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上島町

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かみじまちょう ウィキデータを編集
上島町
上島町旗
上島町章
 
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
越智郡
市町村コード 38356-2
法人番号 2000020383562 ウィキデータを編集
面積 30.38km2
総人口 6,069[編集]
推計人口、2024年5月1日)
人口密度 200人/km2
隣接自治体 (海上で隣接)
今治市
広島県尾道市福山市
香川県観音寺市
町の木 ウバメガシ
町の花
上島町役場
町長 上村俊之
所在地 794-2592
愛媛県越智郡上島町弓削下弓削210番地
外部リンク 上島町

上島町位置図

― 市 / ― 町

特記事項 ・隣接自治体は全て海上でのもの
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上島町(かみじまちょう)は、愛媛県にある2004年平成16年)10月1日越智郡弓削町生名村岩城村魚島村が合併して誕生。瀬戸内海に浮かぶ18の島々から成り、海上で広島県尾道市に接している。

地理

位置

上島町は、瀬戸内海のほぼ中央、愛媛と広島の間に点在する芸予諸島の中でも、愛媛県側で最も東に位置している。広島県尾道市因島に近く、最も近い生名島の場合、その間はわずか300メートルであり、生活圏は因島側に属している。大島の東方に魚島高井神島がある。

地形

町名の由来

「かみじま」とは古くからの当地域一帯の名称である。

藩政期には、大三島及び今日の上島諸島のうち、生名島岩城島は伊予松山藩の領地であった。松山藩では三津が浜を境として、それより上の地域、岩城、生名を上島、下を下島と呼んだ。これに由来するとするのが一説である。今日では、大三島が上島と呼ばれることはない。

※上浦町教育委員会(編)『上浦のこみち』(第三版、2004年平成16年)3月)による。

歴史

江戸時代には、松山藩今治藩に分かれて統治されていた(温泉郡中島町等にもそうした例は見られる)。東西の瀬戸内航路の要衝であり、西国の諸大名の参勤交代路にもなり、商業と廻船業で大いに賑わった。

古くは、農業・水産業を主産業としてきたが、近くの因島(広島県)はじめとして造船業が盛んになると、造船所で勤務する人が増え始めた。日立造船の造船所があり、この地域の造船業の中心地であった因島(現在は尾道市の一部)との結び付きを強め、ベッドタウン的な傾向を持つようになった。ところが、オイルショックとそれに続く造船・海運業の不況により、離職者が相次ぎ、「島が沈む」とまでいわれた。

そうした中、上島町を構成していた旧自治体はそれぞれの道を模索してきた。例えば、上島諸島の中で最大の総面積を持つ旧弓削町は、上島架橋構想の一つである弓削大橋の建設など、交通条件の改善に着手した。旧生名村では「スポーツ合宿村」を核とする基本構想を策定し、村民が一体となり観光・スポーツ立村実現に向け積極的に取り組んできた。また、旧岩城村においては、柑橘類を中心とした農業、水産業、造船業等の産業振興、観光振興に力を入れてきた。旧魚島村では漁業振興のほか生活環境の整備に努めてきた。

現在は、激変期を過ぎて落ち着きを取り戻した閑かな町である。過疎化と高齢化が著しい、瀬戸内しまなみ海道を北側に望む離島である。立地条件が足かせになっている。

行政

町長

旧弓削町議会議員出身の初代上島町長。町長選では単独で立候補し、無投票当選した。
任期満了に伴う2008年11月の選挙で、再選された。総合支所方式から分庁方式への転換を表明している。

平成の合併

合併協議では、上島地域が離島の集合体であることから、合併後の姿の選択肢として次の三つが想定された。

  • 4町村の合併(現在の姿)
  • 他の島しょ部を含む越智郡全体で今治市と大合併
  • 越智郡島しょ部のみでの合併

協議では、因島の生活圏に属する特長を踏まえて、地域の特性を保存しようということで、4か町村で合併することになった。

主な行政機関

  • 上島町役場総合庁舎
  • 上島町役場生名総合支所
  • 上島町役場岩城総合支所
  • 上島町役場魚島総合支所
  • 上島町消防署
  • 弓削開発総合センター
  • 生名開発総合センター
  • 魚島開発総合センター
  • リサイクルセンターいきな
  • 岩城クリーンセンター
  • 愛媛県立果樹試験場岩城分場

