グレグ・ノーマン

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No image.svg グレグ・ノーマン Golf pictogram.svg
Greg Norman
Greg Norman, Open 2008 (2).jpg
基本情報
名前 グレグ・ノーマン
生年月日 (1955-02-10) 1955年2月10日(62歳)
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
出身地 オーストラリアクイーンズランド州マウントアイザ
経歴
成績
優勝回数 欧州ツアー:14勝
PGAツアー:20勝 など
賞金王 欧州ツアー:1982年
PGAツアー:1986年・1990年・1995年
世界ランク最高位 1位
賞金ランク最高位 1位
殿堂表彰者
選出年 2001年
選出部門 PGAツアー
2012年11月30日現在
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グレグ・ノーマンGreg Norman, 1955年2月10日 - )は、オーストラリアクイーンズランド州マウントアイザ出身のプロゴルファーである。White Sharkホワイト・シャーク)というニックネームで知られている。

経歴・人物[編集]

1976年にプロ入り。世界各国で合計68勝を挙げている。全盛期にはゴルフ世界ランキング1位を通算「331週」保持しており、これはワールドゴルフランキング制度が発足した1985年以降ではタイガー・ウッズに次ぐ記録である。1986年1993年の2度、全英オープンで優勝している(第115、122回大会)。特に、1986年は「ノーマンの年」「グレグ・イヤー」と言われるほど、世界を舞台に活躍した。四大メジャー大会すべてで、54ホール終了時点で首位に立ち、最終日に最終組で廻り「ノーマンスラム」「サタデースラム」と呼ばれているが、メジャー優勝は全英オープンのみ。イギリス・ヨーロッパ・オーストラリアでの6戦連続勝利などを経て、全豪オープンでテリー・ゲイルに1打差で勝利して、このシーズンは10勝を挙げた。なお、ノーマンの7連勝を阻んだのはマイク・ハーウッドであり、ハーウッドの地元のキャッスルヒルカントリークラブ(パー72)開催の全豪プロ選手権で最終日にコースレコード64で廻ってノーマンに2打差で勝利したが、これは同時にノーマンの大会3連覇を阻止するものであった。1993年のロイヤルセントジョージズでの全英オープンにはブッチ・ハーモンとスイング改造して臨み、全英オープン最少打数で4日間ラウンドして、2度目で最後のメジャー優勝。

アメリカPGAツアーでは通算18勝を挙げており、2度の全英優勝を含めた合計勝利数が20勝となったためPGAツアーの永久シード選手となっている[2]

これだけの実績があるにも拘わらずアメリカ開催のメジャー大会では2位が8度あるなどたびたび優勝争いには加わるもののタイトルには縁がなく、多くの大会で辛酸をなめてきた。とりわけ1996年マスターズ・トーナメントでは、初日にコースレコードをマークするなど3日目までは2位と6打差の単独首位で最終日を迎えながら、最終ラウンドで「78」(6オーバー)をたたき、優勝したニック・ファルドに逆に5打差をつけられて大逆転負けを喫した。

日本のツアーでは1989年の「中日クラウンズ」、1993年の「三井住友VISA太平洋マスターズ」で2度優勝している。

2008年、元女子プロテニスプレイヤーのクリス・エバートと再婚。その後に開催された全英オープンでは3日目まで首位にいながら、最終日にパドレイグ・ハリントンに逆転され3位に終わる。クリス・エバートとは2009年10月に離婚した。

日本のプロゴルファー青木功とは長年の親友であり、青木が左肘を故障した際には、主治医の紹介やその後のケアなどにも心配りがあったという。青木が世界ゴルフ殿堂入りした際には、そのプレゼンターを務めた。また元F1チャンピオンのナイジェル・マンセルとも親友で、マンセルは自分の次男に「グレグ」と名付けている。

多方面のビジネスも手がけており、近年はゴルフコース設計やワイン販売など実業家としての活動も行っている。

2013年リオデジャネイロ五輪に向けた中国代表チームの特別コーチに任命された[1]

2014年からはフォックス放送のゴルフ中継においてノーマンがホストを務めるフランクリン・テンプルトン・シュートアウトUSGA主催の全米オープンの解説者として務めている。

ゴルフオーストラリアの国際親善大使(INTERNATIONAL AMBASSADORS)を務めている[いつから?]

主なツアー優勝歴[編集]

PGAツアー[編集]

日本ツアー[編集]

  • 1989年:中日クラウンズ
  • 1993年:住友VISA太平洋マスターズ

脚注[編集]

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  1. ^ [1]

外部リンク[編集]