山田勝己
山田 勝己(やまだ かつみ、 1965年10月22日 - )は、TBS『SASUKE』のSASUKEオールスターズの1人。クイックマッスル(3分間腕立て伏せ)全国選手権準優勝。鉄工所アルバイト。兵庫県加古郡播磨町在住[要出典]。身長175cm、体重73kg(2011年10月時点)。
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[編集] 人物
中学までは野球少年であった。高校入学後も野球部に入部し、真剣にプロを意識した時期もあったが肩の故障により断念。その後は陸上部に所属。
1996年、筋肉番付のクイックマッスル全国選手権に出場し、準優勝となる(この大会の詳細は「筋肉番付での活躍」参照)。これがきっかけとなり、その後SASUKEにも1997年の第1回から出場(当時31歳)。優秀な成績を収めるが、自宅にSASUKEのセットを設立するなど、練習に熱中するあまり、ボンベ配送業の仕事をリストラされてしまう。現在は奥さんの実家の鉄工所でアルバイト、野球場でビール売りのアルバイトをするほか、地元のジムインストラクターで「SASUKE塾」の指導もしている。
一般人でありながらゲームキャラクターとしての起用、CM出演、他番組への出演、多数のイベント出演など、活躍の場は幅広い。完全制覇者長野誠は山田に憧れてSASUKE出場を決意した。
あだ名は、「浪速のターミネーター」「漆黒の通天閣」「人生SASUKE」「職業SASUKE」「無冠の帝王」「ミスターSASUKE」など。「浪速のターミネーター」とは、山田がアーノルド・シュワルツェネッガーに似ていることから、当時の実況者であった古舘伊知郎がつけた最初のあだ名であり、クイックマッスル出場時に既にそう呼ばれていた。古館が降板した第13回以降は「ミスターSASUKE」と呼ばれることが多くなった。かつては「完全制覇に最も近い男」とも呼ばれていたが、他の参加者が完全制覇を達成したことから、現在は呼ばれていない。
[編集] SASUKEでの戦歴
[編集] 第1回大会〜第4回大会
クイックマッスル全国大会準優勝という肩書きで初出場した第1回は、1stをクリアするも、2nd五連ハンマーでバランスを崩して脱落。なお、今大会のみ「山田勝巳」という誤表記であった。
第2回は自身唯一のダイジェスト扱いであり、前回クリアした2ndスパイダークライムで脱落。山田の番で不運にも雨が降っており、水滴による影響を実況者が指摘していた。その後、失敗したスパイダーウォークのセットを自宅の庭に自費で製作。これが自宅に作った最初のSASUKEセットであった。
第3回は大会前に13kgという大幅な減量をして迎えた。減量中は空腹のあまり一時は不眠症になるほど追い込まれたという。本大会では1stを9.4秒残して危なげなく突破。2ndウォールリフティングでは3枚目の壁を最上段まで持ち上げ、その後片手で支えた後にゴールまでゆっくりと歩み寄るという驚異的なパフォーマンスを披露した。3rdも難なく突破し、ファイナルステージに進出。5m地点まで一切足を使わずに登り、10m地点までは快調に登るも、ここからペースが落ち、残りわずか30cmでタイムアップ。後のインタビューでは「最初から足を使ってたほうが良かったかもしれないですね。」と語った。初の最優秀成績者となり、完全制覇に最も近い男と呼ばれるようになる。
山田は大会後、友人から借りたクレーン車を使い、命綱もつけずにファイナルステージを再現し練習。さらに自宅のセットで5kgの錘をつけながら練習を続けた。
一躍SASUKEを代表する選手となった第4回は初のゼッケン100番となり、初めて両親を会場へ呼び寄せた。今回も8kgという大幅な減量をして本番を迎えた。2ndウォールリフティングでは前回と同様のパフォーマンスを見せたが、これが最後の披露である。なお、2ndは全体を通して非常に速いペースで進み、3枚目の壁を上げた時点で10秒残っていた。3rdでは盟友の秋山和彦が先にクリアし、直後のインタビューで「多分山田さんが(ファイナルに)来ると思う。」と語った。しかし、3rdプロペラうんていでタイミングが合わず、1本目から2本目への移動で2度失敗。さらに3本目への移動でも1度失敗し、大幅に体力を消費した。その後、新設された難関クリフハンガーの2個目の空白で力尽き、涙を流した。
