズベク人で、ジョウズジャーン州のラシッド・ドスタムやファーリヤーブ州のアブドゥル・マリクなどが率いていた。しかし1991年にソビエト連邦が崩壊すると民兵に動揺が走った。1992年、ドスタムは共産党政権を見限ってアフガニスタン北部最大の都市マザーリシャリーフで自立し、カーブルの共産党政権を倒したがすぐに内戦が始まった。ドスタムは総兵力5万人を擁し、ジョウズジャーン州やバルフ州を中心に支配地域を作り上げた。ドスタムの支配地域は宗教的に寛容で、対外的にも一種の独立国のようになっていた。アフガニスタンではその後ターリバーンが誕生し、内戦は三つ巴の戦いとなった[14]。1998年6月、ドスタムはターリバーンに占領されていたバードギース州の州都を奪還しヘラートに向かったが、逆襲されてファーリヤーブ州やジョウズジャーン州を失った[15]

アメリカ同時多発テロ事件以降[編集]

2001年9月、アメリカ同時多発テロ事件が起き、10月にはアメリカ合衆国がアフガニスタンに侵攻し、有志連合北部同盟と共に戦闘を開始した。ドスタムは北部同盟に加盟し、イスラム協会のアタ・モハマド・ヌールと協力して、11月にアフガニスタン北部からターリバーンを追い払った[16]。この際、 ジョウズジャーン州の捕虜収容所でダシュテ・ライリ虐殺英語版が起きた。

タリバンを追い払った後、ドスタムはアフガニスタン北部を再び支配しようとしたが、2003年10月頃までアタとの内戦が続き[17]、その後は政府や国際社会が軍閥の解体を進めた。ドスタムは国防次官を解任されそうになったので[18]、辞職して2004年の大統領選挙に出馬し、ジョウズジャーン州で最多得票を得た(78%)[19]。2005年3月、カルザイ大統領はドスタムを参謀総長に任命したが軍閥解体は続き[20]、ドスタムのアフガニスタン国民イスラム運動英語版(Junbesh党)も抵抗を続けた。2007年5月、サマンガーン州アフマド・カーン・サマンガニ下院議員の暗殺未遂事件が起きた[21]。同月、ジョウズジャーン州ではジュマ・カーン・ハムダード知事の辞任を求めるデモ・暴動が起きて、警察が発砲し数十人の死傷者が出た[22]。その後ダシュテ・ライリ捕虜虐殺事件がアメリカで問題になり、ドスタムは失脚しそうになったが[23]、カルザイ大統領に恭順の姿勢を示して何とか切り抜けた[24]

第二回大統領選挙後[編集]

2009年8月、第二回の大統領選挙が実施され、ジョウズジャーン州ではドスタムが応援するハーミド・カルザイ大統領が最多得票(約58%)を得た[25]。2010年、第二回の下院選挙と州議会選挙が行われたが、戦争は更に激しくなりISAFや民間人の死傷者が急増した[26][27]2011年3月にパキスタン人技師誘拐事件が発生し(未解決)[28]2012年7月には爆発事件(1人死亡・26人負傷)[29]やトルコ人技師誘拐事件(救出)が起きた[29]2012年11月にもバングラデシュ人技師の誘拐事件(救出)[30]が起きたが、12月にISAF軍は州都シェベルガーンの治安権限をアフガニスタン軍に移譲した[31]。2013年6月にはドスタムと数十人のボディーガードが、選挙の相談のためにモハマド・アリーム・サイー知事の自宅を訪れてロケット弾発射を伴う小競り合いが起きたと言う[32]。2014年4月、第三回の大統領選挙が実施され、ドスタムを第一副大統領候補に指名したアシュラフ・ガニー元財務大臣が州内で最多得票(約69%)を得た[33]

政治[編集]

政治勢力[編集]

アフガニスタン国民イスラム運動英語版(Junbesh党)の抗議活動によって、ジュマ・カーン・ハムダード知事[22]やモハマド・アリーム・サイー知事[32]などが交代させられている。

行政区分[編集]

ジョウズジャーン州の郡

ジョウズジャーン州は11の郡に分かれている[5]。1市10郡を擁する[2]

  1. Aqchah(アークチャ郡[3]
  2. Darzab(ダルザーブ郡[3]
  3. Faizabad(ファイザーバード郡[3]
  4. Khamyab(ハムヤーブ郡[3]
  5. Khanaqa(ハーナカー郡[3]
  6. Khwaja Dukoh(フワージャ・デューコー郡[3]
  7. Mardyan(マルディーアン郡[3]
  8. Mingajik(ミンガジク郡[3]
  9. Qarqin(カルキーン郡[3]
  10. Qush Tepa(クーシュ・テパ郡[3]
  11. Sheberghan - 州都シェベルガーン[3]

主要都市[編集]

人口が最も多いのは州都のあるシェベルガーン郡(約16万人)で、東部のアークチャ郡(約7万人)や最南端のダルザーブ郡(約5万人)にも多くの住民が居る[5]

産業[編集]

