カトリック教会の性的虐待事件

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カトリック教会の性的虐待事件Catholic sex abuse cases)とは、21世紀に入ってカトリック教会を揺るがしている一部の司祭修道者による児童への性的虐待問題のことである。2010年3月28日にはロンドンで当該問題に対するローマ・カトリック教会の責任を問い、教皇ベネディクト16世の退位を要求する抗議デモが行われ、一部欧州メディアでは教皇の退位問題に触れ始めるところも出て来ている[1][2]

概要

この問題は特にアメリカ合衆国で多くの事件が報告され、訴訟に至ったものもある。問題の性質上、長きにわたって当事者間の秘密とされていたものも多かったが、2002年にアメリカのメディアが大々的にとりあげたことをきっかけに多くの報告が行われるようになった。この種の事件が起こっていたのは孤児院や学校、神学校など司祭修道者、施設関係者と子供たちが共同生活を送る施設であることが多かった。

経過

その後時が経つにつれ、アメリカ合衆国以外での事例も次々に明らかとなり、アイルランドメキシコオーストリアといった国々でも訴訟が起き、イギリスオーストラリアオランダスイスドイツノルウェーにおいても行われてきた性的虐待が問題となっている[3][4][5]。アメリカやアイルランドでは教区司教が引責辞任に追い込まれるという異例の事態となった。

この件に関しては地域のカトリック教会の対応が厳しく批判された。それは地域の教会の上層部がスキャンダルの発覚を恐れ、事件を起こした人物を異動させるだけで問題を隠蔽してきたというのである。しかし、このようなカトリック教会の姿勢にも変化が見られ、2006年に入って教皇ベネディクト16世はこのような問題が起きた場合、厳正に処断すると宣言、このような罪を犯すことはもちろん宗教的・社会的にも許されない上に、隠すことも大きな罪になるとはっきり述べた。

しかしその後の教皇・カトリック教会による対応に批判は止まなかった。

2010年3月ニューヨーク・タイムズがベネディクト16世自身が枢機卿在任時代に司祭の虐待事件をもみ消していたという疑惑を報じたことにつき教皇側が強く反発した事から、2010年3月28日にはロンドンで教皇の退位要求デモが行われ、同年3月31日には、アメリカでは事件を隠蔽した疑いにつき、教皇を証人として出廷させるよう、弁護士裁判所に要請するに至っている[1]

2010年4月18日、教皇ベネディクト16世は、訪問先のマルタにおいて、虐待被害者たちと会談。涙をながして「遺憾と悲しみ」の意を表明し、祈りをささげるとともに、教会が全力で疑惑の調査を行っている事を説明し、虐待の責任者を処罰するまで調査を続け未来の若者達を守る方策を実施すると約束した[6]

2010年5月11日、教皇ベネディクト16世は当該問題につき「教会内で生まれた罪により教会が脅威にさらされている」とし、教会の責任に初めて言及した。ポルトガル訪問の際の機中で記者団に語った発言であり、屋外ミサにおける説教では特に言及はされなかった[7]

なお、1741年に教皇ベネディクトゥス14世が書簡『サクラメントゥム・ペニタンツィエ』(en:Sacramentum Poenitentiae)の中でこの問題に触れていることをあげて根の深い問題であると指摘するものもある[誰?]

経緯と影響

アメリカ合衆国

アメリカ合衆国で最初にこの件に世間の注目を集めたのはボストン・グローブ紙であった。2002年1月、同紙はボストン教区の教区司祭ジョン・ゲーガン神父が、六つの小教区に携わった30年にわたる司祭生活の中で、述べ130人もの児童に対する性的虐待を行って訴訟を起こされたこと、またカトリック教会はゲーガンに対しなんら効果的な処分を行わず他の教会へ異動させただけで、それが事態を悪化させてきたと、特集を組んで報道した。ゲーガンは1991年の虐待事件に関して起訴され、1998年に聖職停止(司祭としての職務の剥奪)処分を受けていた。ゲーガンは2002年に禁錮9 - 10年の実刑判決を受けたが、2003年8月23日にソーザ・バラノフスキー矯正センターで他の収容者に暴行されて死亡した。

