馬場憂太
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| 名前 | |||||||
| 愛称 | ユータ | ||||||
| カタカナ | ババ ユウタ | ||||||
| ラテン文字 | BABA Yuta | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1984年1月22日(28歳) | ||||||
| 出身地 | 東京都板橋区 | ||||||
| 身長 | 176cm | ||||||
| 体重 | 72kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | 大田シチズン | ||||||
| ポジション | MF/FW | ||||||
| 背番号 | 14 | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年11月20日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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馬場 憂太(ばば ゆうた、1984年1月22日 - )は、東京都板橋区出身のプロサッカー選手、大田シチズン所属。ポジションはミッドフィールダーまたはフォワード。
目次 |
[編集] 特徴
柔らかいボールタッチでFWにボールを配給し、自らも得点センスを持つ。プロデビュー直後には途中出場で1トップのFWを務めたこともあった。大柄ではないがセットプレー時にヘディングでゴールを決めるなど攻撃面でのポジショニングセンスも非凡で、チャンスと見た瞬間にタイミングの良いパスを出し[1]、巧みなシュート技術をもつ選手。攻撃面では輝きを放つ一方で、守備面と怪我が多いのが難点。
[編集] 来歴
小学校時代から中学校時代は三菱養和SSでプレー。中学3年次には「選手権での優勝」への憧れから静岡学園高校への進学が内定していたが、同年にプロ化が発表されJリーグ2部(J2)への参加が決定していた東京ガスFC(現FC東京)のU-18監督だった柴田峡から勧誘され、静岡行きを取りやめてFC東京U-18に入団した[2]。FC東京の下部組織創設以来初となるトップ昇格組のひとりである。2001年の日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会優勝メンバーであり、同大会で得点王、さらにMVPを獲得した。
2002年にトップチームに昇格を果たし、開幕戦でプロデビュー。ブラジル人MFケリーが退団して以後は主にトップ下のポジションで先発起用されるが、波がありコンスタントな活躍には至らなかった。2003年に東京ダービーでプロ初ゴールを挙げて以後、ダービーで得点やアシストを決める割合が高く「ヴェルディキラー」と呼ばれることもあった。
年代別の日本代表にも選ばれ、2003 FIFAワールドユース選手権に出場した年代では常連であったが、2003年に右膝半月板の手術を受けたためワールドユース本大会への出場を断念した。このリハビリ期間中に肉体改造に取り組み、怪我の少ない身体作りに取り組んだ[2]。しかし翌年には左足の半月板も痛めるなど怪我に苦しめられた。2004年ナビスコカップ決勝には、最後の攻撃カードとして投入され、PK戦のキッカーを務め、チーム初のビッグタイトル獲得に貢献した。
2008年、ジェフユナイテッド千葉へ完全移籍。千葉の新たな攻撃の核として期待されていたが、チームは開幕から12戦未勝利と結果が出ず、馬場も徐々に出場機会を失っていった。同年8月、J2のモンテディオ山形へ期限付き移籍。山形では、速攻に偏りがちなチームの中で、ボールキープによって遅攻との使い分けを図る[3]選手として起用され、J1昇格に貢献。2009年1月、期限付き移籍期間の満了により山形を退団。その後は千葉との契約が残っていながら選手登録がされない無所属の状態が続いていたが、8月にJ2の東京ヴェルディへ練習生としての参加期間を経たのち、千葉との契約を解除し東京Vへの入団が発表された。目立った結果を残せず、同年限りで退団。
その後は欧州を中心に所属クラブを模索(長谷部誠のブログより)。2010年11月からドイツ・ブンデスリーガ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフの練習に参加したが、契約には至らなかった。以後、無所属の状態が続いたが、2011年7月にKリーグの大田シチズンへの加入が発表された。第30節ではKリーグベストイレブンに選出されている[4]。
[編集] エピソード
- 焼肉を好む。blogにも「焼肉を食べに行きました」という内容のエントリーがしばしば見られる。
- FC東京でのチームメイト、今野泰幸とはユース代表合宿で知り合って以来の親友で、2003年末に今野がコンサドーレ札幌からの移籍先をFC東京か、札幌の前監督である恩師・岡田武史率いる横浜F・マリノスかで悩んでいた際には今野に毎晩電話をしてFC東京に来るよう誘っていたエピソードは有名である。FC東京で監督を務めた原博実も「あの二人には、二人だけに見えている独自の空間があり、我々には見えない何かがある」と、プレー面でも特別なホットラインが存在していたことを東京中日スポーツ誌上でコメントしたことがある。また、栗澤僚一とも親交が厚い。高校時代からVfLヴォルフスブルクの長谷部誠とも親交が深い。
- 実弟の馬場徹は俳優。映画や舞台で活躍している。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 2002年 - 2007年
FC東京 - 2008年 - 2009年
ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2008年
モンテディオ山形 (期限付き移籍)
- 2008年
- 2009年
東京ヴェルディ - 2011年7月 -
大田シチズン
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2002 | FC東京 | 30 | J1 | 8 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 12 | 0 |
| 2003 | FC東京 | 30 | J1 | 15 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 20 | 2 |
| 2004 | FC東京 | 14 | J1 | 26 | 3 | 8 | 0 | 2 | 1 | 36 | 4 |
| 2005 | FC東京 | 14 | J1 | 20 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 24 | 4 |
| 2006 | FC東京 | 14 | J1 | 22 | 2 | 1 | 0 | 2 | 2 | 25 | 4 |
| 2007 | FC東京 | 14 | J1 | 16 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 21 | 1 |
| 2008 | 千葉 | 8 | J1 | 6 | 0 | 1 | 0 | - | 7 | 0 | |
| 山形 | 31 | J2 | 10 | 0 | - | 2 | 0 | 12 | 0 | ||
| 2009 | 東京V | 36 | J2 | 3 | 0 | - | 0 | 0 | 3 | 0 | |
| 韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
| 2011 | 大田 | 14 | Kリーグ | 6 | 1 | - | - | 6 | 1 | ||
| 通算 | 日本 | J1 | 113 | 11 | 26 | 1 | 6 | 3 | 145 | 15 | |
| 日本 | J2 | 13 | 0 | - | 2 | 0 | 15 | 0 | |||
| 韓国 | Kリーグ | 6 | 1 | - | - | 6 | 1 | ||||
| 総通算 | 132 | 12 | 26 | 1 | 8 | 3 | 166 | 16 | |||
- プロ初出場:2002年3月2日 - J1リーグ 1stステージ第1節 対鹿島アントラーズ戦 (東京)
- プロ初得点:2003年4月5日 - J1リーグ 1stステージ第2節 対東京ヴェルディ1969戦 (味の素)
[編集] 代表歴
- 2001年 U-18日本代表候補
- 2002年 U-19日本代表 - SBSカップ・国際ユースサッカートーナメント、AFCユース選手権2002
- 2003年 U-20日本代表
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 【J1:第30節 FC東京 vs 川崎F】:試合終了後の各選手コメント J's GOAL、2006.11.11 (戸田光洋のコメントより)
- ^ a b FC東京ファンブック2006
- ^ 【J2:第37節 山形 vs 鳥栖】試合終了後の各選手コメント J'sGOAL、2008.09.23
- ^ (30.10.2011 - 30.10.2011) Weekly Best11(英語)Kリーグ公式
[編集] 外部リンク
- 馬場憂太オフィシャルブログ
- Ru-Co (yta14) - Twitter
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