馬場憂太
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| 馬場 憂太 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ユータ | |
| カタカナ | ババ ユウタ | |
| ラテン文字 | BABA Yuta | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1984年1月22日(25歳) | |
| 出身地 | 東京都板橋区 | |
| 身長 | 176cm | |
| 体重 | 72kg | |
| 血液型 | AB型 | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | MF/FW | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2002-2007 2008 2008途 |
FC東京 ジェフ千葉 モンテディオ山形 |
107 (11) 6 (0) 10 (0) |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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馬場 憂太(ばば ゆうた、1984年1月22日 - )は、東京都板橋区出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダーまたはフォワード。
目次 |
[編集] プレースタイル
柔らかいボールタッチでFWにボールを配給し、自らも得点センスを持つ。プロデビュー直後には途中出場で1トップのFWを務めたこともあった。大柄ではないがセットプレー時にヘディングでゴールを決めるなど攻撃面でのポジショニングセンスも非凡で、パスセンスと巧みなシュート技術をもつファンタジスタ型の選手。攻撃面では輝きを放つ一方で、守備面と怪我が多いのが難点。
[編集] 来歴
小学校時代から中学校時代は三菱養和SSに所属しプレー。中学3年次には「選手権での優勝」への憧れから静岡学園への進学が内定していたが、同年に東京ガスFCがFC東京となりプロ化され、Jリーグ2部(J2)への参加が決定しており、当時FC東京U-18の監督だった柴田峡(現・東京ヴェルディコーチ)からの勧誘もあり、プロ選手になることを意識したことから静岡行きを取りやめてFC東京U-18に入団した[1]。FC東京の下部組織創設以来初となるトップ昇格組のひとりである。2001年の日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会優勝メンバーであり、同大会で得点王、さらにMVPを獲得した。2002年にトップチームに昇格を果たし、開幕戦で早速途中出場でプロデビュー。攻撃の司令塔的プレーをしていたブラジル人MFケリーが退団して以後は主にトップ下のポジションで先発起用され、年に数試合は素晴らしいプレーを見せるが、波がありコンスタントな活躍には至っていない。2004年頃までは東京ダービーで得点する割合が高く「ヴェルディキラー」と呼ばれることもあった。
年代別の日本代表にも選ばれ、ワールドユースUAE大会に出場した年代では常連であったが、2003年に右膝半月板損傷で手術を受けて戦列から長期離脱となったためワールドユース本大会への出場を断念した。このリハビリ期間中に肉体改造に取り組み筋肉量が8kg~10kg増加するなど、怪我の少ない身体作りに取り組んだ。[1]しかし翌年には左足の半月板も痛めるなど怪我に苦しむことが多い。
2008年、ジェフユナイテッド千葉へ完全移籍。千葉の新たな攻撃の核として期待されていたがチームは開幕から12戦未勝利と結果が出ず、馬場も出場機会を失っていった。同年8月、J2のモンテディオ山形へ期限付き移籍となり、J1昇格を経験したが、2009年1月、期限付き移籍期間の満了により山形を退団。
2009年シーズンの所属先は、現在未定である。
[編集] トピックス
- FC東京でのチームメイト、今野泰幸とはユース代表合宿で知り合って以来の親友で、今野がコンサドーレ札幌からの移籍先をFC東京か、札幌の前監督である恩師・岡田武史率いる横浜F・マリノスかで悩んでいた際に今野に毎晩電話をしてFC東京に来るよう誘っていたエピソードは有名である。FC東京で監督を務めた原博実も「あの二人には、二人だけに見えている独自の空間があり、我々には見えない何かがある」と、プレー面でも特別なホットラインが存在していたことを東京中日スポーツ誌上でコメントしたことがある。
- 実弟の馬場徹は俳優。映画や舞台で活躍している。
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2002 | FC東京 | 30 | J1 | 8 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 12 | 0 |
| 2003 | FC東京 | 30 | J1 | 15 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 20 | 2 |
| 2004 | FC東京 | 14 | J1 | 26 | 3 | 8 | 0 | 2 | 1 | 36 | 4 |
| 2005 | FC東京 | 14 | J1 | 20 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 24 | 4 |
| 2006 | FC東京 | 14 | J1 | 22 | 2 | 1 | 0 | 2 | 2 | 25 | 4 |
| 2007 | FC東京 | 14 | J1 | 16 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 21 | 1 |
| 2008 | 千葉 | 8 | J1 | 6 | 0 | 1 | 0 | - | 7 | 0 | |
| 山形 | 31 | J2 | 10 | 0 | - | 2 | 0 | 12 | 0 | ||
| 通算 | 日本 | J1 | 113 | 11 | 26 | 1 | 6 | 3 | 145 | 15 | |
| 日本 | J2 | 10 | 0 | - | 2 | 0 | 12 | 0 | |||
| 総通算 | 123 | 11 | 26 | 1 | 8 | 3 | 157 | 15 | |||
[編集] 代表歴
- U-19、U-20日本代表(2002年-2003年)
- 2002年 AFCユース選手権

