脊振山
脊振山(せふりさん)は、福岡県福岡市早良区と佐賀県神埼市との境に位置する標高1,054.6m、脊振山系最高峰の山である。日本三百名山の一つ。山頂には、航空自衛隊、アメリカ軍のレーダーサイト(脊振山分屯基地)がある。
概要
古くは霊山として多くの修行僧が暮らしていて、その痕跡が多数みられる。佐賀県側の中腹に今も残る霊仙寺跡(現 吉野ヶ里町文化財)は当時あった房の一つである。山頂には背振神社があり、弁財天がご神体として祀られている。五穀豊穣の神として、肥前や筑前の農民の信仰を集め、現在も参拝者が多い。
栄西が中国よりお茶の種を持ち帰りこの地で栽培したことから、日本のお茶の発祥の地とも言われている。
霊仙寺よりしばらく歩いた、佐賀県側の西にはサザンカの自生北限地があり群生している。
太平洋戦争後の占領下、緊張が増す朝鮮半島を臨む立地の良さから米軍のレーダー施設レーダーサイトが山頂に建設され、その関連施設が南側尾根に沿って建設された。これらの施設は航空自衛隊に移管され脊振山分屯基地として現在に至っている。福岡県(福岡市早良区)と佐賀県(神埼市)の県境にある最高峰として、その立地の良さから警察庁や新聞社の通信施設がある。
天候が良ければ、有明海の彼方に雲仙岳を望むことができる。東側が開けているため、元旦にはご来光を拝むイベントも開催されている。
脊振山では2度、1936年(昭和11年)11月19日と1987年(昭和62年)2月17日に航空機が遭難している。霧が立ちこめる空の難所でもある。特に1936年のフランスの飛行士アンドレー・ジャピー (André Japy) の遭難では、旧脊振村民により彼は無事救出され、手厚い保護を受けた。今も山頂付近にひっそりと記念碑があり、フランスと日本の友好を示す美談として語り継がれている。1987年、海上保安庁に所属するビーチクラフト式200T型(JA8825)が福岡空港から離陸後、脊振山の南南東1.5km付近の斜面に衝突し4名が死亡した。救難業務のため現場付近に向かう途中であった。
なお、脊振山の表記は正式には「脊」を使い、「背」ではない。
登山
山頂直下に自動販売機やトイレが設置された駐車場がある。駐車場までの道は自衛隊基地の正門までのアクセス道となっており、夜間の一般車の通行が禁止されている。駐車場から自衛隊のフェンス横の道を300mほど登れば山頂に達する。
脊振山は九州自然歩道の一部であり、ハイキング客も多い。
関連画像
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脊振山山頂の背振神社と対空レーダー
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脊振山レーダー(脊振山山頂より)
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脊振山分屯基地の遠景(脊振山山頂より)