[編集] 第5回大会〜第7回大会
山田のトレーニング量は日に日に増していき、それが災いしたためボンベ配送業の仕事をリストラされるという憂き目にあう。第5回、第6回の肩書きは無職。それ以降は鉄工所アルバイトとなっている。第6回の1stスタート時には古館に「仕事は失業中、筋肉は24時間営業」と実況された。
第5回は竹田敏浩、山本進悟の2人のみが1stをクリアしているという状況での挑戦。今大会多発していたローリング丸太の後半で脱線事故に合い、丸太ごとマットに叩き付けられたが、着水しているか微妙だったため、そのまま先へ進んだ。新設されたジャンプハング、そり立つ壁もクリアし、1stのゴールボタンを押した。その後、スローVTRで着水していないことが確認され、3人目の1stクリア者となる。しかし2ndスパイダーウォークで、突如左足を滑らせてリタイアとなる。
第6回は家族の反対などもあり、ラストチャレンジとして出場。オーバーワークで万全の体調ではなかったものの、1st、2ndを危なげなく突破。3rdで最後の1人になり、パイプスライダーまで進出。思い切り体を振って両足での着地に成功はしたものの、その後右にバランスを崩し一回転、コース外へ転落してのリタイア。この時山田は腰を強打した。その後のインタビューで山田は、古舘伊知郎実況の「諦めるか、あるいはまだこのSASUKEチャレンジ、ファイナルステージ成功目指して続けるか。どっちですか?今の心境は!」との問いに、「やらせてください…」と涙ながらに答え、SASUKE挑戦の続行が決定した。翌大会からはパイプスライダーの着地地点の横にも水が用意されるようになった。
尚、PS2専用ソフト『筋肉番付〜マッスルウォーズ21〜』の「マッスルシアター」で一定の条件を満たすことにより、第6回までの大会のダイジェスト映像を視聴できる。
第7回は万全の体調で絶対の自信を持って、初めて妻と子供を会場へ呼び寄せた。1stは全体的に慎重なペースで進み、そり立つ壁到達時点でのタイムが前回と比較して10秒以上遅いペースとなった。さらに前回前々回クリアしていたそり立つ壁で2回失敗してしまったことが原因となり、ロープクライムでのタイムアップで自身初の1stリタイア。奥さんもタイムアップと同時に泣き崩れてしまうが、山田に涙はなかった。涙が出ないほど無残な結果だったのである。また、出場者の中で唯一だった初出場からの6大会連続1stクリアの記録も途切れた。
[編集] 第8回大会
第7回後に引退を決意。これはレギュラー番組だった「筋肉番付」でも大きく取り上げられ、多くのファンに見守られての挑戦となる。
第8回は、台風接近で大雨の中、何度も中断しながらという最悪のコンディションで行われた。山本進悟、秋山和彦の脱落を目にした後、ゼッケン100番山田は、息子から貰ったペンダントを身につけ出陣。まずまずのペースでそり立つ壁まで到達したが、雨の影響もあるのか助走の時点で滑ってしまい上ることができない。計2回失敗し、残り時間10秒で山田は動きを止め、タイムアップでリタイアとなる。
実は山田はそり立つ壁は左側のコースを選んで登っており、それが最も雨で滑りやすいコースでもあった。その後、真ん中のコースを選んだら一発で成功。もうちょっとここにいさせてくれという仕草をし、山田はもう一度真ん中のコースでそり立つ壁を登り、ロープクライムで頂上まで歩いていく。その後ゲートをくぐり、拍手の止まない観客席に無念の表情で頭を下げ、山田のSASUKE挑戦が幕を閉じた。
