ラハイナ

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ラハイナ
Lahaina
—  CDP  —
Scenic Lāhainā oceanfront
ラハイナのマウイ郡内での位置とハワイ州の地図
座標: 北緯20度53分10秒 西経156度40分29秒 / 北緯20.88611度 西経156.67472度 / 20.88611; -156.67472
国名 アメリカ合衆国
州名 ハワイ州
郡名 マウイ郡
面積
 - 計 9.3mi2 (24.1km2)
 - 陸地 7.8mi2 (20.2km2)
 - 水面 1.5mi2 (3.9km2)
標高 3ft (1m)
人口 (2010)
 - 計 11,704人
 - 人口密度 1,257.8人/mi² (485.6人/km²)
等時帯 ハワイ・アリューシャン (UTC-10)
ZIPコード 96761, 96767
市外局番 808
FIPS code 15-42950
GNIS feature ID 0361678

ラハイナ(ハワイ語:Lāhainā:ラーハイナー、英:Lahaina, Hawaii) とは、マウイ島にある一番大きな国勢調査指定地域(CDP)である。当地はアメリカ合衆国ハワイ州マウイ郡マウイ島の西半分に位置しており、有名なカアナパリ (Kaanapali)、地区の北にあるカパルア (Kapalua)ビーチ・リゾートへのゲートウェイとしても機能している。 2010年の米国勢調査英語版によると、このCDPは11,704人の人口を擁している[1]。ラハイナ地域は、マウイ島の道路であるRoute 30英語版沿いの海岸を含んでいる。南は道路が通るトンネルから、オラワウ(Olawalu)を抜けて、北端はナピリ・ホノコワイ英語版地域までである。一年のうち、旅行者で賑わう繁忙期は、街の人口は4万を数えるほどに膨れ上がることがある。

ホノルルへの遷都をするまでは、ラハイナはハワイ王国の首都であった。19世紀、ラハイナは世界的な捕鯨の中心地であり、沢山の帆船が港の中に停泊したものだった。今日では、20隻ほどのプレジャーボートが港内に係留されている。ラハイナのフロント・ストリートFront Street、目抜き通り)は、アメリカ企画協会英語版から「世界の十大豪華商店街」"Top Ten Greatest Streets"のうちの一つにランクインするほど賑わっている。[2]

歴史[編集]

ラハイナのダウンタウンにある馬哇山・法光寺(まういさん ほうこうじ)宗旨は高野山真言宗。日本の仏教寺院

古代において、ラハイナは五代目のマウイ島の酋長英語版であるマウイ・ロア英語版がハワイ島の王(en)にハナの首長の座を明け渡した後の本拠地であった。ラハイナの政治・経済の中心地はフロント・ストリート周辺である。その始まりは1820年代に遡る。通りに軒を並べた商店や食堂は、旅行客でごった返す大繁盛の活況を見せている。バニヤン・ツリー・スクエア(Banyan Tree Square)は、並はずれて大きなバニヤン樹英:Banyan tree)(ベンガルボダイジュ、学名:Ficus benghalensis)が植わっていることで有名である。これは1873年4月24日にウィリアム・オーウェン・スミス英語版によってキリスト教宣教師の到着50周年を記念して植樹されたものである[3]。ここは、1832年に創建した後に再建されたラハイナ砦の場所でもある。[4]

ラハイナには「レレ」(Lele)と言う旧名称がついていた。「ラハイナ」(「ラー・ハイナー」Lā hainā)は現地の言葉で「灼熱の太陽」を意味する言葉である。ハワイの熱帯性灌木林英語版がひろがる、晴天続きで乾燥した気候を指してこのように言われている[5]。 ラハイナでの降水は年平均すると13インチ (330 mm)しかない。雨の大半は10月から年をまたいで2月に集中する。

