ヌーリスターン州

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ヌーリスターン州
座標: 北緯35度18分 東経70度50分 / 北緯35.300度 東経70.833度 / 35.300; 70.833
アフガニスタンの旗 アフガニスタン
州都 パールーン
行政[1]
 - 州知事 ハフィズ・カイユム・ヌーリスターニ (Dawat Islami Afghanistan)
面積[2]
 - 計 9,266.7km2 (3,577.9mi2)
標高[3] 2,523m (8,278ft)
人口 (2012)[2]
 - 計 140,900人
 - 人口密度 15.2人/km² (39.4人/mi²)
等時帯 UTC+4:30
ISO 3166コード AF-NUR
主要言語 ヌーリスターン語派
パシャイ語
座標は[4]

ヌーリスターン州(ヌーリスターンしゅう、ラテン翻字: Nūrestān[4]ペルシア語: نورستان‎)は、アフガニスタン東部のである。面積は9267平方キロメートル(34州中23位)[2]、総人口は約14万人(34州中34位)[2]、人口密度は15人/平方キロ(34州中31位)である[2]ヌーリスタン県と表記されることもある[5]。州都はパールーン英語版

名称[編集]

ヌーリスターンとは、光に照らされた土地という意味である[6]

地理[編集]

ヌーリスターン州の地図。ヌーリスターン州の町は黒い太字で表記してある。

ヌーリスターン州は4,000m以上の山々が連なるヒンドゥークシュ山脈の山中にある。州内はアリーンガール川[4]ペーチ川[4]など3つの河川流域に分かれており、ラグマーン州カーブル川クナル州クナル川に注いでいる。

歴史[編集]

古代[編集]

ヌーリスターン人はインド・ヨーロッパ祖語話者の末裔だと考えられている。また、ヌーリスターンはアレクサンドロス大王が遠征の際に通過した土地にあたるので、ヌーリスターン人はアレクサンドロス大王の末裔だという風説も西欧にある[要出典]

近世・近代[編集]

1890年代まで、この地域はカーフィリスターン英語版 (ペルシア語で『不信仰者の地」の意)として知られていた。民族的に他地域とは異なる、アニミズムを信仰する約60,000人のヌーリスターン人 (ヌーリスターン語派話者) が居住していたからである。しかし1895年 - 1896年にこの地はアブドゥッラフマーン・ハーンに征服され、住民はイスラム教に強制的に改宗させられた。そして土地の名も、異教の民がイスラームの光に照らされたとしてヌーリスターン (光の地) と改称された[要出典]

冷戦時代[編集]

1978年にはアフガニスタン民主共和国が成立し、翌年ソビエト連邦軍が軍事介入してアフガニスタン紛争 (1978年-1989年)が始まった。ムジャーヒディーンはアフガニスタン各地でゲリラ活動を繰り広げたが、1981年頃のヌーリスターン州はその中でも特にゲリラ活動が活発な地域の1つだった[7]。州東部はマラウイ・アフザルの軍閥が支配し、サウジアラビアパキスタンの支援を受けて半独立状態にあった。その頃のヌーリスターン州はラグマーン州クナル州の一部だったが、1988年7月に独立した州になった[6]

アメリカ同時多発テロ事件以降[編集]

2001年9月、アメリカ同時多発テロ事件が起き、10月にはアメリカ合衆国がアフガニスタンに侵攻し、有志連合北部同盟と共に戦闘を開始した。しかしターリバーンなどはパキスタンの連邦直轄部族地域へ逃げ込み、国境地帯のヌーリスターン州やクナル州でゲリラ活動を展開した。2003年7月、連合軍はマウンテン・リゾルブ作戦を実施し、イスラム党の指揮官グラム・サヘを殺害した。2004年10月に第一回の大統領選挙が実施され、ヌーリスターン州ではハーミド・カルザイ大統領が最多得票(約58%)を得た[8]。2005年頃のヌーリスターン州では国境警備の警察が無いこと、僻地で労働者が集まらないこと、Kushtuz族とKamdish族の12年間にわたる対立、Arans族とWigal族の土地と水争い、州西部のZunya族とPeyar族の対立などが問題になっていた[9]。2006年4月、連合軍はマウンテン・ライオン作戦(Operation Mountain Lion)を実施したが、8月に反政府軍がカームデーシュ郡のアメリカ軍基地を攻撃した[10]。10月には国際治安支援部隊(ISAF)がアフガニスタン東部で活動を開始した。2008年6月、ワーイガル郡のアメリカ軍前哨基地がターリバーンやイスラム党 (ヘクマティヤール派)、ラシュカレトイバなどに攻撃されてワナトの戦いが起き、アメリカ軍がワーイガル郡から撤退した。

第二回大統領選挙後[編集]