天然ガスと大麦、小麦を産出する。

農業[編集]

ジョウズジャーン州の農作物(2012年度)[34]
種類 生産量 順位
小麦 32万5000トン 5位
大麦 3万6000トン 4位
とうもろこし 1万4080トン 7位
綿花 2201トン 6位
グレープフルーツ 332トン 12位
アーモンド 170トン 12位
りんご 15トン 29位

ジョウズジャーン州の小麦(34州中5位)や大麦(34州中4位)の生産は全国的に見ても盛んで[34]綿花(34州中6位)がかなり生産されている[34]グレープフルーツ(34州中12位)の生産は平均的だが、りんご(34州中29位)はほとんど生産されていない。またバルフ州と比べてトウモロコシ(34州中7位)を2倍以上産出するが[34]ザクロは生産されていない[34]

鉱業[編集]

州都シェベルガーンはトルクメニスタンの地底から数百キロメートル続く広大なアムダリヤ堆積盆地(Armu Darya Basin)の南端にあり[35]天然ガスや石油を産出する。本格的な天然ガスの採掘は1950年代に始まり、ソビエト連邦の協力でヤテームタク(Yateemtaq)、ゲルクダク(Gerquduq)、ホジャ・ゴジャダク(Khoja Gogerdak)の三大ガス田をはじめ、ジュマ(Juma)やバシクード(Bashikurd)、Khoja Bolan、Jangle-e-Kolan、Checkchi、シャカラク[3](Shakarak)など多くのガス田が発見された[36]。生産した天然ガスはソビエト連邦への輸出やマザーリシャリーフの発電所(Northern Fertilizer and Power Plant)や織物工場で使用されていた[36]。しかし1989年にソビエト軍が撤退すると生産は急激に落ち込み、内戦の間はほとんど生産されて居なかった[36]。本格的な生産を再開したのは20年以上経過した2011年で、アフガン・ガス・エンタープライズ(Afghan Gas Enterprise)が一日45万立方メートルの天然ガスを生産し、州内やマザーリシャリーフに供給している[36]

現在、老朽化した設備の交換や増設、天然ガスの増産や新規開発計画が進行中である。例えば天然ガス不足で発電能力を生かしきれて居ないマザーリシャリーフのNFPP発電所や都市ガスのためにヤテームタクとジャークダク(Jarqduq)ガス田の生産量を100万立方メートル/日に倍増させ[37]、老朽化したパイプラインの交換と増設も行う計画や[38]自動車用の圧縮天然ガス(CNG)の生産[39]、ジュマやバシクード・ガス田の新規開発計画などが進んでいる[40]

住民[編集]

民族[編集]

ジョウズジャーン州で最も人口が多いのはウズベク人(約4割)とトルクメン人だと言われている[5]。その他にはタジク人パシュトゥーン人アラブ人が続く[5]

言語[編集]

ジョウズジャーン州の言語はウズベク語(40%)とトルクメン語(29%)が7割を占め、パシュトゥー語(17%)とダリー語(12%)が続く[5]。識字率は31%である[5]

宗教[編集]

遺跡[編集]

シェベルガーンの北方5キロメートルには、ティッラー・テペ遺跡がある。この遺跡は1970年代後半にサリアニディーとタルズィーが発見した遺跡で、数千点の金製装飾品が見つかり注目を浴びた。遺跡は長方形の基壇(縦36メートル、横28メートル、高さ6メートル)を中心に日干し煉瓦製の壁や円塔がある。基壇は紀元前11~9世紀頃に作られたもので、紀元前9~7世紀の土器や1世紀頃までの未盗掘の墓が6基見つかっている。墓からは埋葬者の衣服を飾る2万点の金属製装飾品をはじめローマ・インド・パルティアのコイン、ローマのガラス製品、インドの象牙、中国の銀製眼鏡などが見つかった[41]

