景雲 (航空機)

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R2Y 景雲

景雲

景雲

景雲(けいうん)とは、太平洋戦争中に試作された日本海軍偵察機。機体番号は「R2Y」。胴体中央部に双子型の発動機を配置し、延長軸で機首のプロペラを起動させるというユニークな形態の偵察機であった、二十年五月二度の試験飛行を行ったが、エンジンの不調等で所定の性能に達しないまま終戦を迎えた。

概要

1943年(昭和18年)、空技廠は最高速度740km、航続距離3,333km以上という高性能の高々度偵察機の開発を開始した。これが、18試陸上偵察機「景雲」である。

景雲は当時の戦闘機を凌ぐ高性能を実現するために、様々な新機軸が盛り込まれた機体となった。エンジンは高出力を確保するため、アツタ30型発動機を並列に組み合わせたハ70である。これを胴体中央部に搭載し、4m超の延長軸で機首の6枚プロペラを起動させる形とした。これは、ドイツから輸入したHe 119高速爆撃機の構造を参考にしていた。また、排気タービンや気密室を完備し、降着装置は前輪型とした。その結果、おおよそ今までの日本機とは異なるユニークな外観の機体となった。

1944年(昭和19年)6月に戦局の悪化から試作機種の整理が行われ、景雲もその対象にあげられた。しかし19年秋、三菱で開発中のネ-330ジェットエンジンの開発のめどがつき、現在開発中の機体の中ではジェット化が一番容易なスタイルであるとして本機に白羽の矢が立ち、空技廠から景雲をジェット攻撃機化した「景雲改」の開発が提案された。結局この機体の性能試験のために景雲の試作は続行されることとなった。

1945年(昭和20年)4月に試作1号機が排気タービンを装着しない形で完成し、5月木更津飛行場で試験飛行を行った。しかし、発動機の不調のためまともにテストができず、2回目の飛行時にはエンジン室内で火災が発生、緊急着陸し機体は小破した。その後1号機はエンジンの換装中に空襲を受け破壊された。総飛行時間はわずか10分程度であった。完成したのは試作1号機のみで、終戦時には2号機が組み立て途中だった(1・2号機とも爆破処分され、海に投棄されたとも言われる)。本機は本来の開発意図であったジェット化どころか、そのための試験機であるレシプロ型の試験さえほとんど行えず、機体に秘められた先進性と可能性をほとんど示すことが出来ないままに終わってしまった。

本機がジェット化が容易とされた理由は、延長軸による駆動という、エンジンの位置による重心移動の少ない点もあるが、三車輪式の降着装置、インテグラルタンク、並列複座の機密室等による利点もあった。当初のジェット化第一案では、胴体からレシプロエンジンを撤去し、ここを燃料用のスペースとする予定であった。後期の第二案では、胴体内にジェットエンジンを内蔵し、機首にインテークを設け、胴体後部に二個所の噴気口を備えたものとなっていた[1]

スペック

  • 全長:13.05 m
  • 全幅:14.00 m
  • 全高:4.24 m
  • プロペラ:V.D.M.定.6翅
  • 主翼面積:34.00 m²
  • 全装備重量:8,100 kg
  • 乗員:2~3名
  • 発動機: 愛知ハ70 01型 液冷倒立V双子型24気筒 3,400 hp
  • 最高速度:741 km/h
  • 航続距離:3,610 km
  • 実用上昇限度:11,700 m
  • 武装:なし
  • 記号:R2Y1

(性能データは推定値)[2]

    • (景雲改)
    • 発動機: 三菱ネ-330ターボジェット 推力1,320 kg×2基
    • 爆装:あり

出典

  1. ^ :小川俊彦著「幻の新鋭機」1996年㈱光人社刊215頁
  2. ^ 荻原四郎編著「日本軍用機三面図集・海軍機編」1992年㈱鳳文書林刊154頁

関連項目