学校法人自由学園

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座標: 北緯35度43分35秒 東経139度42分25秒 / 北緯35.72639度 東経139.70694度 / 35.72639; 139.70694

本部正門
自由学園明日館(2007年8月)

自由学園(じゆうがくえん)は、東京都東久留米市学園町にある学校法人幼稚園から大学まで独自の教育理念に基づいた一貫教育を行う。

概要

クリスチャンだった女性思想家羽仁もと子羽仁吉一の夫婦によって1921年4月15日キリスト教精神に基づいた理想教育を実践しようと豊島区に設立された。1934年に校舎を東久留米市に移転し、現在にいたる。

学生の多くが学園内ので生活し、キャンパスの維持管理はとくに危険な仕事を除きすべて生徒の手によって行われている。これは毎日の生活を生徒自身が責任を持って行う自労自治の精神に基づく。文部科学省学習指導要領にとらわれない独自の教育方法で知られ、たとえば学生による稲作(田植え・収穫)、女子部生徒が学園内農場で野菜を育てる農芸、男子部生徒による酪農(豚・牛を育てる)など、それによって得た給食調理も生徒自身が行っている。

東久留米市のキャンパス(10万㎡)以外に、那須農場(53万㎡)や埼玉県名栗(10万㎡)・三重県海山(15万㎡)・栃木県黒羽(11万㎡)の学校林(植林地)を保有している。

所在地・交通

沿革

  • 1921年(大正10年) - 豊島区西池袋(目白)に高等女学校令によらない学校として創立(女子部)。
  • 1927年(昭和2年) - 初等部を開設。
  • 1934年(昭和9年) - 校舎を東久留米市に完全移転。豊島区の旧校舎は「自由学園明日館」として今も残る。
  • 1935年(昭和10年) - 男子部を開設。
  • 1939年(昭和14年) - 幼児生活団を開設。
  • 1949年(昭和24年) - 最高学部を開設。
  • 2007年(平成19年) - 幼児生活団が認可幼稚園「自由学園幼児生活団幼稚園」として開園。

学園構成

  • 幼児生活団(幼稚園)
  • 初等部(小学校)
  • 女子部(中等科・高等科)
  • 男子部(中等科・高等科)
  • 最高学部(大学に相当する4年課程、短期大学に相当する2年課程(女子のみ))
最高学部は文部科学省の一条校認可を受けていないので、学校教育法第135条により各種学校であるが、概ね大学・短大相当の扱いを受けており、4年課程卒業者のなかには大学院に進学する者もいる。高等科からの進学のみで外部生を受け入れない。男子は4年課程のみ、女子は4年課程と2年課程の選択ができるようになっている。

付属機関

行事

  • デンマーク体操を中心とした全校生徒による、体操会が年に1回開かれる。
  • 全校生徒の創作を展示する美術工芸展が、4年に1度開かれる。
  • 大規模な会場を使い、生徒による合唱オーケストラの発表を行う音楽会が4年に1度開かれる。
  • 音楽会と美術展がない年には、学業報告会として1年間勉強したことを発表する会が開かれる。

制服

男子部中等科は1980年代半ば頃まで、中等教育課程では珍しく半ズボンを制服に採用していた。 女子部は、制服ではなく式服という形のものがある。しかし、規定服としてスカートとブラウスというものがある。 初等部は、女子部と同様である。 男子部には、制服がある。

文化財

重要文化財
  • 自由学園明日館(豊島区)
    • 中央棟、東教室棟、西教室棟、講堂
東京都選定歴史的建造物
  • 初等部食堂、女子部食堂、女子部講堂、女子部体操館、男子部体操館(以上、東久留米市)

主な出身者


関係団体

(羽仁夫妻が設立し、現在も協力関係にある)

参考文献

  • 羽仁進『自由学園物語』講談社 1984 ISBN 4062007126
  • 羽仁結『よみがえれ明日館スピリット F.L.ライトと自由学園』ネット武蔵野 2002 ISBN 494423709X ISBN-13 978-4944237098
  • 羽仁翹『よく生きる人を育てる - 偏差値ではなく人間値』教文館 2005 ISBN 476426580X
  • 自由学園総合企画室『自由学園とは?100問100答』自由学園広報室 2010

脚注

関連項目

外部リンク