エマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア=アオスタ
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エマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア(Emanuele Filiberto Vittorio Eugenio Albertp Genova Giuseppe Maria di Savoia, 1869年1月13日 - 1931年7月4日)は、第2代アオスタ公。
アメデーオ・フェルディナンド・マリーア・ディ・サヴォイアとマリーア・ヴィットーリア・ダル・ポッツォ・デッラ・チステルナとの長男としてジェノヴァに生まれる。1890年に父が亡くなるとアオスタ公となった。
1895年6月25日、キングストン・アポン・テムズ(ロンドン)で、オルレアン家の当主パリ伯フィリップの次女エレナ(1871年6月13日トゥイッケナム - 1951年1月21日カステッランマーレ・ディ・スタービア)と結婚し、2男をもうけた。
- アメデーオ・ウンベルト・イザベッラ・ルイージ・フィリッポ・マリーア・ジュゼッペ・ジョヴァンニ (Amedeo Umberto Isabella Luigi Filippo Maria Giuseppe Giovanni, 1898年 - 1942年) - 第3代アオスタ公
- アイモーネ・ロベルト・マルゲリータ・マリーア・ジュゼッペ・トリーノ (Aimone Roberto Margherita Maria Giuseppe Torino, 1900年 - 1948年) - クロアチア王トミスラフ2世、第4代アオスタ公
1931年にトリノで死去。長男のアメデーオが後を継いだ。
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