大阪教育大学附属池田小学校
| 大阪教育大学附属池田小学校 | |
|---|---|
| 過去の名称 | 大阪府池田師範学校附属池田小学校 大阪府池田師範学校附属国民学校 大阪第二師範学校附属国民学校 大阪府第二師範男子部附属国民学校 大阪学芸大学附属池田小学校 大阪教育大学教育学部附属池田小学校 |
| 国公私立の別 | 国立学校 |
| 設置者 | 大阪教育大学 |
| 設立年月日 | 1909年4月12日 |
| 開学記念日 | 11月1日 |
| 創立者 | 大阪府 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 学期 | 2学期制 |
| 所在地 | 〒563-0026 |
| 外部リンク | 公式サイト |
大阪教育大学附属池田小学校(おおさかきょういくだいがくふぞく いけだしょうがっこう)は、大阪府池田市にある大阪教育大学附属の国立小学校である。男女共学。略称は、「附小(ふしょう)」「池附(いけふ)」「池小(いけしょう、大学内での略称)」。
目次 |
[編集] 概要
初等普通教育をおこなうとともに、大阪教育大学の附属学校として教育の実践的な研究や、教育実習生の受け入れなどをおこなっている。また2001年(平成13年)に児童殺傷事件(附属池田小事件を参照)が発生したことをふまえ、道徳や学校安全の研究・教育にも力を入れている。2009年(平成21年)4月より、「安全科」を設置する教育課程特例校。また、2010年(平成22年)3月より、WHO「ISS(インターナショナルセーフスクール)」の認証校。
学級数は各学年3クラスで構成されている。(それぞれ東組・西組・南組と称し、それぞれ白・赤・青のクラスカラーを定めている。体操帽もこれらの色となっている。運動会では、全校縦割りに編制し、白組・赤組・青組に分かれて競い合う。)原則1クラスの定員は40名である。
学習指導は、基本的に学級担任が行っているが、専科担任による授業も多い。学年が上がるにつれ、専科授業が多くなる。
現在のキャンパスは、緑丘の丘陵地に2棟の校舎と体育館、芝生広場、運動場、プール、自然観察園を配している。警備員を配置した正門、可視化を図った校舎、非常用押しボタンの設置など、事件の再発を防ぐための安全設備が整った環境にあり、学校安全設備のモデル校となっている。
同じキャンパス内には、大阪教育大学附属池田中学校、大阪教育大学附属高等学校池田校舎が併設されている。
校歌は作詞者不明。小部卯八作曲。池田師範学校校歌(1918年制定)をそのまま校歌としている。隣接する附属池田中学校も同じ校歌である。校章は1911年に制定。池田の土地は、はやくからひらけ、特に呉服、綾羽などの機織りの地名が現存していることから、校章の外枠は糸巻きを図案化している。その糸巻きの中心「附」を配し、永遠に糸が切れることなく続く意味を持たしている。
開学記念日が11月1日に設定され、この日は一般の学校の創立記念日に準じるものとして休校となる。この日は母体の大阪教育大学の開学記念日であり、小学校の開校日ではない。しかし、別途開校記念日の設定はなされていない。
[編集] 沿革
大阪府池田師範学校(大阪教育大学の前身校の一つ)の附属小学校として1909年(明治42年)に創立した。創立当初は豊能郡池田町立池田尋常高等小学校(現在の池田市立池田小学校、池田市建石町)の一部に附属小学校の代用機能をもたせたところを始まりとする。(学級数20のうち、4学級を代用した。1909年度)
1919年(大正8年)に代用を廃し、大阪府池田師範学校附属小学校として独立開校した。
その後学制の変更による小学校自体の改編、また設置母体である大阪教育大学の改編に伴って学校名も改称され、2004年(平成16年)に現在の学校名となっている。
