殺人魚雷

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殺人魚雷(さつじんぎょらい)は、かつて全日本プロレスなどで活躍したテリー・ゴディスティーブ・ウィリアムスタッグチーム。名称の由来はウィリアムスのニックネームである殺人医師とゴディのニックネームである人間魚雷を合わせたもの。スーパー・デンジャラス・デュオ(Super Dangerous Duo:略称SDD)、ミラクル・バイオレンス・コネクション(Miracle Violence Connection:略称MVC)とも呼ばれる。

なお、この2人とよくチームを組む事が多かったリチャード・スリンガー(また後年にウィリアムスとタッグを組んだジョニー・エースも)含めて殺人魚雷、あるいは殺人魚雷一家などと呼ばれる事があった(主に全日本プロレス中継において)。

歴史[編集]

1990年2月、新日本プロレスから移籍してきたウィリアムスが移籍後最初の試合でゴディとのタッグを結成した。その初戦でジャンボ鶴田高野俊二組を破り、圧倒的な強さを見せたこのタッグはシリーズ最終戦では天龍源一郎スタン・ハンセン組の「龍艦砲」の保持する世界タッグ王座を初挑戦で奪取した。そしてその年の世界最強タッグではリーグ戦最終戦で残り1秒でウィリアムスがハンセン(&ダニー・スパイビー)をオクラホマ・スタンピードでフォールし優勝。翌1991年も優勝し史上初の世界最強タッグ連覇を成し遂げた。世界タッグは通算5回獲得、さらにはアメリカマットでもNWA世界タッグ王座とWCW世界タッグ王座を統一するなど最強タッグと呼ぶに相応しい活躍を見せた。

1990年代前半の全日本プロレスマットにおいて、超世代軍鶴田軍聖鬼軍などの日本人との対決、また当時の全日本外国人エースだったスタン・ハンセンとの外国人世代闘争による激しい戦いは、ファンから多大な支持を得た(超世代軍、鶴田軍との試合ではあまりの強さのためにブーイングが非常に多かった)。

しかし、1993年夏よりゴディが三沢光晴の保持していた三冠ヘビー級選手権に挑戦する直前に急病により長期欠場となる。代わりにパートナーのウィリアムスが小橋健太との挑戦者決定戦をデンジャラス・バックドロップ(ホールド)の連発により勝利し挑戦権を獲得。三沢には敗れたが、これを境にウィリアムスはシングルプレイヤーとしても実績を残していくようになる。またウィリアムスは新たなパートナーとしてジョニー・エースとのタッグを結成(殺人魚雷は事実上の解散状態である)。その後ゴディは復帰、来日時にウィリアムスやエースと組んで試合を行うものの、体調面から以前のような活躍は難しく、1994年7月を最後にゴディは全日本に参戦しなくなり、自然解散の様相となった。

主な獲得タイトル[編集]

その他[編集]

  • 入場曲はキッスの「I Love It Loud」。元々はウィリアムスの入場曲だったのだがその後ゴディも単独で使うようになる。前奏部分をファンが叫んでいる中で入場するのがおなじみの光景だった。
  • リング外でもこの2人は仲が良く、たびたび飲みに行くなどしていたようである。その頃からウィリアムスはゴディの酒の量の多さを気にしており、「もうちょっと飲む量を抑えよう」とアドバイスしてもゴディは「俺はマシーンだ」といって聞かず、結果として後の悲劇を招いた。
  • 実力は誰もが認めるところだったが、一方でカットプレーが多く、シングルマッチでもセコンドとして試合に不当な介入を行った事もあって日本陣営やハンセンに対する敵役、憎まれ役としての色合いが強かった。

関連項目[編集]