クリス・ヘンダーソン

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クリス・ヘンダーソン
コロラド・ラピッズでプレーするヘンダーソン
名前
本名 Christopher Henderson
ラテン文字 Chris Henderson
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1970-12-11) 1970年12月11日(53歳)
出身地 エドモンズ
身長 175cm
選手情報
ポジション MF
ユース
1989-1990 アメリカ合衆国の旗 UCLA
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1989 アメリカ合衆国の旗 シアトル・ストーム英語版
1994-1995 ドイツの旗 FSVフランクフルト 24 (8)
1995-1996 ノルウェーの旗 スターベクIF
1996-1998 アメリカ合衆国の旗 コロラド・ラピッズ 87 (12)
1999-2000 アメリカ合衆国の旗 カンザスシティ・ウィザーズ 61 (12)
2001 アメリカ合衆国の旗 マイアミ・フュージョン 25 (3)
2002-2005 アメリカ合衆国の旗 コロラド・ラピッズ 91 (19)
2005 アメリカ合衆国の旗 コロンバス・クルー 21 (2)
2006 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク・レッドブルズ 32 (3)
代表歴
1990-2001 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 79 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クリストファー・ヘンダーソン (1970年12月11日 – )は、アメリカ合衆国の元サッカー選手である。MFとして、アメリカ合衆国代表で79試合に出場した。バルセロナ五輪にも参加し、引退するまでメジャーリーグサッカーを引っ張っていった。2008年から2021年まで、シアトル・サウンダーズのテクニカルディレクターを務め、現在はインテル・マイアミのサッカーチーフオフィサーとスポーツディレクターを兼任する。

キャリア創成期[編集]

弟にアメリカ合衆国U-20代表英語版であったショーン・ヘンダーソン英語版がいる。高校卒業後の1989年、シアトル・ストーム英語版で1シーズンを過ごした。

その後、UCLAで2年間カレッジサッカーに打ち込み、2年次には全米チャンピオンを勝ち取ることに貢献した。卒業後は、当時ドイツ・ブンデスリーガ2部FSVフランクフルトで1994-95年シーズンにプレーした。そのシーズンを終えたのち、ノルウェーのスターベクIFへと渡った。

メジャーリーグサッカー[編集]

ノルウェーでのシーズンを終え、1996年にアメリカに戻り、メジャーリーグサッカー(MLS)のコロラド・ラピッズの一員となった。すぐさま、29試合3得点8アシストと結果を残し、チームのMVPとなった。その後の2シーズンでも成績を残し、1999年にカンザスシティ・ウィザーズへと移籍、翌2000年には、リーグ戦では9得点9アシストの活躍を見せ、カップ戦ではチームをMLSカップ優勝に導いた。

2001年にマイアミ・フュージョンに移籍し、この年はチームが解散したシーズンだったが、MLSサポーターズ・シールドを勝ち取ることに成功した。チーム解散にあたり、ドラフト会議で選手の分配が行われ、コロラド・ラピッズへ復帰し、復帰初年度から11得点7アシストと活躍した。翌年からの2シーズンは、年齢を感じさせ始めたものの、ポジションをサイドに移して果敢にプレーした。ラピッズでは通算178試合に出場し、120ポイントの勝ち点に貢献する選手となった。2005年にトレードでコロンバス・クルーに加入、2006年にもトレードとなり、ニューヨーク・レッドブルズに加入した。レッドブルズでは全試合出場したが、タイトルには届かず、そのシーズンをもって引退を発表した。[1]

選手引退後[編集]

選手を引退した翌年の2007年の1シーズン、カンザスシティ・ウィザーズのアシスタントコーチを務めた。2008年1月にはシアトル・サウンダーズのテクニカルディレクターとしてフロント入りが発表された。[2]ヘンダーソンの下、サウンダーズは2009年のリーグ拡大でMLSに参戦して以来、11シーズン連続でプレーオフに進出を果たし、USオープンカップを4回、サポーターズ・シールドを1回、MLSカップを1回獲得している。[3]

2021年1月、インテル・マイアミにサッカーチーフオフィサー兼スポーツディレクターとして加入した。[4]

アメリカ合衆国代表チーム[編集]

1990年代を通して、アメリカ合衆国代表として79試合を重ねた。デビュー戦はアイスランド代表戦だった。すぐに代表チームで頭角を現し、1990年ワールドカップイタリア大会への予選突破に貢献した。19歳のヘンダーソンは、ワールドカップ本戦のメンバーにチーム最年少として選出されたが、行われた3試合すべてでメンバー外となってしまった。また、1992年のバルセロナ五輪の代表選手としても選出されている。

代表チームでは1998年2月、ワールドカップフランス大会の準備試合である、ベルギー代表戦までプレーし続けた。長年にわたり、代表での重要なポジションを担ってきたが、ワールドカップ本戦のメンバー入りはならなかった。一時、代表選出からは外れていたが、2000年10月に、再び代表選手として選出、2001年9月が最後の代表での出場となった。代表での通算成績は79試合3得点を数えるが、ワールドカップでの出場は一度もない。

脚注[編集]

  1. ^ Nierman, Jonathan (2006年12月22日). “MLS original Henderson retires”. MLSnet.com. 2007年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月8日閲覧。
  2. ^ Romero, José Miguel (2008年1月24日). “Henderson named technical director for Seattle's MLS team”. The Seattle Times. 2012年7月8日閲覧。
  3. ^ Evans, Jayda (2021年1月18日). “Chris Henderson leaves Sounders to join Inter Miami”. The Seattle Times. https://www.seattletimes.com/sports/sounders/chris-henderson-leaves-sounders-to-join-inter-miami/ 2021年2月8日閲覧。 
  4. ^ Price, Khobi (2021年1月18日). “Chris Henderson named Inter Miami's chief soccer officer, sporting director”. Sun-Sentinel. https://www.sun-sentinel.com/sports/soccer/inter-miami/fl-sp-chris-henderson-inter-miami-20210118-ump3vh5e5ngznfostmtqyfqoei-story.html 2021年2月8日閲覧。 

外部リンク[編集]