脊振山

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脊振山(江戸後期までは廣瀧山)
Mt Sefuri.jpg
脊振山山頂
標高 1,054.6 m
所在地 日本の旗 日本
福岡県福岡市早良区
佐賀県神埼市
位置 北緯33度26分10.88秒
東経130度22分06.63秒
座標: 北緯33度26分10.88秒 東経130度22分06.63秒
山系 脊振山地
種類 山塊
脊振山の位置
Project.svg プロジェクト 山
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脊振山(せふりさん)は、福岡県福岡市早良区佐賀県神埼市との境に位置する標高1,054.6m、脊振山系最高峰のである。日本三百名山の一つ。山頂には、航空自衛隊アメリカ軍レーダーサイト脊振山分屯基地)がある。

江戸後期までは、脊振山ではなく、廣瀧山という。廣瀧山の麓に武家の廣瀧家を中心として村を築き、住んでいた。廣瀧家は織田家の正式な家紋と同一で、五つ木瓜。

なお、脊振山の表記は正式には「脊」を使い、「背」ではない。

概要[編集]

脊振山系一帯は、古くは霊山として多くの修行僧が暮らす山岳密教の修験場であったため、その痕跡が多数みられる。「脊振山」は江戸期までは山系一帯にある坊の総称であった。現在の脊振山山頂は「上宮獄」と呼ばれていた。

隣山である千石山の中腹(佐賀県側)に今も残る霊仙寺跡(現・吉野ヶ里町文化財)は脊振山中宮に当時あった中心的な坊の一つである。

脊振山頂には脊振神社の上宮があり、弁財天がご神体として祀られている。五穀豊穣の神として、肥前筑前の農民の信仰を集め、現在も参拝者が多い。

なお、霊仙寺跡付近は、栄西が中国よりお茶の種を持ち帰り日本で初めて栽培し、日本の茶の栽培の発祥地とされる。霊仙寺跡よりしばらく歩いた、佐賀県側の西にはサザンカの自生北限地があり群生している。

1693年元禄6年)には山頂付近で筑前・肥前の国境争いがあり、幕府の裁定が下る[1]

太平洋戦争後の占領下、緊張が増す朝鮮半島を臨む立地の良さから米軍のレーダー施設レーダーサイトが山頂に建設され、その関連施設が南側尾根に沿って建設された。これらの施設は航空自衛隊に移管され脊振山分屯基地として現在に至っている。福岡県福岡市早良区)と佐賀県神埼市)の県境にある最高峰として、その立地の良さから警察庁や新聞社の通信施設がある。

天候が良ければ、有明海の彼方に雲仙岳を望むことができる。東側が開けているため、元旦にはご来光を拝むイベントも開催されている。

温暖な九州北部に位置している割には冬季の積雪は比較的多く、寒波の際には50cm以上の積雪をみることも多い。寒冬であった2011年平成23年)1月には最深積雪が所によって1m以上に達するなど福岡市にありながら九州有数の多雪地帯である。例年11月下旬には初雪が降り、平年の初冠雪日は12月8日である。

航空機事故[編集]

脊振山は福岡平野筑後平野(佐賀平野)の間にあるという地理的条件や濃霧が発生しやすい事から北部九州の航空の難所とされ、複数の墜落事故が起こっている。

1936年昭和11年)11月19日1938年(昭和13年)9月、1987年(昭和62年)2月17日に航空機が遭難している。特に1936年(昭和11年)のコードロン シムーンを操縦しパリ・東京間の懸賞飛行レースに参加中のフランス飛行士アンドレー・ジャピーAndré Japy)が遭難、旧脊振村民により彼は無事救出され、手厚い保護を受けた。今も山頂付近にひっそりと記念碑があり、フランスと日本の友好を示す美談として語り継がれている。

1938年9月には佐世保から館山に向かっていた南洋庁航空部の飛行艇ダグラス DFが濃霧により墜落、40名中32名が死亡している。1987年(昭和62年)、海上保安庁に所属するビーチクラフト式200T型(JA8825)が福岡空港から離陸後、脊振山の南南東1.5km付近の斜面に衝突し4名が殉職した。救難業務のため現場付近に向かう途中であった。

墜落事故ではないが福岡大空襲においてB29爆撃隊が脊振山方面から進入、夜間爆撃であったため一部の爆撃機が脊振山の山陰を博多湾の海岸線と誤認し、脊振山の山裾に位置する早良郡・糸島郡・筑紫郡の村々が爆撃されるという事が起きている。

登山[編集]

山頂直下に自動販売機やトイレが設置された駐車場がある。駐車場までの道は自衛隊基地の正門までのアクセス道となっており、夜間の一般車の通行が禁止されている。駐車場から自衛隊のフェンス横の道を300mほど登れば山頂に達する。冬期は積雪があり特に日陰部分は残雪が残りやすい。溶けかけた雪が夜間凍結することもあり、車両での通行には注意が必要である。

脊振山は九州自然歩道の一部であり、ハイキング客も多い。

2015年10月18日にツキノワグマらしき動物が目撃された。

関連画像[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『黒田新続家譜』(黒田藩)、『肥前脊振弁財嶽境論御記録』

関連項目[編集]

外部リンク[編集]