俠道会
侠道会の代紋 | |
設立 | 1969年 |
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設立者 | 森田幸吉 |
設立場所 | 広島県尾道市 |
本部 | 〒722-0052 広島県尾道市山波町3025-1[1] |
首領 | 渡邊望[1](通称:池澤望) |
活動範囲 | 6県[1] |
構成員数 (推定) | 約190人(2009年3月現在)[1] |
俠道会(きょうどうかい)は広島県尾道市に本部を置く日本の指定暴力団。構成員は、平成19年(2007年)12月17日で、約330人[2]。前身は『高橋組』。
略歴
高橋組
昭和20年(1945年)10月、高橋徳次郎は、広島県尾道市久保2丁目の新街の遊郭に、新居を建て、博打を始めた。その後、高橋徳次郎は、自宅に、「高橋興行部」の看板を掲げた。高橋徳次郎は、興行の仕事を義父・津川嘉太郎に任せ、自身は賭場の運営に専念した。このとき、高橋徳次郎の若衆は、横江利雄ら3人だった。その後、横江利雄は、かつて日立造船で一緒に働いていた森田幸吉を、高橋徳次郎に紹介した。森田幸吉は、高橋徳次郎から盃をもらい、高橋徳次郎の若衆となった。
昭和26年(1951年)4月23日、高橋徳次郎は、尾道市市議会議員に立候補し、第3位で当選した。その後、高橋徳次郎はヤクザから引退し、興行を横江利雄に、賭場を森田幸吉に任せた。
昭和30年(1955年)12月、高橋徳次郎は、広島県県議会議員に当選した。
昭和42年(1967年)、波谷守之は、共政会樋上組・樋上実組長から、美能組(組長は美能幸三)・小原組との和解を依頼された。樋上実の提案は「美能幸三が山村辰雄への報復を止めるのならば、美能幸三を組長として、美能組・樋上組・小原組を統一する」というものだった。樋上実は、森田幸吉と合田一家・浜部一郎総長に自分の提案を示し、合意を得た。波谷守之は、美能組幹部・薮内威佐夫とともに、札幌刑務所に行き、美能幸三を説得した。1回目、2回目の説得では、美能幸三が納得しなかった。波谷守之は、3回目の説得で、美能幸三を説得した。山田久が、共政会関係者を説得し、樋上実の提案に合意させた。
同年12月、広島県警尾道警察署は、野球賭博容疑で、高橋徳次郎や高橋組主要幹部を逮捕した。
初代俠道会
昭和44年(1969年)1月、森田幸吉が、元高橋組組員を中心に尾道市周辺の暴力団組員を糾合して、「俠道会」を結成した。
昭和44年(1969年)11月、共政会十一会(会長は竹野博士)組員と共政会村上組(組長は村上正明)組員が喧嘩をした。これを切っ掛けに第三次広島抗争が勃発した。
昭和45年(1970年)、下関市の合田一家・合田幸一総長の提唱により反山口組同盟・関西二十日会が結成された。加盟組織は、合田一家、大阪市の松田組、神戸市の忠成会、姫路市の木下会、岡山市の浅野組、広島市の共政会、北九州市の工藤会など[3]。
同年4月、森田幸吉は、高知県高知市に「俠道会高知支部」を設立した。
同年5月、森田幸吉は、愛媛県今治市に「俠道会今治支部」を設立した。
昭和47年(1972年)5月、兵庫県有馬温泉で、山田久と森田幸吉の手打ちが行われた。仲人は、大日本平和会・平田勝市会長がなった。手打ち式の後、波谷守之と山田久と森田幸吉は、兄弟分になることを約束した。
昭和54年(1979年)4月16日、三代目山口組・田岡一雄組長は、田岡一雄の自宅で、山田久、森田幸吉、浅野組・浅野眞一組長、共政会・門広相談役と会った。この席で、山口組と、それぞれ関西二十日会に所属していた共政会、侠道会、浅野組との共存共栄路線が確認された。
昭和56年(1981年)9月、森田幸吉は、香川県高松市で「新侠会」を結成させた。