経済

産業

農林業、介護福祉事業に力を入れている。

  • 主な産業
農業 柑橘類岩城島は青いレモンの島で知られている。
漁業 など 魚島の周囲は鯛の漁場として知られている。弓削島では、昔から海苔の養殖が盛ん。近年は、一部の業者が養殖のノウハウを生かして、定置網漁も手がけている。
造船 岩城島に今治造船グループの岩城造船がある。

産業人口

[1]

主要企業

地域

人口

上島町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 13,572人
1975年(昭和50年) 13,645人
1980年(昭和55年) 12,669人
1985年(昭和60年) 12,113人
1990年(平成2年) 10,442人
1995年(平成7年) 9,380人
2000年(平成12年) 8,605人
2005年(平成17年) 8,098人
2010年(平成22年) 7,648人
2015年(平成27年) 7,135人
2020年(令和2年) 6,509人
総務省統計局 国勢調査より


健康

  • 平均年齢

教育

小学校

  • 上島町立弓削小学校
  • 上島町立生名小学校
  • 上島町立岩城小学校
  • 上島町立高井神小学校
  • 上島町立魚島小学校

中学校

  • 上島町立弓削中学校
  • 上島町立生名中学校
  • 上島町立岩城中学校
  • 上島町立高井神中学校
  • 上島町立魚島中学校

高等学校

高等専門学校

弓削高校の通学補助

上島町教育委員会では、定員割れで存続が危ぶまれている、町内唯一の高校、愛媛県立弓削高等学校の生徒を確保し、地域活力を維持していくため、同校に通う生徒への通学費補助制度がある。島外から通学する生徒を対象にフェリーの定期代の半額を補助するほか、自転車購入費用として上限1万円(新入生に限る)を補助する。
なお、近隣の島しょ部では定員割れから、愛媛県立大三島高等学校愛媛県立大島高等学校(現在は廃止)がそれぞれ今治市内の県立高等学校の「分校」となっている。

保安

  • 今治市伯方町にある伯方警察署が管轄している。上島町には、弓削、生名、岩城、魚島に、それぞれ駐在所がある。

交通

  • 離島のため、交通は海上交通に依存している。離島とはいえ、大きい島との距離は短く、また小さいとはいえシャトル運航されているフェリーもあり、これらが運航されている昼間に限れば極端な交通不便地ではない。(魚島を除く)

道路

島内道路。

県道事業として、弓削島佐島との間に弓削大橋が、また佐島と生名島の間に生名橋が架かっている。将来的には、岩城島を経て、伯方島へと橋をつなげていく構想(上島架橋構想)がある。

一般国道

  • なし

都道府県道

なし
愛媛県道172号弓削島循環線
愛媛県道173号横浜生名港線
愛媛県道174号岩城環状線
愛媛県道338号岩城弓削線

路線バス

船舶

魚島を除き各島の港から、土生港(因島)、今治港などへの航路がある。

メイン航路は、今治~岩城~佐島~弓削の快速船航路(芸予汽船で、大島、伯方島へも寄航もある。このほか、生名島から因島への航路は二つの港から発着しておりメインの立石港からは町営フェリーが渡し舟感覚で土生との間を結んでいる。また、岩城島の北側・小漕港から対岸の生口島へのフェリー(三光汽船)がある。他に弓削島の上弓削地区からは因島の家老渡へ日中30分間隔でフェリー(家老渡フェリー汽船)が運航している。

魚島高井神島へは土生港(因島)から弓削港(弓削島)を経由して町営船「ニューうおしま2」が往復している。

航路
  • 弓削港(弓削島) - 土生港長崎桟橋(因島)
一部の便は佐島、生名島へ寄港する
  • 上弓削(弓削島)- 家老渡(因島)
  • 町営フェリー(ニューうおしま)
豊島 通過便がある。弓削港と土生港の間だけの旅客利用はできない[2]
  • 町営船(生名公営汽船)
  • 立石港(生名島)- 土生港長崎桟橋
主な港湾

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

※詳しい内容はそれぞれの島のページを参照のこと。 弓削島佐島岩城島赤穂根島津波島生名島魚島

名産品

観光スポット

出身有名人

その他

  • 市外局番 : 0897(町内全域)
  • イメージキャラクター
2007年、イメージキャラクターとして、イラストレーター涌嶋克己の作品「上島四兄弟 四国の四国」を決定。

関連項目

脚注

  1. ^ 国勢調査(平成17年10月1日)
  2. ^ 土生/中央桟橋 ~ 弓削 ~ 魚島航路(ニューうおしま)”. 上島町. 2011年12月4日閲覧。

外部リンク