奥山義行

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奥山 義行(おくやま よしゆき、1970年5月3日[1] - )は、日本の元陸上競技選手、1991年世界陸上の元200m走日本代表。TBSSASUKE』の有力選手でもある。身長168cm、体重58kg。山形県出身。日本大学文理学部体育学科卒業[1]

人物

幼少期から野球サッカー水泳スキー相撲など多彩なスポーツを経験。日本大学山形高等学校に進学後、短距離の選手として本格的に陸上を始め、1989年の日本陸上競技選手権大会では、200m優勝、100m2位という成績を残す。世界陸上の代表選考を兼ねた1991年の日本選手権で優勝し[2]、世界陸上200m日本代表となる。

陸上競技引退後はバイクのロードレーサーに転身し、1993年のオートバイロードレースで国内デビューを果たし、地方選手権3回優勝、シリーズランキング4位などの成績を残していた。レーサー引退後は、メカニックとしてスズキワークスに所属。スーパーバイク世界選手権MOTO-GPに参戦した経験があり、マシン開発と整備で世界中を転戦していた[1]

SASUKEには2007年秋の第19回大会に初出場。出場に先駆けてはSASUKEのトレーニングに専念するために転職をし、現在はジムのインストラクターを勤めている。

上述の陸上競技での実績と落ち着いた雰囲気から、番組内では「孤高の天才スプリンター」の通称で呼ばれることが多かった。またSASUKEは「自分にとってのオリンピック」だと語る。SASUKE挑戦者としては珍しくステージクリア後もあまり表情を変えない為、実況等では「冷静沈着、常にクール」と称されるも、本人は「実はクールではないんです」と否定しており[注 1]、事実第24回大会の3rdステージクリア時には、ゴールの床に突っ伏し歓喜する姿を見せていた。第26回大会前には地元山形県に念願のマイホームを設立し、庭に作ったセットで黙々と練習に取り組む姿を見せていた。また、他の選手が脱落していき、全体的にクリア者の少ない大会に強い[注 2]。30代後半での初挑戦でありながら、後述の通り数多くの大会で好成績をおさめている。ゼッケンは、90番台前半から半ばが基本であるが、50番台、20番台、80番台をそれぞれ1度ずつ付けた経験を持っている。

既婚者であり、2児の父でもある。

SASUKEでの戦歴

大会ごとの戦歴

第19回大会~第23回大会

初出場の第19回はそり立つ壁でタイムアップ(ゼッケン39、全カット及び第25回の事前番組にて放映)。

第20回では1stを7.31秒残しで突破し、1人目のクリア者となる。2ndではサーモンラダーをクリアしたが、直後のスティックスライダーでバーが傾き、脱線して落下した[注 3](ゼッケン1924)。

第21回は、そり立つ壁でタイムアップ(ゼッケン95、全カット)。

第22回は2大会ぶりに1stを突破し、2ndを24.83秒残しの最速クリア。初挑戦の3rdステージは、新クリフハンガー下り段差でリタイア(ゼッケン84)。

第23回は1st・2ndを危なげなくクリア。3rdでは前回阻まれた新クリフハンガーを突破するも、スパイダーフリップで子供の声を合図に飛び移るが左足が板から外れ、滑り落ちリタイア(ゼッケン92)。

第24回大会

第24回は1st・2ndを突破。3rdでは前回リタイアしたスパイダーフリップを攻略し、39歳の史上最年長ファイナリストとなる[注 4]。自身初の最終競技者として挑んだFINALは、Gロープで残り4mの所でタイムアップ(ゼッケン95)。

第25回大会~第27回大会

第25回はジャンプハングでのトランポリンジャンプで膝が曲がり、高さが出ずネット下部を掴む形になったが、それを利用し即座に下ルートを選択するリカバリーを見せ無難に1stを突破。2ndも突破し挑んだ3rdでは、新エリア、フローティングボードに苦戦。体勢を崩すも、何とか耐え抜きクリアするが、アルティメットクリフハンガー1本目で落下した(ゼッケン50)。

第26回は1stを突破。2ndでは自身の挑戦前まで日本人の2ndクリア者が1人もいない危機的状況下での挑戦で、各エリアを慎重に攻略するが、バランスタンクに突入した時点で残り20秒を切り、メタルスピンで着地した瞬間に警告音。ウォールリフティング突入時点で残り6秒まで追い詰められたが、0.30秒残しでクリアし、初の40代3rd進出者に。唯一の日本勢生き残りをして挑んだ3rdは、アルティメットクリフハンガーで前回よりは進むも4→5本目の突起の移行で力尽きリタイア。最優秀成績タイの記録を打ち立てた(ゼッケン97)。

第27回は、1st、2ndを突破するも、3rdではアルティメットクリフハンガーの直前エリア・フライングバーでバーが脱線し落下(ゼッケン96)。なお第22回から第27回まで、6大会連続3rd進出という記録は、ドリュー・ドレッシェルと並んで、竹田敏浩佐藤惇の7大会連続に次ぐ歴代3位タイの記録である。

第28回大会~第29回大会

第28回は、オーディションに参加するも落選し出場できず。

第29回は予選を4位で通過。2大会ぶりに出場し、43歳で1stをクリア。2ndではバックストリームでタイムアップ。5年半ぶりの2ndリタイアとなり、今大会を最後に出場していない(ゼッケン89、ダイジェスト)。

大会別成績

大会 ゼッケン STAGE 記録 備考
第19回大会 39 1st そり立つ壁 タイムアップ
第20回大会 1924 2nd スティックスライダー 脱線
第21回大会 95 1st そり立つ壁 タイムアップ
第22回大会 84 3rd 新クリフハンガー 飛び移り失敗
第23回大会 92 3rd スパイダーフリップ 飛び移り失敗
第24回大会 95 FINAL Gロープ 残り約4m
第25回大会 50 3rd アルティメットクリフハンガー(1本目)
第26回大会 97 3rd アルティメットクリフハンガー(4本目) 最優秀成績
第27回大会 96 3rd フライングバー 1回目
第29回大会 89 2nd バックストリーム タイムアップ

通算成績

出場数 2nd進出 3rd進出 FINAL進出 最優秀成績
10回 8回 6回 1回 1回
  • 2021年 第39回大会終了時点

最速タイム

大会 STAGE 制限時間 残りタイム クリア人数 備考
第22回大会 2nd 80秒 24.83秒 4人

本大会以外での出来事

  • 2010年8月、アメリカ版SASUKE、「Ninja warrior」のSASUKE予選会に、長野誠漆原裕治と共にゲスト出場。

脚注

注釈

  1. ^ 第26回大会の実況より。
  2. ^ 第27回大会のVTRより。
  3. ^ このリタイアにより、翌大会以降サーモンラダーのバーには脱線防止のストッパーが付いた。
  4. ^ 奥山が樹立したFINALステージ進出の最年長記録(39歳)は、2022年現在も更新されていない。

出典

  1. ^ a b c winning-first”. winning-first.com. 2022年7月25日閲覧。
  2. ^ 過去の優勝者・記録(男子200m)第103回 日本陸上競技選手権大会 - The 103rd JAAF Athletics Championships