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龍虎勢朋

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りゅうこせいほう
龍虎勢朋
本名 鈴木 一清
別名義 龍虎 孝宗
龍虎
生年月日 (1941-01-09) 1941年1月9日(83歳)
出生地 東京都大田区
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
身長 186cm
職業大相撲力士
タレント
俳優
ジャンル テレビドラマ
映画など
活動期間 1957年 - 現在
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龍虎 勢朋(りゅうこ せいほう、1941年1月9日 - )は、日本の元大相撲力士、現在はタレントコメンテーター俳優。本名は鈴木 一清(すずき かずきよ)。現在の芸名は龍虎 孝宗

東京都大田区出身。東京都立大森高等学校中退。花籠部屋所属。最高位は東小結。現役時代は身長186cm、体重132kg。

来歴

大相撲時代

1957年1月場所、花籠部屋から初土俵(同期に第52代横綱北の富士がいる)。若乃花には新弟子の頃からかわいがられ、二子山(若乃花)独立の際について行くことを志望しながら師匠花籠が移籍を認めた力士に含まれていなかったために移籍は認められず残留することになった。1967年3月場所新十両1968年3月場所新入幕。初土俵より11年かけての幕内昇進は当時の最スロー記録であった。新入幕の場所11勝を挙げ敢闘賞を獲得。1969年5月場所(前頭2枚目)で大鵬から初金星を挙げ、この場所8勝7敗で殊勲賞を獲得。翌7月場所も前頭筆頭で8勝を挙げたが新三役に昇進できず、翌9月場所同位置で3勝12敗と大敗したが、その後はほぼ安定した成績を挙げ幕内上位を保持している。

ようやく1970年3月場所新三役(小結)。突っ張りを交えた気風のよい相撲振りと美男力士として人気を博し1970年9月場所、前頭11枚目で自己最高の13勝を挙げた。しかし、翌1971年11月場所6日目に前頭7枚目義ノ花戦で左アキレス腱を断裂して3場所連続全休で幕下まで落ちた。このケガが1972年1月場所より公傷制度が設けられるきっかけとなったが(2003年11月場所限りで廃止)、龍虎自身には適用されず、大いに同情を集めた。

しかし、不屈の闘志と努力で幕下優勝(1972年9月場所、7戦全勝)、十両優勝(1973年3月場所、11勝4敗)を重ね、1973年7月場所に再入幕。1974年9月場所では、新横綱の北の湖から通算2個目の金星を獲得。1975年1月場所で三役にカムバックした(破門などのブランクなしで幕下へ降下した元三役の三役復帰は史上初)。

ところが、1975年5月場所初日の前頭4枚目旭國戦で、今度は右アキレス腱を切断して、その場所限りで現役引退。明るい人柄で歌も上手く、誰からも親しまれた。引退後は年寄放駒を襲名するも1977年に廃業し、タレントに転向した。

タレント・俳優時代

放駒親方時代の1976年から映画やドラマに出演していた龍虎は、相撲協会退職後、四股名龍虎をそのまま芸名とし、本格的に芸能界に進出。テレビ、時代劇などで活躍している。また、『料理天国』(TBS系列)の名物試食人として活躍。「おいしいですね」の一言はそのまま龍虎のキャッチフレーズともなっている。以降、舞台などを中心に俳優として活躍している。また、大相撲のご意見番としてテレビ朝日のワイドショーを中心に出演。

主な成績

  • 幕内在位:36場所
  • 幕内通算成績:240勝262敗25休 勝率.478
  • 三賞:殊勲賞2回、敢闘賞4回
  • 金星:2個(大鵬1個・北の湖1個)
  • 各段優勝:十両2回(1968年1月場所、1973年3月場所)、幕下2回(1967年1月場所、1972年9月場所)

出演

映画

テレビドラマ

その他のテレビ番組

ラジオ番組

舞台

CM

関連項目