東札幌駅 (国鉄)
| 東札幌駅 | |
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イーアス札幌の旧東札幌駅記念オブジェ
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| ひがしさっぽろ - Higashisapporo | |
| 所在地 | 北海道札幌市白石区菊水7条4丁目 |
| 所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) 定山渓鐡道 |
| 電報略号 | ヒサ |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 2面4線(国鉄1面2線(旅客用),定山渓鐡道1面2線(旅客用)) |
| 開業年月日 | 1926年(大正15年)8月21日 |
| 廃止年月日 | 函館本線 - 1986年(昭和61年)11月1日 定山渓鐡道線 - 1969年(昭和44年)11月1日 |
| 乗入路線 2 路線 | |
| 所属路線 | 千歳線→函館本線 |
| キロ程 | 3.1km(苗穂起点) |
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◄苗穂 (3.1km)
(2.7km) 月寒►
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| 所属路線 | 定山渓鐡道線 |
| キロ程 | 0.0km(東札幌起点) |
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(1.0km) 豊平►
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| 備考 | 廃止駅、距離表示は旅客営業時のもの |
東札幌駅(ひがしさっぽろえき)は、かつて北海道札幌市白石区東札幌の日本国有鉄道(国鉄)千歳線上に存在した鉄道駅(廃駅)である。
目次 |
[編集] 概要
1926年(大正15年)、北海道鉄道が札幌線として沼ノ端 - 苗穂間を開業させた際、苗穂駅の手前に設置されたのが当駅である。なお、先行して白石 - 定山渓間の路線を1918年(大正7年)に開業させていた定山渓鐡道も、同時に隣接して駅を設置している。北海道鉄道では定山渓鐡道との接続を考慮して線路を敷設したため、東札幌駅前後にS字状の急カーブを生じることとなった。
なお、定山渓鉄道では、1931年(昭和6年)に北海道鉄道の東札幌 - 苗穂間を直流電化し、直通乗り入れを開始、苗穂を運転上の拠点とするようになったことから、白石 - 東札幌間で運転されていた旅客列車の本数を削減(末期には日2往復)するようになり、結局、1945年(昭和20年)に不要不急線として廃止された。定山渓鐡道線そのものも、1957年(昭和32年)から自社製気動車で札幌駅までの乗り入れを果たすようになったが、不採算やバスとの競合、さらに札幌市営地下鉄の敷設計画もあり、1969年(昭和44年)に全線廃止されている。
その後、室蘭本線・千歳線(海線)が函館本線(山線)に代わり長万部 - 札幌間のメインルートとなったことや、札幌都市圏の拡大に伴い、千歳線の複線化が計画される。それに際し、南郷通の開かずの踏切や、前述したS字状の急カーブ(最小半径250m)、そして大谷地 - 北広島間の最大15.2パーミルに及ぶ勾配区間を解消することと、更に1960年代に持ち上がった新札幌副都心計画の絡みもあり、1973年(昭和48年)、苗穂 - 北広島間のルートが現行の新札幌経由(苗穂 - 白石間は函館本線との二重戸籍区間)へ変更された。
これに伴い、旧線の月寒 - 北広島間、苗穂 - 東札幌間は廃止となり、月寒 - 東札幌駅間は1968年(昭和43年)に新設された東札幌 - 白石間の線路[1]と共に函館本線へ編入され、貨物線となった。このとき、東札幌の旅客扱いは廃止され、当時の駅前にバス停があった札幌市営バスの苗穂駅前や白石駅前との間の路線が代替バスとされた[2]。
なお、貨物駅化後も出札窓口が設けられ、末期に至るまで乗車券などの販売を行っていたといわれている。
1986年11月1日国鉄ダイヤ改正に伴い、業務を1968年設置の札幌貨物ターミナル駅に移管するなどして、廃止された。
[編集] 駅の構造
- 定山渓鐡道の廃止まで
- 定山渓鐡道が運用されていた頃の駅構造は、駅表側に定山渓鐡道専用、駅裏側に千歳線専用の千鳥状にずれた島式ホーム2面4線で、駅舎の南から各ホーム端部に跨線橋で連絡していた。