その後はSASUKEと無縁の生活を送り、子供とも沢山遊んで暮らした。しかし、山田はどうしてもSASUKEを諦め切れなかった。第9回前に山田はスタッフに手紙を出し、「もう一度チャンスを下さい。一度しかない人生。そう簡単に夢を諦めるわけにはいきません」と、引退を撤回した。
[編集] 第9回大会〜第11回大会
引退撤回して挑んだ第9回は、大会前に精神面を鍛えようと四国の山中(徳島県:星谷寺、不動の滝)を訪れ、滝に打たれた。体重を7kg落とし、仕上がりも順調だった。そり立つ壁で1回ミスをするも、2回目でクリアし、余裕を持って1stをクリア。
続く2ndで、先に挑む挑戦者達がスパイダーウォークの下り部分で滑り苦戦。長野誠に滑ることを確認した山田は、地下足袋にあらかじめ滑り止めスプレーをつけ、スパイダーウォークにたどり着くまでにゴミがつかないようにそれを粘着テープで覆うという加工をした。山田は序盤を無難に突破し、問題のスパイダーウォークに到達。ここで山田は地下足袋の裏の粘着テープをはがす予定だった。ところが、テープが上手くはがれず、さらに手にも滑り止めスプレーをつけるかで悩んでしまったため、挑戦前に17秒のタイムロスをしてしまった。問題の下りの部分は全く危なげなくクリアできたが、この17秒のタイムロスがたたり、結局最終エリア「ウォールリフティング」の2枚目でタイムアップとなる。山田はその後のインタビューで「テープ貼ったのが間違いでした。」と語り、考えが裏目に出る格好となった。
第10回は、1stでオールスターズが4人連続失敗し、979番から21人連続リタイア、1stクリア者も計4人という中での挑戦となった。そり立つ壁を一発で成功させ、新エリアターザンロープも落ち着いて対処し、1.7秒を残して1stを突破し、雄叫びをあげた。2ndでは、前回タイムロスを喫したスパイダーウォークも落ち着いてクリアし、2年ぶりの3rdに進出。最後の挑戦者となった山田は初体験のランブリングダイスやランプグラスパーを難なく突破し、パイプスライダーまで進む。第6回で思いきりジャンプしてミスをしているエリアだけに、今回は勢いを殺してジャンプをした。右足をかけてゴールにしがみ付くも、後方にバランスを崩して無念の転落。直後のインタビューでは「まだ余裕あったんですけどね」と、語り、その後涙を流しながら、「これだけは言えることなんですけど、俺には…、SASUKEしかないんですよ」という名言を残した。このシーンは現在も山田の挑戦前のVTRで頻繁に使用されている。今大会で通算3度目の最優秀成績者となる。
第11回は1stで95番から5人連続クリアしていた中、トリを務めた山田も1stを危なげなく突破。しかし2ndでもオールスターズを含む6人連続クリアという状況であったが、それが返ってプレッシャーとなったのか前回クリアしていたバランスタンクで後方に体が傾いた際に右足を踏み外し落下。オールスターズ唯一の2ndリタイアとなった。
[編集] 第12回大会〜SASUKEトライアル
第12回は、大会前に鹿児島県の最福寺に訪れ、「護摩行」と呼ばれる荒行を行った。この護摩行とは、3mもの火柱の前で、およそ2時間もの間、「不動真言」のお経を唱え続ける修行である。体感温度は300℃を超えると言われている。山田は「不動真言」を唱え続け途中わずかに後退する場面があったが2時間、修行が終わるまで炎の前から離れることはなかった。
1stは特にミスもなかったが慎重なペースがたたり、残り0.72秒というギリギリのクリア。
2nd STAGE時に山田はチェーンリアクション対策のために自前の手袋を持参していた。挑戦前には「手袋すぐ脱げるのかな」とスタッフに語りかけていた。山田の番となり、チェーンリアクションは問題なくクリアし、スパイダーウォークへ突入。ここでは手袋を必ず脱ぐことになっており、競技中にスタッフも「手袋外して!」と呼びかけていたが、集中のあまり山田は手袋を脱がずにそのまま突入してしまった。前回まさかの苦杯を喫したバランスタンクをクリアし3.65秒を残してクリアするが、手袋をつけていたために失格となった。
