尾亦弘友希
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名前 | ||||||
愛称 | オマ | |||||
カタカナ | オマタ ヒロユキ | |||||
ラテン文字 | OMATA Hiroyuki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1983年9月1日(40歳) | |||||
出身地 | 東京都杉並区 | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | アビスパ福岡 | |||||
ポジション | DF | |||||
背番号 | 21 | |||||
利き足 | 左 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2002-2005 2004 (loan) 2006-2007 2008-2011 2012- |
FC東京 大宮アルディージャ 湘南ベルマーレ セレッソ大阪 アビスパ福岡 |
1 (0) 0 (0) 78 (0) 34 (0) ()) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2012年1月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
尾亦 弘友希(おまた ひろゆき、1983年9月1日 - )は東京都杉並区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アビスパ福岡所属。ポジションはディフェンダー(左サイドバック)。
来歴
FC東京U-18出身。馬場憂太らと共にクラブユース選手権優勝を成し遂げ、2002年にFC東京のトップチームへ昇格。U-19日本代表にも招集された。馬場と共にFC東京下部組織創設以来初のトップ昇格選手となったが、その後レギュラークラスとなった馬場とは対照的に、尾亦は金沢浄らからポジションを奪うことができず、試合経験を蓄積できなかった。2002年7月より2ヶ月間、FCポルトに短期留学。2004年には当時J2の大宮アルディージャへ1年間のレンタル移籍を経験。
2005年にFC東京へ復帰したが、またしてもポジションを掴むことは出来なかった。2006年よりJ2を戦う湘南ベルマーレに完全移籍し、左サイドバックのレギュラーポジションをほぼ手中に収めた。これまで尾亦を見守ってきたFC東京の長澤徹ヘッドコーチによると、2005年当時、プレーからやる気が感じられなくなっていた尾亦に対し「お前は(このままだと今季限りで)クビだから。自分の子供が生まれても、サッカー選手だったことを隠すだろ」と突き放したところ、尾亦はこの言葉に奮起して、以後非契約となるまでの数ヶ月間、ダッシュやフィジカルの練習をトップでこなすようになったという。結果的には長澤の予告通り契約非更新となってしまったが、Jサテライトリーグなどでの懸命なプレーが伝わって、湘南でチャンスを掴むことができたとのこと[1]。
2008年からJ2セレッソ大阪へ完全移籍。湘南時代には成し遂げられなかったJ1昇格を目指していたが、3月23日の第4節で右大臀部筋損傷を負い2ヶ月の戦線離脱。その負傷から復帰したあとの8月9日、J2第30節の古巣・湘南との試合中に右アキレス腱断裂の大怪我を負い、全治6ヵ月と診断された。2009年シーズン終盤に復帰。2010年は負傷離脱中に台頭した石神直哉からポジションを奪い返し、序盤はレギュラーとして出場していたが、W杯中断期間に負傷して以降は丸橋祐介にポジションを奪われ、リーグ戦の出場は無かった。2011年は自ら希望して背番号をプロ入り時と同じ32に変更[2]。巻き返しを図り、自身初のACL出場も果たしたが、レギュラーを奪回するまでには至らず、同年限りでC大阪を退団した。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | FC東京 | 32 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
2003 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2004 | 大宮 | 19 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2005 | FC東京 | 30 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2006 | 湘南 | 21 | J2 | 47 | 0 | - | 2 | 0 | 49 | 0 | |
2007 | 31 | 0 | - | 2 | 0 | 33 | 0 | ||||
2008 | C大阪 | 16 | 17 | 0 | - | 0 | 0 | 17 | 0 | ||
2009 | 2 | 0 | - | 1 | 0 | 3 | 0 | ||||
2010 | J1 | 11 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 | ||
2011 | 32 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | ||
2012 | 福岡 | 21 | J2 | - | |||||||
通算 | 日本 | J1 | 16 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 18 | 0 | |
日本 | J2 | 97 | 0 | - | 5 | 0 | 102 | 0 | |||
総通算 | 113 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 120 | 0 |
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国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2011 | C大阪 | 32 | 2 | 0 |
通算 | AFC | 2 | 0 |
- Jリーグ初出場 - 2002年4月6日 J1・1stステージ第5節・対ジェフユナイテッド市原 (国立)
代表歴
脚注
- 出典
- ^ 『GIANT KILLING extra Vol.03 「才能と努力の係数 ─ 長澤徹(FC東京コーチ)」』 講談社、32-33頁、2010年10月 (ISBN 4063895114/ISBN-13 978-4063895117)
- ^ 『Jリーグカラー名鑑 2011年 3/4号』 ベースボール・マガジン社、2011年2月 ASIN B004MSWVZS