アマデオ1世 (スペイン王)

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アマデオ1世
Amadeo I
スペイン国王
アマデオ1世

先代 イサベル2世
次代 アルフォンソ12世

在位期間
1845年 - 1890年1月18日
次代 エマヌエーレ・フィリベルト

出生 1845年5月30日
Flag of Kingdom of Sardinia (1848).svg サルデーニャトリノ
死亡 1890年1月18日(満44歳没)
Flag of Italy (1861-1946).svg イタリアトリノ
埋葬 スペイントリノスペルガ聖堂
実名 Amedeo Ferdinando Maria
アメデーオ・フェルディナンド・マリーア
王室 サヴォイア=アオスタ家
父親 ヴェットーリオ・エマヌエーレ2世
母親 マリーア・アデライデ・ダズブルゴ=ロレーナ
配偶者 マリーア・ヴィットーリア・ダル・ポッツォ・デッラ・チステルナ
マリー・レティシア・ボナパルト
子女
エマヌエーレ・フィリベルト
ヴェットーリオ・エマヌエーレ
ルイージ・アメデーオ
ウンベルト
居所 マドリード王宮
信仰 キリスト教カトリック教会

呼称は、スペイン国王としてはアマデオ1世、アオスタ公爵としてはアメデーオである。
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アマデオ1世スペイン語: Amadeo I、アメデーオ・フェルディナンド・マリーア・ディ・サヴォイア、イタリア語: Amedeo Ferdinando Maria di Savoia1845年5月30日 - 1890年1月18日)はスペイン国王(在位:1870年11月16日 - 1873年2月11日)。イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の次男。アオスタ公

[編集] 生涯

先代の女王イサベル2世の退位後、政権を掌握したフアン・プリム将軍らによってサヴォイア家から迎えられて即位した。しかしその治世中は政治的混乱に絶えず悩まされ続けた。1871年1月にマドリードへ入ったが、プリムは新憲法制定後に暗殺され、フランシスコ・セラノが首相となった。アマデオ1世に対する国民の感情は冷めており、後ろ盾も心細いものだった。

治世の半ばから政治情勢はさらに混乱を極め、共和派からはアマデオの退位を求める声が噴出した。泥沼化する権力闘争に疲れ果てたアマデオ1世は、即位から3年後の1873年2月11日に、自ら王位を退いた。アマデオ1世の退位に伴い、スペイン史上初の共和政が成立した。

しかし、第一共和政は短命に終わり、イサベル2世の息子アルフォンソ12世が即位して、スペインは再びブルボン朝の王政に復帰することになる。

[編集] 家族

1867年5月30日イタリアチステルナ女公マリーア・ヴィットーリア1876年11月8日没)と結婚し、3男を儲けた。

マリーア・ヴィットーリアの没後の1888年9月11日、姉マリア・クロティルダナポレオン公の娘であるマリー・レティシアと結婚し、1男を儲けた。

[編集] 関連項目

スペイン国王アマデオ1世の紋章
先代:
イサベル2世
スペイン国王
1870年 - 1873年
次代:
アルフォンソ12世
先代:
アオスタ公
1845年 - 1890年
次代:
エマヌエーレ・フィリベルト
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