本放送では放送されなかったが、この後山田はスタッフのもとへ歩み寄り「手袋を脱がなければならないとは聞いていたが、それをしない場合失格になるとは聞いていない」とクレームをし、次の挑戦者であるゼッケン99のヨルダン・ヨブチェフの挑戦前に2nd STAGEの再挑戦を行った。タイムアップギリギリまで追い込まれ、3枚目の壁に足を挟まれながら中指でゴールのボタンを押したものの、タイムアップの判定。山田はボタンを指差し、「押したんですよ!押したって!」と主張しメカニカルトラブルではないかと再クレーム。他のすべての挑戦者の挑戦が終わった後再々挑戦する事となった。この時、長野誠から「山田さん、がんばってな。一緒に3rdまでいくんやろ」と声をかけられていた。しかし、体力を使い果たしたのか、ブリッククライムの最後で落下し、スパイダーウォークでタイムアップ。その後山田は、スタッフの制止を振り切ってゴールへと進み、右腕一本で片側のゴールゲートを破壊し、勢い余ってゴール地点の下に転落している。この模様は「ZONE」で放送された。第12回の番宣では、放送でカットされていたにも関わらず、上記の山田がブリッククライムで落下したシーンが流れた。
その後正式な判定として「最初の挑戦時の手袋を外さなかった事による失格」という裁定が下された。山田は今大会1stクリア者11人中、唯一の2ndリタイア者となった。山田は涙を流し、「長野誠が俺の分までやってくれると思います。本当は一緒に行きたかったですけど申し訳ないです。」と語り、長野も涙を流した。山田はこの大会まで12回中10回2ndへ進出していたが、今回が結果的に最後の2nd進出となっている。
第13回はSASUKEトライアルで10.58秒を残して12位になり、出場権を獲得はしたものの、第12回のこともあり、自ら初の欠場という道を選んだ。「今は家族との時間を大切にしたい」とも語っていた。放送を見た後には「自分は出なかったのだなぁ、と痛感して涙が出てきましたよ」と語っている。
[編集] 第14回大会〜第24回大会
2大会ぶりの出場となった第14回は、過去8大会一度も失敗したことのなかった1stジャンプハングでリタイア。
第15回は、1stクロスブリッジ通過後にバランスを崩しコース外へのリタイア。
40代になってから初めての大会となった第16回は、全くミスもなく1stを進んでいったのだが、慎重なペースが仇となり、ゴール目前でタイムアップ。後のインタビューで「もう終わりなんですよ。今回落ちたら最後って決めていたんで。」と語り、引退したいという気持ちを口にした。その後の模様は『BODY 』で放送され、CM出演によるイベントでのファンの声援などで気持ちが動き、引退を撤回した(本大会以外の出来事も参照)。
第17回直前には、白鳥文平宅で3rd中心の練習を行い、万全の体調で挑んだ。3年ぶりのゼッケン100番となり、そり立つ壁まで危なげなく進んでいく。しかし、足が全く前に進まず、4回目の挑戦で壁を乗り越えるも、タイムアップとなる。山田は「緊張で足が出なかった」と語った。序盤のペースは長野も舌を巻くほどで、「そり立つ壁までは完璧。最近では一番良かった」と語っている。また、この大会はいつも以上に緊張が山田を襲い、自分の出番が近づくにつれ表情が強張っていた。その後、自分の出番までまだ二時間もあるにも関わらず、両腕に滑り止めスプレーをつけるという常軌を逸した行動に出るなど明らかに平常心を失っていた。
リニューアルされた第18回はゼッケン争奪マラソンで、あえて73番という早めのゼッケンを選択。今大会は初めてスパッツ姿で挑んだ。全くミスもなく進んだのだが、慎重なペースが仇となり、再びゴール目前でタイムアップ。3大会連続のタイムアップとなる。
第19回はポールメイズでポールが中々動かず、大幅にタイムロス。その後のジャンピングスパイダーで落下した。この時点で残り10秒を切っていた。
第20回もジャンピングスパイダーで一度はついたが、その直後に右足を滑らせ転落。
