コンテンツにスキップ

坂倉準三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。棚頭 (会話 | 投稿記録) による 2012年5月26日 (土) 11:46個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

坂倉準三
生誕 1901年(明治34年)5月29日
日本の旗 日本 岐阜県
死没 (1969-09-01) 1969年9月1日(68歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学
パリ工業大学
職業 建築家
受賞 第7回・第12回日本建築学会賞(作品賞)
正五位勲三等瑞宝章
所属 坂倉建築研究所
建築物 パリ万博日本館
神奈川県立近代美術館

坂倉 準三(さかくら じゅんぞう、1901年明治34年)5月29日 - 1969年昭和44年)9月1日)は日本の建築家ル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築を実践した。1937年(昭和12年)のパリ万国博覧会では、日本館の設計を手がけ、日本のなまこ壁を思わせるデザインとモダニズムの理念を統合し、海外でも高い評価を受けた。妻は西村伊作の次女の坂倉ユリ(1912-2007)。息子に同じく建築家の坂倉竹之助、孫にはヒップホップMCSPHEREがいる[1]

経歴

主要作品

神奈川県立近代美術館
国際文化会館
芦屋市民センター・ルナホール
前川国男や吉田鉄郎らが指名されて参加したが、実施案は敷地など現地で相次ぐ条件変更が生じたため、現地滞在の坂倉準三によって変更。博覧会の建築競技審査で一等を受賞した。

著書

出典

外部リンク