エリック・ウィナルダ

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名前
本名 エリック・ボズウェル・ウィナルダ
Eric Boswell Wynalda
ラテン文字 Eric Wynalda
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1969-06-09) 1969年6月9日(48歳)
出身地 フラートン
身長 185cm
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1992 アメリカ合衆国の旗 サンディエゴ・ノーマッズ英語版 6 (0)
1990-1992 アメリカ合衆国の旗サンフランシスコベイ・ブラックホークス英語版 (loan) 17 (5)
1992-1994 ドイツの旗 1.FCザールブリュッケン 61 (21)
1994-1996 ドイツの旗 VfLボーフム 29 (4)
1996-1999 アメリカ合衆国の旗 サンノゼ・クラッシュ 57 (21)
1999 メキシコの旗 クラブ・レオン (loan) 5 (0)
1999-2000 アメリカ合衆国の旗 マイアミ・フュージョン 12 (3)
2000-2001 アメリカ合衆国の旗 ニューイングランド・レボリューション 8 (0)
2001 アメリカ合衆国の旗 シカゴ・ファイアー 21 (10)
2007-2008 アメリカ合衆国の旗 ベーカーズフィールド・ブリゲード英語版 4 (0)
代表歴
1990-2000 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 107 (34)
監督歴
2010-2011 アメリカ合衆国の旗 サンディエゴ・フラッシュ英語版 (assistant)
2012 アメリカ合衆国の旗 Cal FC英語版
2012 アメリカ合衆国の旗 アトランタ・シルバーバックス (interim)
2014- アメリカ合衆国の旗 アトランタ・シルバーバックス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エリック・ウィナルダ (Eric Boswell Wynalda 1969年6月9日 - ) は元サッカー選手でスポーツキャスターである。現在、FOXスポーツ1でサッカー解説をしつつ、北米サッカーリーグ(NASL)のアトランタシルバーバックスのテクニカルダイレクターの職に就いている。

ウィナルダは1996年のメジャーリーグサッカー(MLS)で最初のゴールを記録した選手として、また、2008年まではアメリカ代表の最多得点記録者であった。彼は「狡猾で、ボールのないときにも精力的に動き、強烈なシュートの持ち主」と評された。[1]2004年にアメリカサッカー殿堂に選ばれている。

ユースと大学時代[編集]

デンマーク系アメリカ人のウィナルダはウエストレイクビレッジで生まれ育った。少年の頃、エリックの父親がコーチをしていたウエストレイクウルブスに所属し、全米ユースサッカー協会英語版(AYSO)の州大会で優勝した。その年、そのリーグの他の全チームの得点数よりも多くのゴールを挙げた(16試合58ゴール)。彼のサッカー技術は年々向上し、ウエストレイク高校にいた時には、3度の全州選抜に選ばれ、のちに代表でもともに活躍する、コビ・ジョーンズとも知り合った。

彼はサンディエゴ州立大学(SDSU)に進学し、1987年から1989年まで、大学のチームである、アズテクスの一員としてプレーし、34ゴールと25以上のアシストを3シーズンで記録した。1年次にSDSUは全米大学体育協会(NCAA)のサッカー選手権でブルース・マーレイが率いるクレムソン・タイガーズに辛酸をなめた。SDSUにいる間、並行して地元のセミプロクラブ、ウエスタン・サッカー連盟英語版のサンディエゴ・ノーマッズで2シーズンを過ごし、1988年に1試合、1989年に5試合をノーマッズでプレーしている。[2]

プロキャリア[編集]

1990年ワールドカップに向けて、ウィナルダはアメリカ合衆国サッカー連盟(USSF)と契約した。ワールドカップの後に、ローン移籍で北米プロサッカーリーグのサンフランシスコベイ・ブラックホークス英語版へ移籍した。3シーズン近くブラックホークスに所属はしていたものの、指折り数えるほどしかチームのためにはプレーせず、ほとんどがアメリカ代表チームのために時間を割いていた。

1992年8月、USSFは再びローン移籍でドイツ・ブンデスリーガ1.FCザールブリュッケンに4万5千ドルで移籍した。ザールブリュッケンに到着した彼は、ドイツのトップリーグ初のアメリカ人選手として迎えられた。彼はすぐにシーズンの前半で8ゴールと、クラブにインパクトを残した。この活躍でザールブリュッケンはUSSFからウィナルダを40万5千ドルで買い取った。彼はブンデスリーガの最優秀新人賞を獲得、それはアメリカ生まれの選手が獲得した賞として、世界中に大きな衝撃を与えた。2年目のシーズンである1993-1994年は14ゴール25アシストを叩き出し、リーグのベストプレーヤーとして名を挙げられ、これもまた、アメリカ出身選手としての快挙としてヨーロッパのリーグでの快挙となった。彼は、シーズン終了後に2部クラブのVfLボーフムに85万ドルで移籍した。彼は8月30日にヘルニアの手術を受けたからである。