第21回は身体の調子が万全ではなく、スタート前から体にテーピングを巻いての挑戦となった。ジャンピングスパイダーをクリアさせるが、着地の際に足をさらに負傷。負傷した足でなんとかハーフパイプアタックをクリアするも、そり立つ壁でタイムアップとなる。
第22回は、再びジャンピングスパイダーでリタイア。
第23回は、そり立つ壁に苦戦。なんとかクリアするも、スライダージャンプで脱落。第22回の長野誠のようなパイプスライダーの握り方だった(後述、特筆の欄を参照のこと)。後のインタビューでは「次が最後のつもりでやりたい」と語った。
第24回、「1stステージをクリアできなければ最後のつもりで」という決意で望むも、そり立つ壁にて無念のタイムアップ。その後の番組中のテロップにも「山田勝己 引退」と表記される。タイムアップ時は大の字で天を見上げていた。山田は引退こそ名言していなかったものの、この大会をもって最後のつもりでやりたいと言っており、これで最後の出場となる予定だった。
[編集] 第26回大会〜
第25回は欠場。
第26回大会を前にして、山田は第9回大会同様スタッフに「もう1回挑戦したい」という内容の手紙を送り、出場することが決まった。今回は最大の鬼門のそり立つ壁を攻略すべく腰に20kgの錘をつけ徹底的に下半身をいじめ抜いた。第26回は、またもジャンピングスパイダーで脱落。
第27回は、大会前に自宅のそり立つ壁の高さを20cm上げて練習を重ねた。本大会ではそり立つ壁に左手をかける場面が何度かあったものの、クリアすることはできずタイムアップとなる。そり立つ壁を両手で叩き、悔しさを全面に表す場面も見られた。
2011年10月現在46歳であり、1stをクリアすればSASUKE史上最年長でのクリア者となる。
[編集] SASUKEで出場した大会の結果
| 大会 | ゼッケン | STAGE | 記録 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 第1回大会 | 92 | 2nd | 5連ハンマー(3本目) | |
| 第2回大会 | 91 | 2nd | スパイダークライム(6枚目) | 1stは全カット、2ndはダイジェスト |
| 第3回大会 | 89 | Final | 15m綱登り | 残り約30cm、最優秀成績 |
| 第4回大会 | 100 | 3rd | クリフハンガー(2個目の空白) | |
| 第5回大会 | 100 | 2nd | スパイダーウォーク(3枚目) | |
| 第6回大会 | 99 | 3rd | パイプスライダー | コース外転落、最優秀成績 |
| 第7回大会 | 100 | 1st | ロープクライム | タイムアップ |
| 第8回大会 | 100 | 1st | そり立つ壁 | タイムアップ |
| 第9回大会 | 99 | 2nd | ウォールリフティング(2枚目) | タイムアップ |
| 第10回大会 | 1000 | 3rd | パイプスライダー | 着地失敗、最優秀成績 |
| 第11回大会 | 100 | 2nd | バランスタンク | 対岸付近、後方に転落 |
| 第12回大会 | 98 | 2nd | スパイダーウォーク改 | 手袋取り忘れにより失格 |
| 第14回大会 | 99 | 1st | ジャンプハング | 掴み失敗 |
| 第15回大会 | 99 | 1st | クロスブリッジ | コース外転落 |
| 第16回大会 | 99 | 1st | ロープクライム | タイムアップ |
| 第17回大会 | 100 | 1st | そり立つ壁 | 壁に手をかけた瞬間タイムアップ |
| 第18回大会 | 73 | 1st | ロープラダー | タイムアップ |
| 第19回大会 | 91 | 1st | ジャンピングスパイダー | 張り付き失敗 |
| 第20回大会 | 1999 | 1st | ジャンピングスパイダー | 張り付いた後転落 |
| 第21回大会 | 96 | 1st | そり立つ壁 | タイムアップ |