2009年8月に第二回の大統領選挙が実施され、ヌーリスターン州ではハーミド・カルザイ大統領が最多得票(約46%)を得た[11]。しかし10月にカームデーシュの戦いが起き、2012年6月にはカームデーシュ郡の政府関係の建物が襲撃されるなど(死亡10人以上、負傷20人以上)[5]、州の東部を中心に不安定な状態が続いている。一方、州の治安部隊は人員や武器、食料の不足により士気が上がらず[12]、州知事や州警察の長官は武器や給料の横領により逮捕され[12]、住民は病院や道路の整備の遅れにより不満を募らせている[12]。このような状況下で反乱軍は8郡中4郡(バルギ・マタール郡やカームデーシュ郡、ワーイガル郡、デューアーブ郡)を掌握しており、奪還の目処は立っていないと言う[12]

現代[編集]

米国が主導する地方復興チーム (PRT) が州内のカムデシュ郡に展開し、地域の復興と開発を支援している[要出典]

行政区分[編集]

ヌーリスターン州の行政区分

州都を含め1市7県を擁する。

  1. en:Barg-i Matal District(バルギ・マタール郡[4]) - カム族[13]
  2. en:Du Ab District(デューアーブ郡[4]) - カタ族[13]
  3. en:Kamdesh District (カームデーシュ郡[4])- en:Kamdesh, Nuristan、カム族の本拠地[13]
  4. en:Mandol District(マンドール郡[4]) - カム族[13]
  5. en:Nurgaram District(ヌールガラーム郡[4]
  6. en:Parun District(パールーン郡[4]) - 州都パルーン英語版
  7. en:Wama District(ワーマー郡[4]) - アスコリ族の本拠地、カタ族[13]
  8. en:Waygal District(ワーイガル郡[4]) - カタ族の本拠地[13]

産業[編集]

農業[編集]

ヌーリスターン州の農作物 (2012年度)[14]
種類 生産量 順位
小麦 1万7000トン 34位
とうもろこし 6160トン 20位
大麦 5940トン 32位
りんご 35トン 24位
11トン 25位
綿花 5.5トン 15位
ザクロ 1トン 22位

ヌーリスターン州のとうもろこし(34州中20位)やりんご(34州中24位)、(34州中25位)の生産量は全国的に見て平均より少なく[14]小麦(34州中34位)や大麦(34州中32位)の生産量は全国的に見ても最下位レベルである。

交通[編集]

幹線道路はカーブルからラグマーン州やクナル州までは繋がっているが[15]、ヌーリスターン州には届いていない。州内の約4分の3の道路は自動車で通行できず、1年を通して通行可能な道路は1割しかない[13]。中央政府はヌールガラーム郡などで橋の建設を行っている[16]

住民[編集]

民族[編集]

ヌーリスターン人には6つの主要部族があり、カタ族(38%)とカルシャ族(30%)が最も多く、アスコリ族(12%)やカム族(10%)、サトラ族(5%)やパルスーン族(4%)が続く[13]

言語[編集]

ヌーリスターン州の主要言語はヌーリスターン語(78%)であり、パシャイ語(15%)が続く[13]。識字率は14%である[13]

宗教[編集]

小説・映画[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ Afghan Biographies - Nuristani, Hafiz Abdul Qayum”. Afghanistan Online. 2014年2月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e Area and Administrative and Population”. Islamic Republic of Afghanistan (2013年). 2014年2月3日閲覧。
  3. ^ Topological Information About Places On The Earth”. topocoding.com. 2014年3月9日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l The U.S. Board on Geographic Name”. U.S. Department of the Interior. 2014年2月14日閲覧。
  5. ^ a b アフガニスタン:治安情勢”. 外務省 (2012年7月13日). 2014年4月12日閲覧。
  6. ^ a b Provinces of Afghanistan, Statoids, 2014年04月03日閲覧
  7. ^ 今川瑛一、清水学 (1981年). “―定着せぬカルマル政権の支配― 1981年のアフガニスタン”. 日本貿易振興機構(ジェトロ) アジア経済研究所. 2014年4月7日閲覧。
  8. ^ Nooristan Province”. Independent Election Commission of Afghanistan. 2014年3月10日閲覧。
  9. ^ Afghan News 06/29/2005 – Bulletin #1118 Compiled by the Embassy of Afghanistan in Canada”. Ambassade d'Afghanistan Canada (2005年6月29日). 2007年11月7日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年4月14日閲覧。
  10. ^ Alex Morales (2006年8月9日). “Afghanistan Coalition Forces Kill 15 Rebels in East, U.S. Says”. bloomberg. 2014年2月17日閲覧。
  11. ^ Nooristan Province”. Independent Election Commission of Afghanistan. 2014年2月17日閲覧。
  12. ^ a b c d Bilal Sarwary (2013年3月20日). “Afghanistan's Nuristan province 'at mercy of the Taliban'”. BBC NEWS. 2014年4月12日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g h i j Ministry of Rural Rehabilitation and Development (2013年). “Nuristan Provincial Profile”. Islamic Republic of Afghanistan. 2014年4月5日閲覧。
  14. ^ a b Agriculture Development”. Islamic Republic of Afghanistan (2013年). 2014年2月5日閲覧。
  15. ^ google mapで確認
  16. ^ Ministry of Rural Rehabilitation and Development (2012年1月14日). “Agreement of Two Bridges Signed in Nuristan”. Islamic Republic of Afghanistan. 2014年4月12日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]