カルル・ライネッケ

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カール・ライネッケ

カール・ライネッケCarl Heinrich Carsten Reinecke, 1824年6月23日 - 1910年3月10日)はドイツ作曲家ピアニスト指揮者、教育者。

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略歴 [編集]

当時デンマーク領のアルトナ(現在はハンブルク市の一部でドイツ領)に生まれ、ライプツィヒで没した。音楽理論や音楽教育書の著作を出していた有名な音楽教育者の父親ルドルフ(1795年 - 1883年)に学ぶ。

ブラームスの「ドイツ・レクィエム」を、1869年2月18日、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮し初演したのがライネッケである。ブラームスと親交を結ぶまでは、ライネッケの作品ではメンデルスゾーンやシューマン、ショパンの影響が顕著だったが、その後はブラームス作品のもつ綿密さや堅固な構成力が加わるようになった。ライプツィヒ音楽院の門下生に、ブルッフグリーグスヴェンセンシンディングヤナーチェクアルベニスワインガルトナーらがいる。ピアニストとしては、モーツァルトの曲の演奏で知られていた。最晩年、ヴェルテ・ミニヨン社のピアノロールに演奏記録を遺している。

作品 [編集]

公職から引退後にも作曲活動に専念したため、創作数は出版作品だけで300曲を超え、未出版の作品を数えると千曲以上ともいわれる。「マンフレッド王König Manfred」などのオペラも作曲した。19世紀の価値観から一歩も外に出ようとせず、名人芸もほとんど用いなかった為、死後は多くの作品が演奏家のレパートリーから抹消されることとなった。現在では、最晩年に書かれたホルン三重奏曲やフルート協奏曲、大量のピアノ作品やピアノ協奏曲などが再評価されるようになり、楽譜の確保や演奏の容易さも伴ってか意外なほど録音活動も好調である。しかし、それでも彼の巨大な創作の全貌を捉えることは、まったく出来ていない。教育目的でかかれた作品には「ミニチュアソナタ」や「左手の為のソナタ」など創意工夫に富んだ物が多く、今日の教育に於いても使用可能である。ちなみにピアノ独奏の為の「バッハの主題による変奏曲」を世界で初めて作曲したのがライネッケである。

彼が師事したシューマンの作品で合唱曲として名高い「流浪の民」のフルオーケストラ版編曲も手がけた。こちらも長らく埋もれていたが、2010年10月13日、ライプツィヒ大学入学式に於いて同大学管弦楽団・合唱団によって現ゲヴァントハウス大ホールにて蘇演がなされた。これは2010年がシューマン生誕200年・ライネッケ没後100年記念にあたるのに合わせて行われたもので、シューマン自身もライプツィヒ大学の卒業生である縁もあって実現した。

交響曲 [編集]

  • 交響曲第1番 イ長調 Op.79 (1858年)
  • 交響曲第2番 ハ短調 Op.134 (1874年)
  • 交響曲第3番 ト短調 Op.227 (1895年)

協奏曲 [編集]

  • ハープ協奏曲 ホ短調 Op.182 (1884年)
  • ピアノ協奏曲第1番 嬰ヘ短調 Op.72 (1860年)
  • ピアノ協奏曲第2番 ホ短調 Op.120 (1872年)
  • ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 Op.144 (1877年)
  • ピアノ協奏曲第4番 ロ短調 Op.254 (1901年)
  • チェロ協奏曲 ニ短調 Op.82 (1864年)
  • ヴァイオリン協奏曲 ト短調 Op.141 (1876年)
  • フルート協奏曲 ニ長調 Op.283 (1908年)

室内楽曲 [編集]

  • フルートソナタ ホ短調 「ウンディーネ」 Op.167(1881年)
  • 弦楽三重奏曲 ハ短調 Op.249

ピアノ曲 [編集]

  • アンダンテと変奏曲(2台) 変ホ長調 Op.6 (1844年)
  • 3つのソナチネ Op.47 (1854年)
  • ゆりかごから墓場まで Op.202 (1888年)
  • 左手のためのピアノソナタ ハ短調 Op.179 (1884年)

外部リンク [編集]

先代:
ユリウス・リーツ
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
楽長
1860 - 1895
次代:
アルトゥール・ニキシュ