伊勢ヶ濱部屋
伊勢ヶ濱部屋(いせがはまべや)は、日本相撲協会所属の相撲部屋。かつては伊勢ヶ濱一門、のちに立浪・伊勢ヶ濱連合を構成し、現在は立浪一門。
沿革
大島部屋所属の第63代横綱・旭富士は、引退後暫くして年寄安治川を襲名し、同じ立浪一門に所属する安治川部屋を継承したが、2007年(平成19年)11月30日、年寄・伊勢ヶ濱に名跡変更、これにより、安治川部屋が新・伊勢ヶ濱部屋として新しいスタートを切った。
新・伊勢ヶ濱部屋は旧・立浪一門からの派生であり、旧・伊勢ヶ濱一門であった旧伊勢ヶ濱部屋の復活とみるか、安治川部屋の名称変更に過ぎないと見るかは解釈が分かれるところであろう。
2008年(平成20年)1月場所終了後、9代伊勢ヶ濱は所属力士のうち幕下以下の力士について四股名の「安」を全員外し改名すると発表し、同年3月場所より幕下以下の力士は1名を除き全員が改名した。この際、呼出2人と床山1人も同時に改名した。また9代伊勢ヶ濱は、幕内・十両経験者の力士についても「昇進など改名する条件に合えば改名する」と発言していた。同年11月場所後に関脇・安馬が大関に昇進すると、9代伊勢ヶ濱は安馬の四股名について上記の条件に照らし、「いつまでも“安い馬”では困る。上(横綱)を目指して欲しいので、それに相応しい名に改める」として、新大関を機に四股名を日馬富士と改名した。現在は9代伊勢ヶ濱の安治川部屋継承初期と同様、四股名に「富士」のつく力士が多い。
所在地
現師匠
- 9代:伊勢ヶ濱 正也(いせがはま せいや、63代横綱・旭富士正也、青森)
力士
現役の関取経験力士
大関
- 日馬富士公平(モンゴル)
関脇
- 安美錦竜児(青森)
幕内
- 宝富士大輔(前10、青森)
十両
- 誉富士歓之(十14、青森)
過去に所属した関取
幕内
- 安壮富士清也(前13、青森)
旧伊勢ヶ濱部屋
熊ヶ谷部屋所属の清瀬川(当時は平幕)は、1921年(大正10年)1月に熊ヶ谷部屋の後継者が敷島猪之助に決まったため、内弟子を連れて楯山部屋(幕下・友響治三郎)の預かりとなった。その後、清瀬川は関脇となり、1929年(昭和4年)9月場所を最後に現役引退して年寄・伊勢ヶ濱を襲名するとともに、楯山部屋に預けていた内弟子を連れて伊勢ヶ濱部屋を創設した。5代伊勢ヶ濱は、38代横綱・照國、平幕優勝の備州山など多くの関取を輩出し、一代で部屋を大きくした。
1953年(昭和28年)1月場所限りで横綱・照國が現役引退して年寄・荒磯を襲名すると、5代伊勢ヶ濱(関脇・清瀬川)は弟子全員を荒磯に譲って自らは取締に専任したため、部屋の名称は荒磯部屋と改められた。1961年(昭和36年)1月に定年制導入により5代伊勢ヶ濱が定年退職すると、荒磯(横綱・照國)は伊勢ヶ濱の年寄名跡ももらいうけ6代伊勢ヶ濱を襲名するとともに、部屋の名称は再び伊勢ヶ濱部屋となった。6代伊勢ヶ濱は、大関・清國、関脇・開隆山を育て上げるとともに、稽古土俵を二面作るというユニークな稽古場にして評判になった。
1977年(昭和52年)3月に6代伊勢ヶ濱が死去すると、同年4月に部屋付きの楯山親方(大関・清國)が7代伊勢ヶ濱を襲名して伊勢ヶ濱部屋を継承した。7代伊勢ヶ濱は、先代から引き継いだ弟子の黒瀬川を小結に、直弟子の若瀬川が前頭筆頭まで昇進するなど、個性的な関取を多数輩出した。
2006年(平成18年)11月に7代伊勢ヶ濱が定年を迎え、部屋付きの10代若藤(前頭・和晃)が8代伊勢ヶ濱を襲名し、伊勢ヶ濱部屋を継承した。8代伊勢ヶ濱も翌2007年8月に定年を迎えるため、継承後直ちに一門内外から後継者擁立を進めていたが、2007年1月場所後に断念し、同時に部屋を閉じた。8代は力士、世話人と共に桐山部屋へ、行司は高島部屋(両部屋とも現存せず)へ移籍となった。なお8代は、再び7代と名跡交換し12代若藤を再襲名して定年を迎えている。
歴代師匠
- 5代:伊勢ヶ濱 勘太夫(いせがはま かんだゆう、関脇・清瀬川、秋田)
- 6代:伊勢ヶ濱 萬藏 (いせがはま まんぞう、38代横綱・照國、秋田)
- 7代:伊勢ヶ濱 清之輔(いせがはま せいのすけ、大関・清國、秋田)
- 8代:伊勢ヶ濱 敏郎(いせがはま としお、前頭1・和晃、愛知)
横綱・大関
横綱
- 照國萬藏(38代横綱・秋田)
大関
- 清國勝雄(大関・秋田)
幕内
関脇
小結
平幕
- 清美川梅之(秋田)
- 白龍山慶祐(秋田)
- 櫻國輝男(北海道)
- 東海稔(東京)
- 大瀬川半五郎(青森)
- 淺瀬川健次(大阪)
- 若瀬川剛充(山形)
- 斉須稔(福島)(一時期・寶国、現・世話人)
- 和晃敏郎(愛知)
- 天水山正則(熊本)
- 照櫻弘行(大阪)
- 神幸勝紀(山形)