凡そ1903年から1910年にかけてに撮影したラハイナ

1795年、ハワイ諸島統一の前のこと、この街はカメハメハ大王による破壊略奪を受けた。1820年から1845年にかけて、ラハイナはハワイ王国の首都であった[6]。大王の息子カメハメハ三世は、騒々しいホノルルよりも、静かなこの街に住むほうを好んでいた。彼は執務のための王宮を、街の中心地に程近い魚の養殖設備の中に浮かぶ、モクウラ島英語版の1エーカー (0.40 ha)の土地に建てた[7]。ハワイでは古くから魚の養殖英語版が行われており、彼はそのMokuhiniaモクヒニアと呼ばれた養魚池の中島に宮殿を建て、執務をしていた。1824年、酋長の要請で、 ベッツィー・ストックトン英語版は一般人に開かれた最初のミッションスクールを開設した。ここ、ラハイナは、19世紀の捕鯨船団にとって、一時、重要な到着港となったことがあった。ラハイナへ捕鯨船団が入港するとき、しばしば在住のキリスト教宣教師との衝突へと発展した。ラハイナの街は捕鯨船から幾度にもわたって砲撃を受けた。

地理[編集]

ラハイナは、 北緯20度53分10秒 西経156度40分29秒 / 北緯20.88611度 西経156.67472度 / 20.88611; -156.67472 (20.886122, -156.674602)[8]に位置している。

アメリカ合衆国国勢調査局によると、この国勢調査指定地域は面積が全部で24.1km2 (9.3 sq mi)あり、そのうち、20.2km2 (7.8 sq mi)が陸地、3.9km2 (1.5 sq mi)、言い換えれば全面積の16.26%が水面である[9]

ラハイナのパノラマ写真
ラハイナのウォーターフロントのパノラマ写真

人口動勢[編集]

シュガーケイン・トレイン英語版(砂糖キビ列車)、プウコリイ-ラハイナ間を運行。

2000年の国勢調査[10]によると、人口9,118人、世帯数2,599、1,759組の家族が、この調査地域内に在住していた。人口密度は、1平方マイル当り1,584.7人、(1平方キロ当り612.3人)住んでいる計算になる。当地には3,027軒の住戸、平均して1平方マイル当り526.1軒、(1平方キロメートル当たり203.3軒)の家がある。ここの民族構成は、白人が26.44%、黒人が0.34%、アメリカ先住民が0.31%、アジア系が43.40%、太平洋諸島民が9.83%、その他から2.18%、2系統以上のルーツを持つ人が17.50%いた。ヒスパニック系若しくはその他ラテン系に出自を持つものは人口の7.06%を占めていた。

ラハイナに在住する2559世帯のうち、27.6%が18歳以下の子供とともに生活し、47.9%が夫婦で、12.5%が現在のところ夫と一緒に住んでいない女性の世帯主であり、32.3%が家族のいない世帯だった。全世帯数のうち、18.9%が単身世帯で、7.2%が65歳以上で独居する高齢者だった。平均した世帯構成人員数は3.50人で、平均した家族人数は3.91人だった。

国勢調査指定地域において、人口全体における年齢構成は、18歳以下の未成年が22.8パーセント、18歳から24歳にかけての青年が8.8パーセント、25歳から44歳までの成年が33.4パーセント、45歳から64歳までの壮年人口が23.2パーセント、65歳以上の高年人口が11.9パーセントを占めていた。中心年齢は36歳であった。女性100人当たりの男性比率は108.2人であった。18歳以上の女性100人当たりの18歳以上の男性の割合は110.1人であった。

2005年における中所得世帯の所得中央値は$61,402ドルであった。2005年における平均世帯収入は$79,876ドルであった。男性の所得の中央値は$39,583であるのに対して、女性の所得の中央値は$35,392であった。当地域における一人あたり所得は$29,921ドルであった。総世帯数の6.8パーセント、および、総人口の7.8パーセントが貧困線を下回っていた。これには18歳以下が7.3パーセント、65歳以上が9.2パーセント含まれている。

観光[編集]

1831年には、ラハイナに防衛のために砦が築かれた。後世に再建され、現代では、高さ20フィート (6.1 m)の城壁の遺構と創建当時から現存する大砲を見ることが出来る。近所には歴史的な建物である、Pioneer InnBaldwin Houseを見ることが出来る。

