平松大志

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平松 大志
名前
愛称 マツ
カタカナ ヒラマツ ダイシ
ラテン文字 HIRAMATSU Daishi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-07-03) 1983年7月3日(40歳)
出身地 栃木県
身長 177cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム FC東京
ポジション DF
背番号 15
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2008
2009-
水戸ホーリーホック
FC東京
92 (4)
8 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2010年12月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

平松 大志(ひらまつ だいし、1983年7月3日 - )は、栃木県出身のプロサッカー選手JリーグFC東京所属、ポジションはDF

来歴

帝京高校から中央大学を経て、2006年水戸ホーリーホックへ入団。大学時代は主将を務めた。同期に天羽良輔田中翔太小林優希

2006年5月14日東京V戦でデビュー。DF陣の故障者が続出する中、足を痙攣させながらも勝利に貢献した。水戸のホーム笠松運動公園陸上競技場では『アイアンボディー』とアナウンスされる。 2007年4月25日湘南戦において、ヘディングで競った着地時に右腕を脱臼し、約1ヶ月半離脱。復帰以後はフル出場を続けた。この年はJリーグ選手協会支部長を務めた[1]2008年からはチームのキャプテンを務め、守備の要として活躍[2]12月30日に当時J1であったFC東京への完全移籍が発表された。

CBとして対人プレーやインターセプトに自信を見せ[3]、FC東京での2009年開幕スタメンに抜擢されたがチームは大敗。平松自身も致命的なパスミスをしてしまったこともあって、早々に控えに追いやられた。 ナビスコカップ決勝戦では右サイドハーフとして途中投入され無失点勝利に貢献するなど、相手のサイドアタッカーを封じるべくSB、SHとしての起用がしばしば見られた。課題とされたビルドアップの向上に努め[4]、第33節神戸戦でリーグ戦スタメン復帰。無失点に貢献するとともにJ1初ゴールを決め、共に控え組として苦闘していた藤山竜仁浅利悟の退団セレモニーを勝利で飾った。

2010年今野泰幸森重真人に次ぐ第3のセンターバックとして、シーズン開幕からカップ戦を含む全試合にベンチ入りしていたが(森重が先発出場しなかった2試合にフル出場)、4月25日の練習試合でアキレス腱を断裂。後に全治6カ月と発表された。同じく長期の負傷離脱となっていたチームメートの米本拓司は、辛いリハビリ期間中に平松が励ましてくれたことは特に大きかったと述懐している[5][6]。翌2011年もリハビリが続き[7]出場機会を得ることはできなかった。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
2006 水戸 3 J2 13 0 - 1 0 14 0
2007 41 0 - 2 0 43 0
2008 38 4 - 2 0 40 4
2009 FC東京 15 J1 7 1 5 0 3 0 15 1
2010 1 0 1 0 0 0 2 0
2011 J2 0 0 - 0 0 0 0
2012 J1
通算 日本 J1 8 1 6 0 3 0 17 1
日本 J2 92 4 - 5 0 97 4
総通算 100 5 6 0 8 0 114 5
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2012 FC東京 15
通算 AFC

※初得点の試合では、これが決勝点となり1-0で水戸の勝利となった。

タイトル

脚注

関連項目

外部リンク