ザンジバル

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ウングジャ島
文化遺産のストーン・タウン
ザンジバルにある奴隷モニュメント

ザンジバルZanzibar)は、アフリカ東海岸のインド洋上にあるザンジバル諸島の地域名。現在はタンザニア連合共和国に属する。人口は約107万人(2004年度)。

白いさんご礁とヨーロッパアラブの石造建築遺跡が多数残る。奴隷象牙香辛料貿易の拠点でもあった。2000年世界遺産文化遺産)に登録された。現在はタンザニアにおいて夕陽の名所として有名。

目次

歴史 [編集]

1499年ヴァスコ・ダ・ガマがザンジバルを訪れる。以後、ポルトガル人が入植する。しかし、ポルトガル人は象牙や奴隷の売買を始めたオマーン人に追い出される。さらに1832年にはオマーンのスルタンがザンジバルに遷都を行う。1861年にオマーン本土と分離した独立国であるザンジバル・スルタン国となり、1890年イギリス保護領になるまでスルタンの支配が続く。奴隷制度は1897年に廃止される。

1896年、当時のスルタンの甥ハリド・ビン・バルガシュが王位を簒奪、英国の退位要求を拒否する。が、駐留していた英艦隊の艦砲射撃により、わずか37分23秒で宮殿は破壊され、ハリドは独領タンガニーカ(当時)に亡命した。このイギリス・ザンジバル戦争は「史上もっとも短時間の戦争」としてギネスブックに掲載されている。

1963年、ザンジバルはイギリス連邦の一員として独立(ザンジバル王国)するが、翌1964年にスルタンの長年の支配に不満をもっていたアフリカ人がクーデターザンジバル革命)を起こす(ザンジバル人民共和国)。紆余曲折のあと、タンガニーカと合併し、『タンガニーカ・ザンジバル連合共和国』、その後名称を統合して『タンザニア連合共和国』となる。

このような歴史的背景のためか、タンザニアの大陸側からザンジバル島に入るためには、出入国手続きが必要となっている。

政治 [編集]

ザンジバルには大陸部から独立して広範囲な自治権が認められていて、独自の自治政府であるザンジバル革命政府が組織されている。ザンジバル革命政府大統領は、連合共和国第一副大統領を兼任することになっている。現在のザンジバル革命政府大統領は、タンザニア革命党アマニ・アベイド・カルメ英語版

タンガニーカ同様、ザンジバルでも圧倒的な力を持つ政党は、かつて一党独裁を敷いていたタンザニア革命党(CCM)である。しかしザンジバルを支持基盤とする市民統一戦線(CUF)は、連合共和国議会やザンジバル議会において常に議席を獲得し、CCMに対抗する数少ない有力野党の1つとなっている。

2010年7月31日、新憲法が住民投票で3分2の多数で承認された。新憲法は、自治政府を複数政党で構成すること、自治政府副大統領は自治議会第一・第二政党が1人ずつ選出すること、自治政府閣僚も議席に応じて配分することを義務づけている。10月に、自治政府大統領・自治議会選挙が行われる。この新憲法のための住民投票は、大陸部で支配力を持つタンザニア革命党(CCM)と地方政党の野党市民統一戦線(CUF)が交渉して決めたものである。

地理 [編集]

ウングジャ島(ザンジバル島)、ペンバ島という二つの主要な島と周辺の小さな島々から構成されているザンジバル諸島

交通手段 [編集]

  • ダルエスサラームより船で。
  • ダルエスサラームなど、各地からザンジバルへの航空便も出ている。

関連項目 [編集]

出身有名人 [編集]

外部リンク [編集]