このスキャンダルが発覚した後、6月には250人が解任されるという事態となったが、聖職は剥奪されなかった。そのため、アメリカ国民はこの「温情ある方針」に激怒した。米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は2003年1月11日、過去60年間で米国カトリック教会の1200人を超える聖職者が、4000人以上の子供に性的虐待を加えたと報じた。さらに、2004年2月16日には米CNNテレビで1950年から2002年にかけての52年間で、神父4450人が疑いがあると報道し、件数は約11000件に上ると報じた[8]。これはその期間中における神父の人数11万人の内の4%である。約11000件中立証できたのは6700件、立証できなかったのは1000件、神父が死亡したなどの原因で調査不可能になってしまったものが3300件であった[9]。しかも被害者団体はこれに対しても「司祭らは長年にわたり(性的虐待を)隠そうとしてきた。すべての真実を示すものではない」と批判した。

ボストン大司教バーナード・ロー枢機卿は、自身の教区に属するゲーガンへの対応に関して、世論の厳しい批判を受け、2002年12月13日に辞任に追い込まれた。ロー枢機卿はゲーガン神父の問題行動に関しての報告をたびたび受けていたにも拘らず、効果的な対応を行わなかったとされる。ロー枢機卿の後任となったショーン・オマリー司教は被害者への賠償金の支払いなどの1200万ドルともいわれる多額の裁判費用の捻出のため、教区資産の売却を余儀なくされた。

教区の責任者としてロー枢機卿が厳しい批判を受けることになったのは、同教区でこのような問題が起こったのはゲーガンが初めてではなかったからである。かつて同教区の司祭であったジェームズ・ポーターが1950 - 60年代に、少なくとも125人の子どもへの性的虐待を繰り返して教区内で問題になり、本人も自身の性的嗜好の問題に苦悩して長上に相談し、さらには逮捕までされているにも関わらず、なんら実効的な対処が行わず、教区内を転々とさせるだけであったということが明らかになったのだ。ポーター自身は1974年に司祭職を離れて結婚生活を送るようになったが、1990年代にかつての被害者が名乗り出たことから、マスコミが彼の過去を次々に暴きだすことになった(ポーターは家庭生活を送っていた1984年になってもベビーシッターの少女への性的虐待を行ったとされている)。1993年、ポーターは多くの性的虐待の罪で懲役18 - 20年の実刑判決を受け、2005年にガンのため獄中で死去した。

2007年に、ニューヨークのカトリック教会は、子どもの性的虐待を防ぐ塗り絵を市内の学校に配布した。この塗り絵には、侍者を務める少年に対して、密室で司祭と二人きりにならないよう天使が教える絵などが描かれている。聖職者の性的虐待を調査する機関「Bishop Accountability(司教の責任)」によると、2007年12月までの段階で、全米4万2000人の司祭のうち、約3000人が性的虐待の疑いで弾劾され、捜査当局の調査対象となった者、有罪判決を受けた司祭もいたとされる[10]

2008年4月18日、教皇ベネディクト16世は訪米時に被害者達に面会して直接謝罪した[11]一方で、聖職者の児童虐待は「アメリカ社会の堕落にも責任」があると言及した[12]

アメリカでの騒動はその後も収まらず、2010年3月25日には教皇ベネディクト16世自身がバチカン教理省長官たる枢機卿在任時に、虐待をしていた司祭の処分を見送っていた疑惑がニューヨーク・タイムズによって報道された。これに対し教皇は「つまらぬゴシップ」と切り捨て、周辺の司教らは一連の性的虐待事件について「一部の者の過ち」とし続けており、「性的虐待はカトリックだけの問題ではない」「何者かの陰謀だ」と逆に反発を強めている[2]。現バチカン教理省長官を務めるウィリアム・レヴェイダ枢機卿は同年3月31日、ニューヨーク・タイムズの当該記事に対し「いかなる適正な公平性の基準にも達していない」と非難した[13]ニューズウィーク独身制の問題を指摘している[14]。2010年4月23日には、ウィスコンシン州で、被害者がバチカンと教皇を提訴するに至った[15]

2010年5月13日バーモント州のバーリントン(Burlington)教区は、神父による性的虐待被害者に対し2000万ドル以上の慰謝料を支払うことに合意した。費用捻出の一部には不動産売却代金が含まれる見込み[16]

ドイツ

300人以上もの被害者が報告されているドイツにおける事件では、教皇ベネディクト16世大司教であった1980年の南部ミュンヘン教区においても被害者が存在すること、教皇の実兄が指揮者を務めたレーゲンスブルク聖歌隊においても虐待があったこと、さらに性的虐待に関与した神父の教会施設受け入れを認めたと報道されている。この時、教皇はこの事実を知っていたのではないか、という疑惑が挙がってきており「教皇は性的虐待を黙殺したのではないのか?」と疑念が持たれている。教皇の出身国ドイツの世論調査機関によれば、国内2500万人のカトリック信者のうち、19%が「教会を離れることを検討中」と回答した[17]