ウィナルダは1996年にアメリカに戻り、メジャーリーグサッカー(MLS)と契約した。新しいリーグを創設するにあたって、有名選手は新しいチームに均等に配分されることになっていて、リーグはウィナルダをサンノゼ・クラッシュに充てた。4月6日、彼はD.C.ユナイテッド戦でリーグ創設初のゴールを決めた。この年、彼はUSサッカーアスリートオブザイヤーを獲得している。

ウィナルダは1999年にメキシコクラブ・レオンにローン移籍した。彼はレオンにいる間、前十字靭帯と左膝半月板損傷で何ヶ月もの間、戦線離脱の苦痛な日々を過ごした。[3]その後、1999年の最初の11試合を欠場し、クラッシュはマイアミ・フュージョンに彼をトレードした。2000年8月、今度はフュージョンがニューイングランド・レボリューションイヴァン・マッキンリー英語版とトレードしたが、これはフュージョンの攻撃陣を弱体化させる結果になった。

2001年5月3日、レボリューションはシカゴ・ファイアーとの間にジョン・ウォリニークとの間にトレードが成立し、彼のMLSでのキャリアはこのシーズン限りで終わり、MLSでの通算はレギュラーシーズンで34ゴール、プレーオフで2ゴールという記録を残した。2002年、ウィナルダはロサンゼルス・ギャラクシーに加入するという話があり、ギャラクシーで引退するという話もあった。しかし、ギャラクシーとの交渉はうまく行かず、彼はユナイテッド・サッカーリーグ(USL)のチャールストン・バッテリーと契約した。チームに参加してすぐのプレシーズンマッチで前十字靭帯を断裂し[4]、引退をすることを決意し、サッカー解説者の道へ進んだ。

アメリカ代表[編集]

ウィナルダは1990年2月2日のコスタリカ戦で代表初出場を果たした。同年3月14日、彼はUSSFと契約し、代表チームに常に帯同することとなった。[5]イタリアワールドカップでのチェコスロバキア戦でレッドカードを受けた。

1994年のワールドカップスイス戦で25.6メートルのフリーキックを決め、引き分けに持ち込んだ。そして、コパ・アメリカ1995では全試合に出場し、チリアルゼンチンを相手にゴールを決めている。

1998年、ウィナルダは3度目のワールドカップ(フランス開催のワールドカップ)に参加し、3度のワールドカップメンバー入りは当時、アメリカ史上タブ・ラモスマルセロ・バルボアと合わせ、3人だけの偉業だった。しかし、彼はノーゴールで大会を終えた。

ウィナルダは代表を引退し、残した記録は106試合34ゴールだった。彼のゴール記録は、2007年にランドン・ドノバンCONCACAFゴールドカップでのメキシコ戦でのペナルティキック(PK)を決めるまで、追いつかれることはなく、翌年のスウェーデンとの親善試合でのPKで遂に新記録を打ち立てられた。

ウィナルダはアメリカの1990年代の最高の選手、CONCACAFの同年代の最高の選手とされ、2004年にはアメリカサッカー殿堂入りを果たした。

代表戦ゴール[編集]

引退後のサッカーとの関わり[編集]

2005年、USLプレミアデベロップメントリーグベイカーズフィールド・ブリゲード英語版がウィナルダをテクニカルダイレクターとして迎え入れ[6]、2007年には、彼を短期ながらも選手としてシーズン終盤に登録する契約をした。[7]同年5月1日、シーズンを通しての契約をブリゲードと取り交わすことに合意した。[8]

彼はまた、ロサンゼルスにある30歳以上限定のアマチュアチーム、ハリウッド・ユナイテッド英語版でも、元代表の仲間、アレクシー・ララスジョン・ハークス、元フランス代表フランク・ルブーフ、元ウェールズ代表ヴィニー・ジョーンズ、そして俳優のアンソニー・ラパーリアとサッカーに興じている。[9]なお、テッドは、ロサンゼルス・オリンピックサッカーリーグに所属している。[10]

CAL FCの監督として[編集]

ウィナルダは2012年以来Cal FC英語版の監督を務め、同年のUSオープンカップでは4回戦に駒を進め、USLプロフェッショナルリーグウィルミントン・ハンマーヘッズに4-0という番狂わせを演じ[11]、MLSのポートランド・ティンバーズにも1-0と勝利した。

Cal FCのティンバーズに対しての勝利は、アマチュア組織であるUSASA英語版史上初めてプロであるMLSのチームを倒したことでもあり、それはPK戦以外での勝利が初めてだということでもあった。これはUSオープンカップ史上最大の番狂わせであり、特筆すべきは、ティンバーズがレギュラーメンバーで戦っていたということであった。[12][13][14][15][16][17]

アトランタ・シルバーバックス時代[編集]

