アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ (1898-1942)
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| アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ Amedeo di Savoia-Aosta |
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|---|---|
| サヴォイア=アオスタ家 | |
アオスタ公アメデーオ(1930年)
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| 称号 | アオスタ公爵 |
| 全名 | アメデーオ・ウンベルト・イザベッラ・ルイージ・フィリッポ・マリーア・ジュゼッペ・ジョヴァンニ・ディ・サヴォイア |
| 身位 | 王族(イタリア王国) |
| 出生 | 1898年10月21日 |
| 死去 | 1942年3月3日 |
| 配偶者 | アンヌ・ド・ギーズ(オルレアン家) |
| 子女 | マルゲリータ マリーア・クリスティーナ |
| 父親 | エマヌエーレ・フィリベルト(アオスタ公爵) |
| 母親 | エレナ・ドルレアンス(オルレアン家) |
| 役職 | 東アフリカ方面軍総司令官 |
アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ(Amedeo di Savoia-Aosta)は、イタリア王家であるサヴォイア家の傍流サヴォイア=アオスタ家の当主で、第3代アオスタ公。
第2代アオスタ公エマヌエーレ・フィリベルトとエレナ・ドルレアンスとの長男としてトリノに生まれる。1931年に父が亡くなるとアオスタ公となった。
イタリア王国の第一次世界大戦への参戦時に、わずか16歳で(王の許可を得て)志願入隊し、単なる輝けるヴォローイレ隊の伍長から戦争の功績により中尉に昇格した。
1927年11月5日ナポリにて、オルレアン家当主ギーズ公ジャンの娘アンヌ(アンナ、1906年8月5日 Château de Nouvion-en-Thierache - 1986年8月5日ソレント)と結婚し、以下の子をもうけた。
- マルゲリータ・イザベッラ・マリーア・ヴィットーリア・エマヌエーラ・エレーナ・ジェンナーラ(Margherita Isabella Maria Vittoria Emanuella Elena Gennara, 1930年4月7日ナポリ・カポディモンテ宮殿 - ) オーストリア=エステ大公ローベルトと結婚
- マリーア・クリスティーナ・ジュスタ・エレーナ・ジョヴァンナ(Maria Cristina Giusta Elena Giovanna, 1933年9月12日トリエステ・ミラマーレ城)
1930年代にはトリエステのミラマーレ城に滞在し、ゴリツィアの第29砲兵連隊を指揮した。
第二次エチオピア戦争を経て1940年にイタリア領東アフリカ帝国の副王となるが、翌1941年にイタリア領東アフリカがイギリスに占領され捕虜になる。1942年、タンガニーカにあるイギリス軍の捕虜収容所内で死亡した。公爵位は弟のアイモーネに引き継がれた。
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