| 第22回大会 | 81 | 1st | ジャンピングスパイダー | 張り付き失敗 |
| 第23回大会 | 71 | 1st | スライダージャンプ | 掴み失敗 |
| 第24回大会 | 80 | 1st | そり立つ壁 | タイムアップ |
| 第26回大会 | 90 | 1st | ジャンピングスパイダー | 張り付き失敗 |
| 第27回大会 | 91 | 1st | そり立つ壁 | タイムアップ |
[編集] 特筆
初出場から6大会連続1stクリアの記録を保持。12回までは10回1stを突破しており、安定感は抜群だった。 現在は年齢が40歳を越えているためか、13大会連続で1stリタイアを喫している。
かつては2ndが最大の鬼門であった。第12回までは12回中、半分の6回2ndでリタイアしており、特にスパイダーウォークは山田にとって鬼門であった。2ndがリニューアルされた第7回以降は3度進出するものの、その内の2度はスパイダーウォークが原因でのリタイアである。 大リニューアルが敢行された第18回大会以降もジャンピングスパイダーに4度屈するなど、未だ鬼門となっている。 プレッシャーに弱く(第11回の古舘氏曰く)、思わぬところでのリタイアが多かった。山田は第6回のインタビューで「ゆっくり行くとダメだし、速く行くと落ちるし、どっちを選べと言われたら、やっぱり速く行くほうを選びますね。時間切れのリタイアは嫌なんで」と語っている。
第10回以降はステージをゆっくりと慎重に進んでいくことが多く、そのこともあってか、残り時間がギリギリになってしまうことも少なくない。
上半身の筋肉は徹底的に鍛え抜かれており、クイックマッスルでの好成績からも察することができる。3rdでは進出した過去4回中3回パイプスライダーまで到達しており、適性の高さを物語っている。また、2ndウォールリフティングを最上段まで持ち上げ、片手で数秒間支えるパフォーマンスを披露したこともある。
パイプスライダーでは片方が順手、もう片方が逆手という特徴的なグリップをしており、当初は山田のみがしている手法だった。第6回のコース外転落はこのグリップのせいではないのか?という説もあり、本放送で古舘伊知郎が「振り子のように横に振られるから、反動がついて落ちやすくはなる」と解説している。しかし、第8回のヨルダン・ヨブチェフが山田のような順手・逆手の手法をとり、さらにその後オールスターズにも順手・逆手の手法が普及していった。その為、現在はこの順手・逆手のやり方も主流となっている。
[編集] 筋肉番付での活躍
[編集] クイックマッスル(3分間腕立て伏せ)
1996年9月7日、『筋肉番付』内で開催された『クイックマッスル全国選手権』に大阪府代表として出場。予選では圧倒的な強さで勝ち抜き、既に注目を集めていた。
本選では250回の記録を残して準決勝進出を果たし、最高記録307回を記録していた秋山和彦と当たる。当時はセンサーが用意されておらず、秋山が低い姿勢の腕立てをしたとして2度の警告をうける。終盤まで快調なペースで秋山を引き離すが、残り10秒から秋山が猛烈な追い上げを見せ、結果は両者298回。審議となり、秋山が2度の警告をうけていたため、山田が決勝へ駒を進めた。決勝では伊藤忠夫との勝負となり、山田243回、伊藤300回で惜しくも準優勝に終わる。準決勝で記録した298回は秋山、伊藤に次いで第3位の記録である。山田はこの大会での活躍をきっかけにSASUKE出場を果たしている。
2006年、お台場マッスルパークにて秋山和彦と10年ぶりの腕立て勝負が行われた。10年のブランクを感じさせない両者は、秋山253回、山田222回で幕を閉じた。この勝負は『サスケマニア』にて放送された。
[編集] 9ミニッツ(9分間腕立て伏せ)
1997年12月27日、『筋肉番付スペシャル!!』として東京湾アクアラインで行われた『9ミニッツ』に出場。ルールは3分間腕立てして1分間休憩、これを3ラウンド繰り返すというもの。大会では644回を記録したが、682回を記録した伊藤忠夫に一歩及ばず、またしても準優勝となる。