1953年(昭和28年)に現在地に移転した。しかし2001年(平成13年)に発生した児童殺傷事件に伴って、事件直後の一時期には仮設校舎での授業を余儀なくされた。その後校舎の改築を経て、2004年(平成16年)に現在地に校舎を復帰している。
- 1909年4月12日 - 池田町立尋常高等小学校の一部を附属小学校に代用して創立。(池田市建石町)
- 1911年5月1日 - 校章制定。
- 1919年3月31日 - 池田尋常高等小学校の代用を廃止。大阪府池田師範学校附属池田小学校に改称。
- 1939年8月22日 - 池田市城南町へ移転。
- 1939年10月12日 - 校旗制定。
- 1941年4月1日 - 国民学校令により、大阪府池田師範学校附属国民学校に改称。
- 1943年4月1日 - 師範学校の改編(国へ移管)により、大阪第二師範学校附属国民学校に改称。
- 1946年4月1日 - 大阪府第二師範男子部附属国民小学校に改称。
- 1947年4月1日 - 学制改革に伴う新制小学校の発足により、大阪第二師範学校附属小学校となる。
- 1947年6月16日 - PTA発足。
- 1950年10月24日 - 大阪学芸大学池田分校内に移転。
- 1951年4月1日 - 旧制師範学校から新制大阪学芸大学への完全移行に伴い、大阪学芸大学附属池田小学校に改称。
- 1953年10月19日 - 池田市下渋谷(現在地)に部分移転(2年生以上のみ)。
- 1955年1月10日 - 1年生が現在地に移転(完全移転)。
- 1967年6月1日 - 大学の名称変更に伴い、大阪教育大学附属池田小学校に改称。
- 1973年4月1日 - 大阪教育大学教育学部附属池田小学校に改称。
- 1988年4月1日 - 文部省生活科推進指定校に指定。(3年間)
- 2001年6月8日 - 児童殺傷事件(附属池田小事件)が発生。
- 2001年8月27日 - 旧大阪教育大学池田分校跡地(池田市城南3丁目1番1号)に仮設校舎を設置して授業再開。
- 2004年4月1日 - 独立行政法人化に伴い、大阪教育大学附属池田小学校に改称。
- 2004年4月1日 - 仮設校舎から現在地(池田市緑丘)に校舎を復帰。
- 2008年2月2日 - 第23回小学校算数教育研究全国(池田)大会を開催。
- 2009年2月23日 - 文部科学省より安全科を設置する教育課程特例校の指定を受ける。(2009年4月より実施。)
- 2010年3月5日 - WHO(世界保健機関)より日本で最初のISS(インターナショナルセーフスクール)として認証される。
[編集] 教育研究
本校で起こった事件(附属池田小事件)を契機に、全教員の共同研究として安全教育を押し進めている。この安全教育の研究成果を踏まえ、2009年(平成21年)4月より「安全科」を設置する文部科学省教育課程特例校として承認されている。さらに、2010年(平成22年)3月には、「安全な環境づくりを進める学校」としてWHOのISS(インターナショナルセーフスクール)の認証を受けた。
研究の成果は、毎年2月に開催の教育研究協議会で発表・公開している。
各教科教育の研究も盛んであり、その成果も教育研究協議会において発表・公開されている。また、本校を会場にした教育研究の研修会も多く開催されている。
[編集] 学校行事
一般の公立小学校にもみられる行事のほか、大阪教育大学学生の教育実習受け入れや、教育の実践的な研究を公開する教育研究発表会など、国立大学附属学校ならではの行事もある。
2001年(平成13年)6月8日に侵入者が8名の児童を殺害し、児童13名・教諭2名に傷害を負わせた児童殺傷事件(附属池田小事件)の風化を防ぐため、事件のあった6月8日には校内に建立された祈りと誓いの塔の周辺で、祈りと誓いの集いを実施している。全校児童や教職員・保護者が参加する。
2003年(平成15年)2月16日 に「8人の児童の追悼式典」(豊中市民会館)が、また同年2月28日に一回目の「祈りと誓いの集い」がアゼリアホール(池田市民文化会館)で行われた。2004年(平成16年)6月8日には二回目の「祈りと誓いの集い」が校内で行われ、この年以降毎年同日に行事が実施されている。