主な出身者[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ Afghan Biographies - Sayee, Mohammed Alim Alem Alam”. Afghanistan Online. 2014年2月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Area and Administrative and Population”. Islamic Republic of Afghanistan (2013年). 2014年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月3日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n The U.S. Board on Geographic Name”. U.S. Department of the Interior. 2014年2月14日閲覧。
  4. ^ ペルシア語ラテン翻字: Jowzjān
  5. ^ a b c d e f g Ministry of Rural Rehabilitation and Development (2013年). “Jawzjan Provincial Profile”. Islamic Republic of Afghanistan. 2014年2月9日閲覧。
  6. ^ 厳しい寒さで幼い子ども27人死亡、アフガニスタン北部”. AFP (2017年1月27日). 2018年3月22日閲覧。
  7. ^ 「アフガニスタンの歴史と文化」P318
  8. ^ マルコ・ポーロ、愛宕 松男 『完訳 東方見聞録1』 平凡社2000年、145-146頁。ISBN 978-4582763263
  9. ^ 「アフガニスタンの歴史と文化」P320
  10. ^ 「アフガニスタンの歴史と文化」P335~338
  11. ^ 「アフガニスタンの歴史と文化」P394
  12. ^ 嶋田晴行 ( エラー: 月日を month や day に分けずに date にまとめて記入してください。). “アフガニスタン支援への教訓―冷戦期の援助競争の経験から”. 国際協力論集 (神戸大学) 18 (2). http://www.research.kobe-u.ac.jp/gsics-publication/jics/shimada_18-2.pdf 2015年3月3日閲覧。. 
  13. ^ a b "Provinces of Afghanistan". Statoids. 2014年3月2日閲覧. 
  14. ^ ヴィレム・フォーヘルサング 『アフガニスタンの歴史と文化』 明石書店2005年ISBN 978-4750320700
  15. ^ 高橋 博史 (1998年). “タリバーンによるマザリシャリフの攻略―ドストム将軍の凋落 1998年のアフガニスタン”. 日本貿易振興機構(ジェトロ) アジア経済研究所. 2014年2月20日閲覧。
  16. ^ Karon, Tony (2001年11月9日). “Rebels: Mazar-i-Sharif is Ours”. Time. オリジナル2010年10月30日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101030065844/http://www.time.com/time/nation/article/0,8599,183885,00.html 2010年9月27日閲覧。 
  17. ^ Afghan warlords agree ceasefire”. BBC NEWS (2003年10月9日). 2014年2月17日閲覧。
  18. ^ 山根 聡 (2004年). “憲法発布と大統領選挙による正式政権樹立 2004年のアフガニスタン”. 日本貿易振興機構(ジェトロ) アジア経済研究所. 2014年2月17日閲覧。
  19. ^ Jozjan Province”. Independent Election Commission of Afghanistan. 2014年2月17日閲覧。
  20. ^ Dostum gets Afghan military role”. BBC NEWS (2005年3月2日). 2014年2月17日閲覧。
  21. ^ Fears over Afghan factional clash”. BBC NEWS (2007年5月31日). 2014年3月23日閲覧。
  22. ^ a b Afghan city tense after protests”. BBC NEWS (2007年5月29日). 2014年2月17日閲覧。
  23. ^ The Afghan ship-container 'massacre'”. BBC NEWS (2009年7月13日). 2014年2月17日閲覧。
  24. ^ Defining moment for Afghanistan”. BBC NEWS (2009年9月5日). 2014年2月17日閲覧。
  25. ^ Juzjan Province”. Independent Election Commission of Afghanistan. 2014年2月17日閲覧。
  26. ^ アフガニスタン駐留兵の今年の死者600人に、過去最悪のペース”. AFP BBNews (2010年10月26日). 2014年2月22日閲覧。
  27. ^ 2010年の民間人死者、タリバン政権崩壊後最悪に アフガニスタン”. AFP BBNews (2010年3月9日). 2014年2月22日閲覧。
  28. ^ アフガニスタンに対する渡航情報(危険情報)の発出”. 外務省. 2014年2月9日閲覧。
  29. ^ a b アフガニスタン:治安情勢”. 外務省. 2014年2月9日閲覧。
  30. ^ アフガニスタン:治安情勢”. 外務省. 2014年2月9日閲覧。
  31. ^ アフガニスタン:治安情勢”. 外務省. 2014年2月6日閲覧。
  32. ^ a b After Gunfire, Politicians in Afghanistan Trade Accusations”. The NewYork Times (2013年6月17日). 2014年3月23日閲覧。
  33. ^ 2014 Elections Results”. Independent Election Commission of Afghanistan. 2015年2月24日閲覧。
  34. ^ a b c d e Agriculture Development”. Islamic Republic of Afghanistan (2013年). 2014年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月5日閲覧。
  35. ^ Assessment of Undiscovered Oil and Gas Resources of the Amu Darya Basin and Afghan–Tajik Basin Provinces, Afghanistan, Iran, Tajikistan, Turkmenistan, and Uzbekistan, 2011”. USGS (2012年2月2日). 2014年2月10日閲覧。
  36. ^ a b c d A Brief History of Natural Gas in Afghanistan”. USAID. 2014年2月10日閲覧。
  37. ^ Ministry of Mines and Petroleum (2012年10月17日). “Rehabilitation and Reconstruction Contract for Sheberghan Gas Wells Signed”. Islamic Republic of Afghanistan. 2014年2月10日閲覧。
  38. ^ Ministry of Mines and Petroleum (2013年5月11日). “US to Reconstruct Existing Sheberghan - Mazar Gas Pipeline, Build New 94 km Pipeline & Install Gas Refinery Plant”. Islamic Republic of Afghanistan. 2014年2月10日閲覧。
  39. ^ Ministry of Mines and Petroleum (2012年5月13日). “First CNG Complex Inaugurated in Shibirghan City”. Islamic Republic of Afghanistan. 2014年2月10日閲覧。
  40. ^ Ministry of Mines and Petroleum (2012年12月16日). “A tender for drilling, re-entry, logging, and testing of four gas wells in Jawjzan Province, has been announced by the Ministry of Mines”. Islamic Republic of Afghanistan. 2014年2月10日閲覧。
  41. ^ P128、P225

関連項目[編集]