[編集] 三色筋肉(マッスルジム)
2000年10月、過去の成績優秀者のみを集めた『三色筋肉決戦大会』に出場。ルールは1分毎に腹筋、背筋、腕立て伏せをするというもの。本選では高田聖一との勝負を制し、214回の好成績をマーク。伊藤忠夫の233回、賀出秦崇の221回に次ぐ第3位の成績を収めた。この模様は『筋肉精鋭』内で放送された。
2001年、『筋肉番付内』の1コーナーである筋肉行脚にて秋山和彦と対決を行った。全体を通して秋山に遅れをとる形となったものの、腕立て残り10秒で猛烈な追い上げを見せ逆転。結果は山田202回、秋山200回で山田の勝利となった。後ろでNo.1決定戦の垂れ幕が下がっていたため、収録されたのはスポーツマンNo.1決定戦時だと思われる。
2001年、池谷直樹との三色筋肉対決も行われた。結果は池谷212回、山田201回で敗北。快調なペースを見せたが、腕立てでのカウントミスが多発した。
[編集] ゲームキャラクターとしての起用
2001年、GB専用ソフト「筋肉番付GB3〜新世紀サバイバル列伝〜」に山田勝己をモデルにした「ミスター・ボンベ」というキャラが隠しキャラとして登場。当時、ボンベ配送業をしていたためにつけられた名前である。パワーとスタミナの値が高く、特にパワーは全登場キャラの中でトップクラスである。
2001年、GBA専用ソフト「筋肉番付〜決めろ!奇跡の完全制覇〜」に初めて実名で登場し、パッケージにも出ている。パワーとスタミナの値が高いキャラクターとなっている。
2002年、ニンテンドーゲームキューブ専用ソフト「マッスルちゃんぴよん〜筋肉島の決戦〜」に山田勝己をモデルした「やまださん」というキャラで登場。
[編集] その他の出来事
- 2005年の第16回前に、大学で山田勝己のためのイベントが開催された。SASUKEのようなセットや、生徒達を乗せたトラック引き、ファイナルステージを連想させる綱登りなど。学生達から沢山の応援の声が届き、山田の心を熱くさせた。
- 第16回大会終了時には引退も考えたが、体感ゲーム「SASUKE&筋肉バトルスポーツマンNo.1決定戦」のイメージキャラクターとなり、参加したイベントで多くのSASUKEファンからの励ましに触れ、引退を撤回した。このイベントでは腕立て伏せも披露した。
- フジテレビの「海筋肉王」にも出場している。家族大会には毎回参加しており、好成績を収めたこともある。またVIKINGの予選会では、1分間腕立て伏せ152回の記録を作っている。
- 2006年12月13日、お台場のマッスルパーク報道イベントに、秋山和彦、長野誠と共に参加。山田はこの他にもマッスルパークのイベントに何度もゲストとして呼ばれている。マッスルパークのSASUKEでは初挑戦で完全制覇したりと、まだまだ健在ぶりをアピールした。
- 2007年9月5日、テレビ朝日の「すくいず!」に出演。番組内のモンキーバーで佐藤弘道に勝利した。山田は海筋肉王に続き、他局出演したことになる。
- 2007年10月11日、フジテレビのCHIMPAN NEWS CHANNEL2時間スペシャルの1コーナー、SARUKEに佐藤弘道、ワッキーとともに出演、チンパンジーのゴメス・チェンバリンと激闘を繰り広げた。(この番組は元は同年2月20日に放送予定だったものが延期されたため、収録自体は今年初め頃に行われていた)
- 2007年10月16日〈「サスケ」に挑戦しよう 春日モリモリまつり〉に参加。同じ日に、長野誠・竹田敏浩も参加している。
- 2008年4月26日にマグロフェスタに参加。同じ日に竹田敏浩・長野誠・秋山和彦も参加している。
- 2008年4月27日にマグロフェスタに参加。同じ日に竹田敏浩・長野誠・秋山和彦・山本進悟も参加している。
- 2011年9月25日クイズ!タレント名鑑の大相撲で番宣もかねて、あかつと対戦し、1回戦敗退した。