事件風化防止や安全教育としての行事では他に、不審者対応訓練を児童対象に1回、教職員対象に5回実施している。毎月8日を「安全の日」と定め、危機管理マニュアルの内容が確実に実施されているかを点検している。
[編集] 祈りと誓いの塔
附属池田小事件で殺害された8人の児童を祈り、再発防止を誓うため、旧正門の近くに建立された。事件から3年目となる祈りと誓いの集いの日(2004年6月8日)に除幕式が行われた。高さ4.5メートル。石材は中国産御影石、敷石はインド砂岩を用いている。8つの鐘と8人の児童の名前が刻まれてある。デザインは、浮川秀信(元大阪教育大学教授)。塔の周りには、本校児童と保護者によって花が植えられている。旧正門の外には、市民向けの銘文碑も設置されている。時計台と塔と銘文碑は、直線で結ばれるよう配置されてある。
[編集] ISS(インターナショナルセーフスクール)
2010年(平成22年)3月5日に、「安全な環境づくりを進める学校」として、WHO(世界保健機関)より認証を受けている。ISSは、WHOが安全な学校を認定する制度ではなく、保護者や地域と一体となり安全な学校を目指す活動を評価する制度。2004年(平成16年)以降、スウェーデンや大韓民国、台湾、タイなどの32校が認証されている。
[編集] 国際交流
海外の小学校と交流協定締結を結んでいる。
[編集] 入学・編入
大阪府北部(大阪市淀川区、池田市、豊中市、箕面市、吹田市)と兵庫県南東部(川西市、伊丹市、宝塚市、猪名川町)のうち学校が指定する地域を通学区域とし、通学区域内に居住する児童が出願・受験することができる。
外国での生活経験から得た文化・言語・価値観を大切にし、学校生活の中で生かすと同時に、日本の文化や習慣を理解することをねらって、1996年より帰国児童・外国籍児童の編入募集を行っている。第3学年からを対象としており、最大6名を編入している。募集は、7月と3月に行われる。
卒業後の進路は、多くの児童が隣接する大阪教育大学附属池田中学校に内部進学する。外部の私立中学校等へ進学する児童も存在する。
[編集] 教員
校長は、管轄である大阪教育大学の教授が兼任する。通常、2期4年務める。副校長は、教員の中から昇格する。
教員の多くは、大阪府教育委員会、大阪市教育委員会、川西市教育委員会(兵庫県)との人事交流によって着任している。以前は、10数年勤務する者も多かったが、最近は5年前後で転任している。
[編集] 出身者
- 青柳万美(キャスター)
- 安藤宏基 (日清食品社長・実業家)
- 池辺愛(お笑いタレント・モエヤン)
- いしだあゆみ(歌手・女優)
- 石田治子(元フィギュアスケート選手)
- 岩田久二雄(生物学者)
- 小林公一(宝塚歌劇団理事長・実業家)
- 佐治敬三(実業家)
- 角和夫(阪急阪神ホールディングス社長・実業家)
- 手塚治虫(漫画家)
- 永井一郎(声優)
- 西川りゅうじん(マーケティングコンサルタント)
- 原田憲(政治家)
- 原田憲治(政治家)
[編集] 交通
[編集] 備考
- 出身者である漫画家・手塚治虫は1988年(昭和63年)11月1日、この学校で「命」をテーマにした生前最後の講演を児童対象に行った。
- 同じ阪急宝塚沿線の雲雀丘学園小学校は、戦後、アメリカ進駐軍の指導に基づいて実施された入学試験の抽選によって、本校に入学できなかった保護者の要望から、設立された。当時、本校から教職員数名が雲雀丘学園に異動し、創立・発展に尽力した。その意味において、雲雀丘学園を本校の兄弟校と称する場合がある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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