プッリャとカラブリアの伯爵と公爵一覧

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1084年のイタリア半島

プッリャとカラブリアの伯爵と公爵一覧では、11世紀から12世紀にかけての南イタリアを統治した、「プッリャ伯爵」(: Conte di Puglia)あるいは「プッリャ・カラブリア公爵」(: Duca di Puglia e Calabria)の称号を持つ人物の一覧を掲げる。

歴史[編集]

1042年、グアイマーリオ4世英語版は、ノルマン人たちによって「プッリャ・カラブリア公爵」に推戴された。グアイマーリオはその見返りとして、アルタヴィッラ家の家長であったグリエルモメルフィの伯爵に任命した(のちのプッリャ伯爵領 (Contea di Puglia)。

1047年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世はグアイマーリオから公爵位を奪った。ハインリヒはグリエルモの後継者であるドロゴーネに「イタリア公及びアプーリアとカラブリアのノルマン人伯」Dux et Magister Italiae Comesque Normannorum totius Apuliae et Calabriae の称号を与え、帝国の直接の封臣とした。

歴代[編集]

プッリャ伯[編集]

メルフィで開催された教会会議 (it:Concordato di Melfiの結果、1059年8月23日に教皇ニコラウス2世ロベルト・イル・グイスカルドをプッリャ・カラブリア・シチリア公爵(Duca di Puglia, Calabria e Sicilia)に任命し、ロベルトのシチリア征服に名分を与えた。

プッリャ・カラブリア公[編集]

1127年に公国はシチリア伯国に併合された。しばしば公爵の称号はシチリア王の後継者に与えられた。

ルッジェーロ4世が亡くなると、公爵位は空位となった。 グリエルモ2世のために称号は復活されたが、彼が早く死んだため、シチリア王タンクレーディの息子グリエルモ3世に引き継がれることとなった。

関連項目[編集]

執筆の途中です この「プッリャとカラブリアの伯爵と公爵一覧」は、イタリア歴史関連の書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(PJイタリア/P:イタリア