マッテオ・レンツィ
マッテオ・レンツィ Matteo Renzi | |
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マッテオ・レンツィ(2014年11月) | |
生年月日 | 1975年1月11日(49歳) |
出生地 | イタリア トスカーナ州フィレンツェ県フィレンツェ |
出身校 | フィレンツェ大学 |
所属政党 |
民主党(2007年 -) マルゲリータ(2002年 – 2007年) 人民党(1996年 – 2002年) 新中道右派、市民の選択、中道連合(協力政党) |
配偶者 | アニェーゼ・ランディーニ |
サイン | |
第63代イタリア閣僚評議会議長 | |
内閣 | レンツィ内閣 |
在任期間 | 2014年2月22日 - |
大統領 |
ジョルジョ・ナポリターノ セルジョ・マッタレッラ |
在任期間 | 2009年6月22日 - 2014年2月22日 |
前任者 | レオナルド・ドメニチ |
在任期間 | 2004年6月14日 - 2009年6月22日 |
前任者 | ミケーレ・ゲスアルディ |
在任期間 | 2013年12月8日 - |
前任者 | グリエルモ・エピファーニ |
マッテオ・レンツィ(イタリア語: Matteo Renzi, イタリア語発音: [matˈtɛo ˈrɛntsi]、1975年1月11日 - )は、イタリアの政治家。閣僚評議会議長(首相、第63代)。民主党書記長(第5代)。
フィレンツェ市長(1期)、フィレンツェ県知事(1期)を務めた。
経歴
フィレンツェ出身。フィレンツェ大学で法律を学んだ、在学中の1995年、ロマーノ・プロディの後援組織に関わったことで政治の世界に足を踏み入れた[1]。
フィレンツェ大学卒業後、1996年に人民党に入党。1999年に党フィレンツェ州書記長に就任。2002年、人民党が合流した新党・マルゲリータ結成に参画する。
フィレンツェ県知事
2004年、フィレンツェ県知事に中道左派連合(マルゲリータ公認)で出馬、59%の得票で当選。2007年、民主党結成に参画。
フィレンツェ市長
2009年、フィレンツェ市長選に中道左派勢力(民主党公認)で出馬、中道右派勢力で元サッカーイタリア代表のジョバンニ・ガッリを抑えて当選した[2]。
市長に就任すると次々と改革を行った。市会議員の定員を半減させ、自治体関係の公用車を減らして歳出を削減した。一方で、公立学校の新設・改修に5100万ユーロ、社会福祉関連事業に2500万ユーロを投じ、幼稚園の待機児童を90%減らした。また、観光業を推進するために、市の歴史地区への一般車両乗入を禁止し、公衆無線LANスポットも500カ所設置した。これによって、年間800万人の観光客を呼び込み、新規雇用の創出にも力を入れた。直接的に市歳入を増やすため、歴史的な施設・広場を企業イベントや結婚式のために有料で貸出で貸し出したが、これは周辺住民からの反発もあり議論を巻き起こした[1]。
2012年、党書記長(党首)選挙に出馬、39%の得票で、61%を獲得したピエル・ルイジ・ベルサーニに敗北。
権力の掌握
ベルサーニは高齢のジョルジョ・ナポリターノに代わる大統領の選出に苦労する。そこで次期大統領に元上院議長フランコ・マリーニを推すことを、中道右派を率いる元首相シルヴィオ・ベルルスコーニと合意した。ベルサーニはマリーニなら議会の中道右派・中道からも支持を得られると見込んでいたが、結果として自らが率いる民主党内から大きな反発を招いた。特にレンツィは即座に不支持の意向を表明し、マリーニがカリスマ性や国際的な評価もない「前世紀からの候補者」だと表現。議会内にいる自らの支持者約50人はマリーニに投票しないと述べた。このため大統領の選出ができず、主要政党の幹部たちは、大統領の長年再選に反対していたナポリターノに翻意を求め、続投を認めさせた上で彼を再選させた。また、この混乱を招いた責任を採ってベルサーニは党書記長を辞任した[3][4]。
2013年、党書記長選挙に改めて出馬、68%を獲得し圧勝した。
2014年2月14日、民主党所属の閣僚評議会議長(首相)であるエンリコ・レッタに対して、改革が進んでいないなどを理由にレンツィ率いる党役員会で首相辞職を勧告。レッタはレンツィとの会談後、首相辞表を提出した。
同年2月17日、大統領のナポリターノよりレンツィは首相に指名され[5]、わずか2カ月足らずの間にフィレンツェ市長から民主党書記長(党首)、首相へと上り詰めた。なお、39歳での首相就任は、イタリア史上最年少となる[1]。
首相
2014年2月22日に組閣作業を完了させて正式にレンツィ内閣が発足した。ベルルスコーニから離反した新中道右派などとの連立で、(首相を除く)閣僚ポストを21から16に減らし、そのうち8つは女性が就任した[6]。
2014年の欧州議会議員選挙ではレンツィ率いる民主党が41%の得票で大勝した。他のEU諸国ではEU懐疑派や反体制の政党が大勝していたが、イタリアはこの潮流に逆らう結果となった。また、それまで選挙を経ていなかったレンツィの民主的な正当性が、初めて示されたとされた[7]。