- 旅客扱い廃止まで
- 定山渓鐡道の廃止後は当鉄道のホームが撤去され、島式ホーム1面2線であった。
[編集] 沿革
写真左下近くに水色屋根の駅舎と駅前広場がまだ残っているが、ホームは判別できないほど荒れて放置されている。駅舎横の旧貨物ホームの北側に、緑屋根の小口貨物ホームとシェル石油/モービル石油の石油基地と専用線がある。構内は操車線群が拡大され、駅裏北側に一般車扱ホーム6面と小口混載ホーム2面を持つ貨物ターミナルが設置されるなど、貨物駅として整備されている。この貨物ターミナルの敷地をかつて白石駅からの定山渓鐡道が右上から本線側へ斜めに縦断し、駅舎の直ぐ左下の白い空地にあった短めの島式ホームから直進して左下へ向かっていたが、構内に小道状に残された跡以外の痕跡は無くなっている。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。
- 1926年(大正15年)8月21日 - 北海道鉄道 (2代) 札幌線沼ノ端 - 苗穂間開業に伴い、定山渓鐡道線との接続駅として開設。
- 1943年(昭和18年)8月1日 - 北海道鉄道が戦時買収私鉄に指定され国有化。国有鉄道千歳線となる。
- 1945年(昭和20年)3月1日 - 定山渓鐡道線の白石 - 当駅間廃止。
- 1958年(昭和33年) - 駅裏に小口混載積卸ホーム2面及び一般車扱貨物ホーム6面新設。
- 1960年(昭和35年)頃 - 仕分線増強工事。
- 1964年(昭和39年) - 小口混載積卸ホーム増設。
- 1968年(昭和43年)10月1日 - 函館本線貨物支線、白石 - 当駅間開業。
- 1969年(昭和44年)11月1日 - 定山渓鐡道線、当駅 - 定山渓間廃止
- 1973年(昭和48年)9月9日 - 千歳線線路付け替え。苗穂 - 当駅間・月寒 - 北広島間を廃止して東札幌 - 月寒間を函館本線貨物支線に編入。旅客扱い廃止[3]。月寒との駅間距離を2.7kmから2.8kmに改キロ。苗穂連絡を白石連絡に変更。
- 1976年(昭和51年)10月1日 - 当駅 - 月寒間廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 白石 - 当駅間廃止に伴い廃駅となる。
[編集] 駅周辺
開業当初は社員の社宅や機関庫などの鉄道関連施設が広がる街並みであった。国有化後はこれらの施設が不要となり、跡地には貨物の積み込み施設ができて、商業地が広がった。 旅客扱い時代から現在もある公共施設に白石警察署がある。札幌市営地下鉄東西線・東札幌駅は線路を挟んだ反対側の位置となるが、東西線開通時は既に貨物駅であった。
[編集] 跡地
跡地は長らく国鉄清算事業団の保有地となっていたが、1997年(平成9年)に再開発のため札幌市へ譲渡された。
一時はドーム球場・仮称「ホワイトドーム」の建設構想があがり、ほぼ内定していたが、旗振り役であった阿部文男元北海道開発庁長官の政治汚職事件(共和汚職事件)や建設資金の問題で立ち消えとなっていた(その後、2001年に豊平区羊ケ丘にて札幌ドーム完成)。
再開発用地(札幌コミュニケーションパークSORA)の約半分(北東側)に札幌コンベンションセンターなどが建てられ、残り半分(南西側)は大型商業施設用地として計画改定するも、同用地の土壌より有害物質(六価クロム)が見つかり、その除去作業や商業業者誘致の難航も絡み暫く開発が止まっていたが、2008年(平成20年)11月に大型商業施設イーアス札幌(大和ハウス系列)の完成・オープンとなった。
東札幌駅から白石駅寄りに進んだところに国道12号線があり、ここには「白石こ線橋」といまだに記されている。現在は線路が無いため、不自然なアップダウンとなっているが、費用をかけて撤去しても殆ど利便は無いため、そのままの状態で残していると思われる。そのためこ線橋の下はバラストや煙の跡が残っており、その昔千歳線があったことを鮮明にしのばせる場所である。
末期は貨物駅として機能していた東札幌駅であるため、周囲には物流関係の倉庫などが多数あり、当然のごとく日通系の施設も多い。しかしこちらも最近はマンションなどへ建て替えられるケースが目立っている。
[編集] 隣接駅
1969年当時
- 定山渓鐡道
- 定山渓鐡道線
- 東札幌駅 - 豊平駅
[編集] 脚注
[編集] 参考資料
- 札幌工事局70年史 昭和52年発行
[編集] 関連項目
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