カパルアリゾート内のプランテーション・コースは、毎年1月に開かれるゴルフ大会・PGAツアーヒュンダイ・トーナメント・オブ・チャンピオンズの会場となっている。

フロント・ストリートに面した沢山のレストランが多種多様な料理や娯楽を提供しており、それゆえ、この通りが西マウイの夜の生活の拠点となっている。

ハロウィンは、ラハイナでは主要な行事であり、2万から3万人の客でにぎわう、数十年前からの娯楽イベントとなっている[11]。祭りの晩は、フロント・ストリートを車両交通止めにし、それぞれ思い思いの仮装に身を包んだ子供たちが"Keiki Parade"で練り歩くことが始まりの合図となる。 やがて、仮装をした大人たちがその行列に合流し、街が闇に包まれるまで、その通りは"Mardi Gras of the Pacific"というタイトルを付与された、一つの巨大なパーティーイベントの会場に変貌を遂げるのである[12]。2008年には、ハロウィン・パレードの開催に必要な許可が下りることを支持してきた文化人の一団から「ハロウィンはハワイの文化を侮辱している」という苦情がでた。そのため、その祭りは規模を縮小されることを余儀なくされた。次の年のイベントは自粛ムードの中、ごく地味に開催された。フロントストリートは交通規制が敷かれることはなく、コスチュームコンテストの開催は一切なかった。2011年になり、経済的な懸念に直面したことがきっかけで、この街はフロントストリートで年一回開かれるイベントの継続に正当な認可を再び出すようになった[2]

毎年11月になると、ラハイナはマウイインビテーショナル英語版の開催地となる。これは、大学間バスケットボール英語版におけるトップトーナメントでシーズン早期に開催されるものの内の一つである。

ラハイナはVic-Maui国際ヨットレース英語版(ビクトリア・マウイレース)のゴールがおかれる場所でもある。これは、カナダブリティッシュコロンビア州ビクトリアを出発し、ハワイ州マウイ島のラハイナにゴールするという、世界でも最長距離を帆走する外洋ヨットレースである。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Profile of General Population and Housing Characteristics: 2010 Demographic Profile Data (DP-1): Lahaina CDP, Hawaii”. U.S. Census Bureau, American Factfinder. 2011年12月28日閲覧。
  2. ^ a b Maui's Front Street Named to Top 10 Great Streets for 2011 | Maui Now
  3. ^ John R. K. Clark (2001). Hawai'i place names: shores, beaches, and surf sites. w:University of Hawaii Press. p. 23. ISBN 978-0-8248-2451-8. http://www.ulukau.org/elib/cgi-bin/library?c=cpn&l=en. 
  4. ^ Maui Historical Society. (1971) [1961]. Lahaina Historical Guide. Tokyo: Charles E. Tuttle, Co.
  5. ^ Pukui and Elbert (2004年). “lookup of Lā-hainā”. on Place Names of Hawai'i. Ulukau, the Hawaiian Electronic Library, University of Hawaii. 2009年12月31日閲覧。
  6. ^ Pukui and Elbert (2004年). “lookup of Lahaina”. on Place Names of Hawai'i. Ulukau, the Hawaiian Electronic Library, University of Hawaii. 2009年12月31日閲覧。
  7. ^ P.C. Klieger, 1998. Moku`ula: Maui's Sacred Isle Bishop Museum Press, Honolulu.
  8. ^ US Gazetteer files: 2010, 2000, and 1990, United States Census Bureau, (2011-02-12), http://www.census.gov/geo/www/gazetteer/gazette.html 2011年4月23日閲覧。 
  9. ^ Geographic Identifiers: 2010 Demographic Profile Data (G001): Lahaina CDP, Hawaii”. U.S. Census Bureau, American Factfinder. 2011年12月28日閲覧。
  10. ^ American FactFinder, United States Census Bureau, http://factfinder.census.gov 2008年1月31日閲覧。 
  11. ^ "In Lahaina, a monumental Maui Halloween" from Island Life October 29, 2004
  12. ^ Travel Channel, Halloween Destinations

外部リンク[編集]