欧州への波及・教皇退位要求デモ

こうした教皇・カトリック教会側の対応が欧州・米国において反発を買い、2010年3月28日ロンドンで教皇の退位を求める集会が行われる異例の事態となった[1][2]。同年3月30日には、米国の弁護士が、教皇が司祭による性的虐待を知りながら事件を隠匿したとして、教皇を証人として出廷させるよう裁判所に要請した[13]

アイルランド

アメリカ国外で起こった同種の事件としては、アイルランドのノルベルト修道会士ブレンダン・スミスのケースがある。彼は1945年から1990年にかけて、自らが関わっていた数百人の子どもたちに対して性的虐待を繰り返していたとされる。アイルランドでは前述のスミスだけでなく、同様の罪が問題とされたファーンズ教区のジム・グレナン神父や、児童への暴行容疑で裁判を受けることになったが開廷前に自殺したショーン・フォーチューン神父などの事件が続けて明るみにでた。この問題を受けてファーンズ教区のブレンダン・コミスキー司教が引責辞任し、ダブリン大司教区のコンネル枢機卿も進退を問われる事態となった。2010年3月までで、合わせて4人の司教が引責辞任している[18]

2009年5月には、1930年代から性的、肉体的、精神的な虐待が児童に対し広く行われていたとの調査報告が政府の調査機関から発表され、2009年11月26日には、関係機関が誠実に被害者に対して対応を行っていなかったことにつき、教会と政府が謝罪した[19]

2010年3月20日に教皇ベネディクト16世は、アイルランドでの性的虐待問題につきアイルランドのローマカトリック教会に対して送った教書を公表。反省と謝罪を行い、信頼回復を誓った。この教書の中で、教皇は神への痛悔を行うとともに、犯罪行為に対して法の裁きを受けるよう求めた。今後、バチカンも児童虐待につき公式に調査し、教皇が被害者と直接面会して癒やしを祈るとした。ただしもみ消しに関与したとされるブレイディー枢機卿らの辞任は求められていない。被害者の一人が教書の内容に対し「被害者への言及が少なく、失望した」と述べたとロイター通信は報じている。肉体的・精神的被害について賠償を求める動きが一部で出ている[18]

イギリス

イギリスでもカトリック聖職者による児童虐待が問題となっている。

教皇ベネディクト16世は2010年9月16日から4日間、1534年ヘンリー8世がローマ教会と袂を分かって以後の歴代教皇では初めて英国を公式訪問した(非公式訪問はヨハネ・パウロ2世が既に行っている)。教皇の訪問に際し、当該問題に対するデモなどが複数計画されていた[20]

ベネディクト16世は英国での児童虐待被害者のうち女性4人、男性1人に面会し、18日のミサにおいてはこれまでで最も明確な文言(「言葉で表せないほどの罪を恥ずかしく思う」)で謝罪の意を表明した[21]

しかしながら、英国の虐待被害者のための全国組織であるNAPAC(National Association for People Abused in Childhood)のピーター・サンダース会長はこの謝罪に対し、教皇は立場的に追い込まれて謝罪発言に至ったとして、厳しい評価を下している[21]

メキシコ

メキシコでは「キリストの兵士」という修道会を1940年代に創設したマルシアル・マシエル神父が元神学生への性的虐待容疑で訴えられた。マシエル神父は自らと修道会の名誉を傷つけようとする陰謀であると主張し、容疑を否定した。事件はメキシコの司法当局で調査されただけでなく、バチカンも教皇直属の委員会を招集して直接の調査に乗り出す事態になった。委員会による審議はヨハネ・パウロ2世の死期が迫ったことで中断されていたが2004年12月にヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(現教皇ベネディクト16世)が教皇に代わって委員会による迅速な審議を指示。同じころ、マシエル神父は修道会の総長職を退いたが、委員会の調査とは無関係であるとコメントしている。

2006年5月19日、教皇ベネディクト16世は86歳のマルシアル・マシエル神父に対し、一切の職務を退き、以後「祈りと痛悔」の日々を送るよう命じた。バチカンは声明の中で、「調査委員会への喚問も検討したが、高齢と健康不安を理由にこれは断念した」とも述べた。このような声明が教皇自身の名前で出されることはかつてなかったことであり、同種の問題に対する対応が甘いと批判された前教皇ヨハネ・パウロ2世の方針とははっきりと一線を画すものであると見られている。ベネディクト16世はこのようなスキャンダルに対する「断固とした対処」を繰り返し訴えている。