昭和62年(1987年)、森田幸吉は、熊本県熊本市の熊本同志会を傘下に収めた。
昭和63年(1988年)、西日本二十日会が結成された。関西二十日会とは違い、特に山口組を仮想敵とするわけではなかった。西日本二十日会の加盟団体は、唐津市の西部連合、下関市の合田一家、広島市の共政会、尾道市の侠道会、笠岡市の浅野組、松山市の松山連合会、岡山市の木下会、徳島市の勝浦会、高松市の親和会、大阪市の波谷組だった。
平成元年(1989年)7月、森田幸吉は、自身の提案であった西日本二十日会を結成した。
二代俠道会
平成元年(1989年)10月、森田幸吉は、跡目を俠道会副会長・森田和雄(森田幸吉の実弟)に譲った。
同年11月、森田幸吉が病死した。
平成2年(1990年)12月、森田和雄は、会の名称を「二代目俠道会」に改称した。
平成5年(1993年)3月4日、広島県公安委員会は、俠道会を指定暴力団に指定した[2]。
平成8年(1996年)2月、四代目共政会、二代目俠道会、三代目浅野組、六代目合田一家、親和会は、親睦会「五社会」を結成した[4]。
三代目俠道会
平成13年(2001年)5月、森田和雄は、俠道会理事長・池澤望(本名は渡邊望[2])を後継に指名した[5]。
平成19年(2007年)3月22日、神戸市灘区の山口組本部で、池澤望と山口組若頭補佐・寺岡修は、五分の兄弟盃を交わした[5]。
歴代会長
- 高橋組 - 高橋徳次郎
- 初代 - 森田幸吉
- 二代目 - 森田和雄
- 三代目 - 池澤望(本名は渡邊望)
三代目俠道会
- 会長 - 池澤望
関連書籍
- 正延哲士、天龍寺弦、松田一輝『実録 義俠ヤクザ伝 俠道 高橋徳次郎』竹書房、2006年、ISBN 4-8124-6361-0
- 正延哲士、天龍寺弦、松田一輝『実録 義俠ヤクザ博徒伝 俠道 森田幸吉』竹書房、2007年、ISBN 4-8124-6393-9
関連映像作品
- 『新・鯨道 -侠魂-』(2009年、GPミュージアム)、森田幸吉役は神保悟志
- 『新・鯨道 -侠魂- 完結編』(2009年、GPミュージアム)、森田幸吉役は神保悟志
出典
- ^ a b c d 平成21年の暴力団情勢 図表3-1 指定暴力団の指定の状況 - 警察庁 組織犯罪対策 2010年4月
- ^ a b c 『松江八束建設業暴力追放対策協議会』のHPの「指定暴力団」
- ^ 溝口敦『撃滅 山口組vs一和会』講談社<講談社+α文庫>、2000年、ISBN 4-06-256445-9のP.208
- ^ 『松江八束建設業暴力追放対策協議会』のHPの「暴力団ミニ講座」の「36)四代目共政会」
- ^ a b 出典は、『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6のP.87 引用エラー: 無効な
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参考文献
- 『松江八束建設業暴力追放対策協議会』のHPの「暴力団ミニ講座」の「38)二代目侠道会」
- 正延哲士、天龍寺弦、松田一輝『実録 義侠ヤクザ伝 俠道 高橋徳次郎』竹書房、2006年、ISBN 4-8124-6361-0
- 正延哲士、天龍寺弦、松田一輝『実録 義侠ヤクザ博徒伝 俠道 森田幸吉』竹書房、2007年、ISBN 4-8124-6393-9
- 正延哲夫『波谷守之の半生 最後の博徒』幻冬舎(幻冬舎アウトロー文庫)、1999年、ISBN 4-87728-733-7
- 飯干晃一『仁義なき戦い<決戦篇>』角川書店<角川文庫>、1980年、ISBN 4-04-146402-1