2015年1月31日、大統領選挙の第4回投票において自らの支持するマッタレラを大統領に当選させた[8]。
経済
レンツィは重要な改革を毎月1つずつ実行すると約束し、経済の抜本的改革を進める構えを見せた。また、議会で「イタリアは単なる美しい観光地であってはならない」と訴えた[1]。
2014年3月、内閣は国の首脳たちのために使われていた マセラティ・ジャガー ・BMW・アルファロメオ など1500台の車高級を競売にかけた。そのうち170台はeBayを通じて直ちに売れた[9]。
2015年にはレンツィの推し進める労働市場改革などによってイタリア経済が好調になったとされる[10]。
外交
首相就任後初の外国訪問先として、ブリュッセル(EU本部がある)でもアメリカでもなく、チュニジアを選んで内外を驚かせた[1]。
2015年8月、来日。
ヨーロッパ連合では、ドイツ首相 アンゲラ・メルケルの政策に反対する首脳たちの中心的な存在として報道されたこともある[11][12]。
人物
妻は高校教師のアニェーゼ・ランディーニ。夫人との間にフランチェスコ、エマヌエーレ、エステルの2男1女がいる[13][1]。
演説が上手く、メディア戦略によって民衆の心をつかむのに長けている。一方でベテラン政治家たちを「老害」と呼んで排除するなど党に不協和音を生み出しており、マスコミからは「壊し屋」と呼ばれている[13]。
神を引き合いに出すことを好んでいる。親しい友人たちの話によると、レンツィは教会の司祭に「マッテオ、確かに神はおられる。だが君ではない。肩の力を抜きなさい」と諭された[1]。
2014年時点で90万人以上のフォロワーがいる「Twitter中毒」。大統領ナポリターノから首相に指名された2分後には、「行くぞ、行くぞ!」と興奮気味のツイートをした。朝6時40分に首相官邸の中庭の写真付きで、「政府の緊急案件を処理中。#おはよう」とツイートしたこともある[1]。
猛烈な仕事人間である。側近たちは、レンツィを3分以上座らせておくのに苦労している。朝早くから仕事をしており、寝るのは午前2時で、日曜日も仕事をしている[1]。
アメリカの政治モデルを評価している。民主党書記長選に出馬したとき、イタリア全土を車で回ってアメリカ流の選挙活動。支持者から資金を集めた[1]。敬愛する政治家は元イギリス首相のトニー・ブレアとアメリカ大統領のバラク・オバマ[13]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j “どん底イタリアに奇跡を起こす男”. 2013年12月18日閲覧。
- ^ “Elezioni Comunali Turno di ballottaggio 21–22 giugno 2009”. Comune di Firenze (2009年). 2013年12月18日閲覧。
- ^ “UPDATE1: イタリアの次期大統領選の投票が18日開始へ、元上院議長が有力候補に”. 2016年2月16日閲覧。
- ^ “イタリアでナポリターノ大統領が異例の続投―2度目の超党派の組閣へ”. 2016年2月16日閲覧。
- ^ “伊新首相にレンツィ氏指名 39歳最年少首相へ”. 産経新聞 (2014年). 2014年2月18日閲覧。
- ^ 伊レンツィ内閣、閣僚の半数は女性 名簿提出 日本経済新聞 2014年2月22日
- ^ “[FT大勝のレンツィ伊首相、今が改革の時(社説)]”. 2016年2月16日閲覧。
- ^ “新大統領にマッタレラ氏-レンツィ首相の支持候補”. bloomberg.co.jp (ブルームバーグ). (2015年1月31日) 2016年2月16日閲覧。
- ^ “Auksjonerer bort regjeringens luksusbiler på Ebay”. 2016年2月16日閲覧。
- ^ “Five reasons why Italy is on the up”. 2016年2月16日閲覧。
- ^ “EUはこのまま崩壊に向かうのか? 独善的なドイツの姿勢に不満噴出”. 2016年2月16日閲覧。
- ^ “焦点:難題山積のEU、来年は英離脱選択なら壊滅的打撃”. 2016年2月16日閲覧。
- ^ a b c “イタリア:新首相に39歳レンツィ氏 あだ名は「壊し屋」”. 毎日新聞 (2014年). 2014年2月22日閲覧。
外部リンク
- Governo Italiano: Home Page(首相府公式サイト)(イタリア語)
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イタリア 首相(閣僚評議会議長) 第63代:2014年 – 現在 |
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先代 レオナルド・ドメニチ |
フィレンツェ市長 2009年 – 2014年 |
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