コビ・ジョーンズ

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コビ・ジョーンズ Football pictogram.svg
Cobi Jones (cropped).jpg
ウェリントン国際空港を出発するジョーンズ
名前
本名 Cobi N'Gai Jones
カタカナ コビ・ヌガイ・ジョーンズ
ラテン文字 Cobi Jones
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1970-06-16) 1970年6月16日(46歳)
出身地 ミシガン州の旗 ミシガン州デトロイト
身長 170cm
体重 72kg
選手情報
ポジション SH
利き足 右足
ユース
アメリカ合衆国の旗 UCLAブルーインズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1995 イングランドの旗 コヴェントリー・シティ 24 (2)
1995-1996 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 4 (1)
1996-2007 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー 306 (70)
代表歴
1992-2004 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 164 (15)
監督歴
2008 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー (暫定)
2008-2010 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー (アシスタント)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

コビ・ヌガイ・ジョーンズCobi N'Gai Jones, 1970年6月16日 - )は、アメリカデトロイト出身の元サッカー選手で元アメリカ代表。現サッカー指導者。現役時代のポジションはサイドハーフ

プレミアリーグコヴェントリー・シティFCでキャリアを開始後、カンピオナート・ブラジレイロCRヴァスコ・ダ・ガマを経て、1996年から新設された母国のメジャーリーグサッカーを支援するためにロサンゼルス・ギャラクシーと契約して以後、2007年に引退するまで11年間に渡って在籍した。また、アメリカ代表としては歴代最多出場記録保持者であり、アメリカサッカー殿堂英語版の一員である。現役引退後は、かつて在籍したギャラクシーでアシスタントを務め、2011年からニューヨーク・コスモスのアソシエイト・ディレクターを務める[1]

経歴[編集]

クラブ[編集]

ユース[編集]

南カリフォルニアで育ったジョーンズは、5歳の時にウェストレイクビレッジにあるAYSOでサッカーを始めた[2]。ウェストレイク高校を卒業後に進学したカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)では、当初非奨学金選手だったものの、オール・ファーウエスト3回、UCLA最優秀オフェンシブ2回される等、卓越した技術を示して最終的に奨学金制度を勝ち取った。また、1991年度のNCAA男子ディビジョンIサッカーチャンピオンシップでは18アシストを記録する活躍からNSCAAによるオール・アメリカン2軍に選出されており[3]、1992年秋にはドイツ1部1.FCケルンの訓練に招待された[4]。なお、UCLA在学中はラムダ・カイ・アルファフラタニティだった[5]

プロ[編集]

同胞ロイ・ウェガリーが所属するイングランド1部コヴェントリー・シティFCと1994年8月9日に1+1年契約を締結[6]し、9月15日に労働許可証が付加されて正式に加入が決定する[7]。初出場を飾った翌16日のリーズ・ユナイテッドAFC戦(2-1)で先制点をアシストすると、さらに持ち前の快足で仕掛けたことによりペナルティーキックを獲得する等、全得点に絡む活躍でチームの1994-95シーズン初勝利に貢献[8][3]し、11月19日のノリッジ・シティFC戦(1-0)でコヴェントリーでの初得点にして決勝点を挙げた[3]

翌年のコパ・アメリカ1995で見事なパフォーマンスを見せた後にブラジル1部CRヴァスコ・ダ・ガマと契約するも、僅か数ヶ月過ごした後、新設されたメジャーリーグサッカーに参加するため1996年3月にロサンゼルス・ギャラクシーと複数年契約を締結[9]し、開幕戦である4月13日のニューヨーク/ニュージャージーメトロスターズ戦で37分にクラブ史上初得点を挙げた[3]。1998年シーズンには、リーグ全体で2番目に高い51ポイント(19得点13アシスト)を記録する活躍と代表での活躍からMLSベストイレブン英語版のみならずUSサッカーアスリートオブザイヤーに選出されている[10]。2005年には、1996年のリーグ創設時から同じチームでプレーし続ける最後の選手となる。2007年3月19日にシーズン終了後に現役引退を表明[11]し、10月21日に現役最後となる試合に出場。クラブは背番号13をクラブ史上にしてリーグ史上初となる永久欠番にすることを発表。ギャラクシーで306試合70得点を記録し、1996年から2003年までの8年連続でMLSオールスターゲームに選出された。

代表[編集]

アメリカ代表として1992年9月3日のカナダ戦(2-0)で初出場を飾り、10月19日のコートジボワール戦(5-2)で初得点を挙げて[3]以降、チームの主力として活躍し、1998年2月10日の1998 CONCACAFゴールドカップでのブラジル戦で同代表最年少となる27歳での通算出場数100試合目を達成した[12]。2000年には、マルセロ・バルボアが保持する同代表の歴代最多出場記録を塗り替え、最終的に2004年のエルサルバドル戦までの間に164試合まで記録を更新している[3]

FIFAワールドカップでは1994 FIFAワールドカップ1998 FIFAワールドカップ2002 FIFAワールドカップの3大会に出場し、CONCACAFゴールドカップでは、2000 CONCACAFゴールドカップでベストイレブン、2002 CONCACAFゴールドカップで優勝を経験。また、1992年のバルセロナオリンピックにも出場した。コパ・アメリカ1995に出場した時には、脱色したドレッドロックスの髪型とコビ・ジョーンズが"escobillón"("モップ")に類似した発音のためにアルゼンチンの解説者から"El escobillón"との愛称で呼ばれたことで一躍南米で人気選手となった。

指導者[編集]

2007年11月9日にルート・フリット監督の下でロサンゼルス・ギャラクシーのアシスタントコーチとなることが発表された[13]。その後、フリット監督が解任された2008年8月11日から暫定ながら監督に就任[14]し、ブルース・アリーナ監督が就任するまでの間を指揮した。

私生活[編集]

サッカー選手以外の活動としては、MTVで"MegaDose"の司会者を3年務め[15]ビバリーヒルズ高校白書カメオ出演している。また、1994 FIFAワールドカップ前にニューズウィークの表紙を飾った[16]

2009年9月12日に長年のガールフレンドのキム・リースと結婚した。音楽コンサルタントと音楽プロデューサーとしてニュー・ライン・シネマに務めているリースとは、2003年に出会って2004年から付き合い始めた。2人は、カールスバッドのフォーシーズンズリゾートアビアラで挙式を挙げた[17]

2011年3月11日にそれまでの功績が讃えられてアメリカサッカー殿堂英語版に選出された[18]

タイトル[編集]

代表

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

クラブ

アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー

個人

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]