ボナパルト朝

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ボナパルト朝(ボナパルトちょう、dynastie des Bonaparte)は、19世紀フランスに興った王朝。一時はフランス本国のみならず、一族が周辺諸国の君主にもなった。

歴史[編集]

ボナパルト家コルシカ島の小さな貴族の家柄であったが、一族のナポレオン・ボナパルトが1799年にブリューメル18日のクーデター第一統領に就任し、その後自らを「フランス人の皇帝」に推戴させる選挙を行い、圧倒的な賛成で1804年に皇帝ナポレオン1世として即位した(フランス第一帝政)。

ナポレオン1世はヨーロッパ各国に侵攻すると、自分の兄弟や親類を征服地の国王や大公に仕立て上げた。

彼らは必ずしも私欲に走ったりナポレオンに追随したわけではなく、ホラント王のルイやナポリ王のミュラなどのように、現地の利益にある程度配慮した政策を行って支持を得る一方、ナポレオンと不和になったり廃位させられた者もいる。いずれにしても、彼らはナポレオンの失脚とともに没落した。

上記の他、兄嫁の妹で元婚約者であるデジレ・クラリーの夫ジャン=バティスト・ベルナドットスウェーデンの王太子に据えているが、スウェーデン国内で支持を得ていたベルナドットはナポレオン失脚後もその地位を保って王位に就き、現在まで続くベルナドッテ王朝の祖となった。

ナポレオン1世の没落から約30年後の1848年、ルイ・ボナパルトの三男ルイ=ナポレオン・ボナパルトが、第二共和政の下で行われた最初の大統領選挙に当選し、1852年にはクーデターと選挙によって帝政を復活させ、ナポレオン3世として即位した(フランス第二帝政)。

しかし、スペインの王位継承権問題がきっかけで1870年にプロイセン王国と開戦(普仏戦争)したが、戦局はフランス不利に傾く。セダンの戦いでナポレオン3世自ら前線に赴いたが敗北し、皇帝自らが捕虜になった。皇太子であるナポレオン4世は帝位に就かず、皇太子のまま政務を執ったが、パリ民衆の暴動のために2日間でイギリスに亡命した。

フランス皇帝[編集]

帝位請求者[編集]

ナポレオン1世失脚後のフランス帝位請求者=ボナパルト家家長は以下の通りである。

1997年以降、以下の2人の間で権利が競合状態にある。

関連項目[編集]