2012年7月2日、ウィナルダは北米サッカーリーグアトランタ・シルバーバックスの暫定監督とチームアドバイザーに就任することが発表された。[18]

2014年1月7日、シルバーバックスはウィナルダを今度は正式な監督として迎え入れ、テクニカルダイレクターの職も兼ねると発表した。これはプロのサッカークラブでも稀な兼任であった。[19]

サッカー解説者として[編集]

引退後、ウィナルダはESPNでサッカー解説者としてのキャリアを歩み始めた。2006年のワールドカップの英語放送のスタジオ解説者として、ララスと共に仕事をこなした。ウィナルダは大会中に、アメリカ代表監督のブルース・アリーナに辛辣なコメントを呈していた。しかし、ワールドカップ後のMLSカップのプレーオフの解説を彼と一緒にこなした時には、友好的なペアとして、 2007年のESPNがカバーする代表戦放送の解説を成功させた。同年のMLSではESPNとABCの解説者の一人として活躍した。

2008年、ロサンゼルスを基盤とした、MLSライセンスを持つメジャーリーグサッカーマガジン誌のコラムニストになった。

2009年8月には、FOXサッカーチャンネルがスティーブン・コーエン英語版に代わり、毎週のサッカー討論番組、「FOXフットボールフォーンイン」の共同ホストを、CAL FCにおいてUSオープンカップで躍進した時のコーチであるニック・ウェブスター英語版とすると発表した。さらに、ウィナルダはMLSチャンネルの解説者、UEFAチャンピオンズリーグのスタジオ解説者として、試合前、ハーフタイム、試合後の各箇所で解説を始めた。

2010年の6月から7月にかけて、ヤフースポーツのビデオブログ解説者としてもワールドカップをカバーしている。

彼はいま、FOXスポーツ1の毎日放送される番組、「FOXサッカーデイリー」の解説者をしている。

脚注[編集]

  1. ^ The Most Influential XI as U.S. Soccer turns 100”. espnfc.com. 2013年6月3日閲覧。
  2. ^ The A-League Archives”. A-leaguearchive.tripod.com (2009年1月20日). 2010年6月18日閲覧。
  3. ^ Surgery for Wynalda
  4. ^ Wynalda Out With Probable ACL Tear
  5. ^ “SPORTS PEOPLE - SOCCER - SPORTS PEOPLE - SOCCER - U.S. Federation Signs 2 - NYTimes.com”. New York Times. (1990年3月15日). http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C0CE5DF1F31F936A25750C0A966958260 2010年6月18日閲覧。 
  6. ^ Demosphere International, Inc. (2005年12月18日). “United Soccer Leagues (USL)”. Uslsoccer.com. 2010年6月18日閲覧。
  7. ^ Demosphere International, Inc. (2007年7月3日). “United Soccer Leagues (USL)”. Uslsoccer.com. 2010年6月18日閲覧。
  8. ^ Curley, Joe (2010年6月14日). “Wynalda joins Bakersfield Brigade”. Ventura County Star. 2010年6月18日閲覧。
  9. ^ TheOriginalWinger.com”. Evenison.com (2010年3月11日). 2010年6月18日閲覧。
  10. ^ Olympic Soccer League”. Eteamz.active.com. 2010年6月18日閲覧。
  11. ^ http://thecup.us/2012-us-open-cup-second-round-eric-wynaldas-cal-fc-upends-host-wilmington-hammerheads-in-stunning-4-0-result/
  12. ^ Cal FC upsets Timbers 1-0 in US Open Cup match”. FoxSoccer.com. Associated Press (2012年5月31日). 2012年5月31日閲覧。
  13. ^ Arnold, Geoffrey (2012年5月30日). “Amateur squad shocks Portland Timbers in U.S. Open Cup”. OregonLive.com. The Oregonian. 2012年5月31日閲覧。
  14. ^ Itel, Dan (2012年5月30日). “USOC RECAP: Timbers fall 1-0 to Cal FC in extra time”. PortlandTimbers.com. Major League Soccer. 2012年5月31日閲覧。
  15. ^ Curley, Joe (2012年5月30日). “T.O.-based Cal F.C. upsets MLS' Timbers”. VCStar.com. Ventura County Star. 2012年5月31日閲覧。
  16. ^ Evans, Simon (2012年5月31日). “Timber! Portland felled by amateurs in cup upset”. Reuters. 2012年5月31日閲覧。
  17. ^ French, Scott (2012年5月31日). “OPEN CUP: Cal FC stuns Timbers”. ESPN LA. 2012年5月31日閲覧。
  18. ^ Eric Wynalda Named Interim Coach of the Atlanta Silverbacks ”. 2015年1月5日閲覧。
  19. ^ NASL's Atlanta Silverbacks eliminate head coaching post, hand duties to Eric Wynalda ”. 2015年1月5日閲覧。