オーストラリア

オーストラリアで行われた聖職者による性的虐待については、教会による事実隠蔽の疑惑が渦巻く中、被害者両親から教皇に対し謝罪要求が行われていたが[22]、オーストラリアを訪問した教皇ベネディクト16世は2008年7月シドニーで行われたミサにおいて、オーストラリアで発生した聖職者による未成年者への性的虐待事件につき、全面的に謝罪、聖職者によるケアを指示し、犯罪者に対する厳正な法による処罰を求めた[3]

ギリシャ

ギリシャ正教会から当該問題・事件に対する論評が上がり始めている。

首座主教であるアテネ大主教イエロニモス2世の側近であるディミトリオス神父は、カトリック教会の司祭独身制、および「純潔を優越とみなす思想」の問題を指摘している[23]正教会においては司祭の妻帯は、前段階である輔祭に叙聖される前に結婚するのであれば許される。

数々の事件は特殊な性愛傾向をもつ司祭に問題があるとするバチカンの見解に対し、ディミトリオス神父は、司祭の独身維持という制度が問題の根源にあるとし、未成年者に性的虐待が向かうのは司祭個々人の性愛傾向が原因ではなく口封じが容易だという要因を指摘している[23]

脚注

  1. ^ a b c 「流言の脅しには屈しない」とローマ法王、虐待疑惑で退位要求も(2010年03月29日 12:27 AFPBB News
  2. ^ a b c カトリック教会:神父の性的虐待次々発覚 バチカン窮地に (2010年4月2日 21:00分 毎日新聞
  3. ^ a b ローマ法王が明確に謝罪、豪カトリック聖職者による性的虐待事件(2008年07月19日 15:33 AFPBB News)
  4. ^ アイルランド教会の児童性的虐待問題、ローマ法王が教書送付へ(2010年03月17日 22:29 AFPBB News)
  5. ^ 今度はノルウェー、カトリック元司教が児童性的虐待を認める(2010年04月08日 12:11 AFPBB News)
  6. ^ ローマ法王、性的虐待被害者らに涙の謝罪 マルタ(2010年04月19日 18:58 AFPBB News)
  7. ^ ローマ法王、教会の責任に言及 児童性的虐待問題(2010年05月13日 13:13 AFPBB News)
  8. ^ 米神父4450人に児童へ性的虐待の疑い1万1000件
  9. ^ 世界キリスト教情報
  10. ^ 米カトリック教会、聖職者による子どもの性的虐待を防ぐ塗り絵を配布(2007年12月05日 15:02 AFPBB News)
  11. ^ ローマ法王、聖職者による性的虐待被害者と初の面会(2008年04月18日 09:22 AFPBB News)
  12. ^ 聖職者の児童虐待は「米社会の堕落にも責任」、ローマ法王(2008年04月17日 11:58 AFPBB News)
  13. ^ a b 法王に証人出廷要請、イースターに影落とす性的虐待疑惑(2010年04月02日 14:19 AFPBB News)
  14. ^ 「聖職者の手から子供たちを守れ」リサ・ミラー(2010年3月31日号ニューズウィーク
  15. ^ 被害者がバチカンとローマ法王を提訴、聖職者による児童性的虐待で 2010年04月23日 17:04 AFPBB News
  16. ^ 神父の性的虐待事件、米教区が18億円の慰謝料支払いへ(2010年05月14日 10:35 AFPBB News)
  17. ^ “ローマ法王に飛び火 児童への性的虐待 神父の処分見送った?”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2010年4月2日). http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100402/erp1004020034000-n1.htm 2010年4月13日閲覧。 
  18. ^ a b ローマ法王が児童虐待問題で歴史的謝罪(2010年3月21日 7:56 産経新聞
  19. ^ カトリック教会での児童虐待の報告書を発表、教会と政府が謝罪 アイルランド(2009年11月27日 11:16 AFPBB News)
  20. ^ ローマ法王が16世紀後初の公式訪英 2010年09月16日 21:00 AFPBB News
  21. ^ a b ローマ法王が16世紀後初の公式訪英 2010年09月19日 18:57 AFPBB News
  22. ^ カトリックの聖職者による性的虐待の被害者両親、ローマ法王に謝罪を要求(2008年07月18日 07:43 AFPBB News)
  23. ^ a b カトリック神父の性的虐待:純潔優越の思想、無理ある ギリシャ正教会から批判の声 毎日新聞 2010年4月29日

関連項目

外部リンク