河野秀数

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河野 秀数
日本ハム時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市
生年月日 (1987-12-14) 1987年12月14日(36歳)
身長
体重
173 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2012年 ドラフト7位
初出場 2013年4月12日
最終出場 2014年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

河野 秀数(かわの ひでかず、1987年12月14日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

山城高時代、3年時の夏は京都府予選4回戦で京都成章高に1-6で敗れた。甲子園出場経験はなし。

佛教大学社会学部現代社会学科に進学すると、京滋大学野球連盟に加盟している硬式野球部に入部する。4年時に第40回明治神宮野球大会に出場し、準決勝の立正大学戦で登板している。1学年後輩に大野雄大がいる。

大学卒業後、社会人野球新日本製鐵広畑に入団。1年目から公式戦に登板。第81回都市対抗野球大会では、1回戦のJFE東日本戦で救援登板し1回を無失点に抑えるが、チームは1-3で敗退した。第37回社会人野球日本選手権大会でも、1回戦の明治安田生命戦で救援登板している。

2年目は右肘痛に苦しみ、チームは第82回都市対抗野球大会に出場したが自身の登板機会はなかった。3年目は、主に抑えとして起用される[1]第83回都市対抗野球大会には、NTT西日本の補強選手として出場し[2]、2回戦の伯和ビクトリーズ戦で救援登板した。第38回社会人野球日本選手権大会では、1回戦のJR東日本戦で救援登板するが、チームは0-6で敗退した。

2012年10月25日、プロ野球ドラフト会議北海道日本ハムファイターズから7位指名を受け、入団した[3]。指名後の12月22日に大学時代から交際していた保育士の女性と結婚。ただし、入団当初は千葉県鎌ケ谷市の球団合宿所「勇翔寮」で単身生活を送った[4]

プロ入り後[編集]

2013年には、4月12日のオリックス・バファローズ戦(ほっともっとフィールド神戸)で一軍デビュー。5試合へ登板した後に、出場選手登録をいったん抹消された。6月の再登録後は、9試合連続無失点を記録するなど投球内容が安定。シーズン終盤には、右打者相手のワンポイントリリーフとして、接戦で起用された。一軍公式戦には、通算で33試合に登板。対左打者の被打率の高さに課題を残しながらも、防御率2.23、11ホールドを記録した。

2014年にも、ワンポイントリリーフを中心に、一軍公式戦23試合に登板。8月14日の対千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)でプロ初勝利を記録した[5]。なお、シーズン終了後の11月22日には、第1子となる長女が誕生[4]

2015年には、プロ入り後初めて一軍公式戦への登板機会がなく、10月2日に球団から戦力外通告を受けた[6]

日本ハム退団後[編集]

2015年11月10日に、シートバッティング形式の12球団合同トライアウト草薙球場)に参加。17分間の降雨中断をはさみながらも、再開直後に田上健一から空振りで三振を奪うなど、打者3人を無安打に抑えた[7]。しかし、NPBを含めたプロ野球他球団から獲得を打診されなかったため、現役を引退した。

現役引退後は、家族と共に地元の京都へ戻り、一般企業に就職している[8]

プレースタイル・人物[編集]

最速146km/hのストレートと、キレのある曲がりの大きいスライダーカットボールといった横の変化球で勝負するサイドスロー[9][10]で、外国人の右打者に対するワンポイントリリーフとして活躍した。大谷翔平からは、シーズン終了後に開かれた河野の結婚式で「(外野を)守っている時には、外国人の強打者に向かっていく姿がとても頼もしく感じた。そのような姿に、奥様も惹かれたのかなと思う」というスピーチを贈られた[8]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2013 日本ハム 33 0 0 0 0 0 2 0 11 .000 135 32.1 24 1 20 2 3 24 1 0 13 8 2.23 1.36
2014 23 0 0 0 0 1 0 0 1 1.000 81 17.0 18 2 13 0 2 14 0 0 8 8 4.24 1.82
通算:2年 56 0 0 0 0 1 2 0 12 .333 216 49.1 42 3 33 2 5 38 1 0 21 16 2.92 1.52

記録[編集]

背番号[編集]

  • 59 (2013年 - 2015年)

登場曲[編集]

  • 「陽の光」GReeeeN(2013年 - 2015年)

脚注[編集]

  1. ^ 日本ハムが指名あいさつ 新日鉄住金広畑・河野”. 神戸新聞NEXT (2012年10月30日). 2013年2月20日閲覧。
  2. ^ 2012年度 補強選手”. NTT西日本. 2013年2月20日閲覧。
  3. ^ 「2012年新人選手選択会議」交渉権獲得選手のお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2012年10月25日). 2013年2月20日閲覧。
  4. ^ a b 日本ハムの河野に第一子誕生「家族の為にも精一杯頑張りたい」”. スポーツニッポン (2014年11月24日). 2015年12月24日閲覧。
  5. ^ ハム2年目・河野 好救援でプロ初勝利「自分でいいのかな」”. スポーツニッポン (2014年8月14日). 2021年6月6日閲覧。
  6. ^ 日本ハム 鵜久森、増渕、斉藤、河野に戦力外通告”. スポーツニッポン (2015年10月2日). 2015年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月6日閲覧。
  7. ^ “2015年合同トライアウト速報”. 日刊スポーツ. (2015年11月10日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/1562569.html 2021年6月6日閲覧。 
  8. ^ a b 大谷も尊敬した“外国人キラー”河野「これからは一ファンで」”. スポーツニッポン (2015年12月24日). 2021年6月6日閲覧。
  9. ^ 当所硬式野球部の河野秀数選手が、北海道日本ハムファイターズへ”. 新日鐵住金 (2013年1月8日). 2021年6月6日閲覧。
  10. ^ ドラフト会議 北海道日本ハムファイターズ”. 日刊スポーツ. 2013年2月20日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]