オースチン・マエストロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
オースチン・マエストロ
オースチン・マエストロ
Austin Maestro 1982.JPG
製造国 イギリスの旗 イギリス
ブルガリアの旗 ブルガリア(CKD)
販売期間 1983年 - 1994年(オースチン・マエストロ)
1983年 - 1991年(MG・マエストロ)
1994年 - 2001年CKDキットとして)
デザイン イアン・ビーチ(Ian Beech)
デビッド・ベイチュ
ボディタイプ 5ドア・ハッチバック、2ドア・バン
エンジン 1,300cc A-シリーズ L4
1,600cc R-シリーズ L4
1,600cc S-シリーズ L4
2,000cc O-シリーズL4(MG・マエストロのみ)
2,000ccオースチン・ローバー Mdi 別名 パーキンス・プリマL4
駆動方式 FF
別名 MG・マエストロ
-自動車のスペック表-

マエストロMaestro )は、1983年から1988年まで当初はブリティッシュ・レイランド(BL)の子会社オースチン・ローバー、それ以降1994年まではその後身組織のローバー・グループにより製造されていた小型の5ドア・ハッチバック車(とその派生のライトバン)である。 この車はオックスフォードのカウリー(Cowley)にある元モーリスの工場で生産された。当初はオースチンMG双方のブランドで売られ、後にローバー・マエストロとして言及されることがあるが、この車がローバーのバッジを付けられたことはない。

背景[編集]

1975年にブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション(BLMC)が国営化されてブリティッシュ・レイランドが発足した。1977年南アフリカ生まれの企業再建家マイケル・エドワーズ(Sir Michael Edwardes)が諸問題の解決のために会長として雇用された。エドワーズの計画の一環として現行モデルの代替に最新の技術を投入した全く新しい大量生産モデルの車を導入することになった。新しいモデルは、小型、中型下級、中型上級市場向けに各々投入されることに決まった[1]

設計と開発[編集]

中型下級と中型上級市場向けの新型車はプラットフォームを共有し、様々な内装やスタイリング上の差異で2つのモデルを区別することになった。これは生産のオートメーション化と柔軟性においてコスト的に優位な点があった。この共通プラットフォームには「レイランド車」の開発序列中(LC8はローバー・メトロ、LC9はトライアンフ・アクレイムとなった)で「LC10」という開発コードが与えられ、LC10の予備設計が1977年に始まった。

LC10は、BLの花形デザイナーデビッド・ベイチュの指導下でイアン・ビーチ(Ian Beech )により5ドア・ハッチバックと4ドア・ノッチバックの主要な2車型がデザインされた。この車は、ミニが最初となった有名なイシゴニスのオイルパン一体型トランスミッションのパワートレーンを採用していない既存モデルの前輪駆動車から発展したものであった。A-シリーズ(A-Series)とR-シリーズ(R-Series)・エンジンは、フォルクスワーゲンから購入したトランスミッションの片端に取り付けられていた(フィアットアウトビアンキ・プリムラで先鞭をつけた方式)。前のBL車に採用されていた洗練されたハイドラガスHydragas)・サスペンション方式はコスト的な理由により通常の前輪マクファーソン・ストラットと後輪には荷室容積の減少について妥協した結果フォルクスワーゲン・ゴルフ形式のトーションビーム(torsion beam)方式を採用していた。試作車には実際のゴルフのサスペンション部品を取り付けてテストされたが、これが初期の車のアキレスの踵となった前輪のホイールベアリングの摩耗/損傷を引き起こす原因となった可能性がある。マエストロは初代のゴルフよりも大型で重い車であった。

5ドア・ハッチバック車が最初に設計されることが決まり、独自の開発コード「LM10」が与えられ、これが発売されるときに「オースチン・マエストロ」となった。トランクの付いたノッチバック版が「LM11」としてこれに続き、開発はオリジナルの設計から分岐していったが、後にオースチン・モンテゴとして発売された。

新装備[編集]

「マエストロ」は接着式ウインドスクリーン、同一焦点(homofocalヘッドライト、ボディ同色バンパー、電子エンジン制御システム、大排気量モデルの5速マニュアルトランスミッション(MT)、前席シートベルトの位置調節式上部アンカー、非対称分割式の後席と12,000ml(=約19,300km)の整備間隔といったこのクラスとしては数多くの新しく先駆的な装備を備えていた。MGとバンデン・プラ版は、デジタル式速度計蛍光表示管のアナログ式回転計燃料計水温計、トリップコンピューター(trip computer)と合成音声式の警告/情報システムの電子計器を備えていた。

評判[編集]

モータープールに保管されるマエストロ

「マエストロ」は1983年3月に発売され、消費者組合(Consumers' Association)の『フィッチ?』誌(Which?)の6月号で取り上げられ[2]、車室の広さ、快適さ、運転の快適さに言及され、こう記された。「もし今車を買おうと考えているならば、最初の印象を踏まえた我々のアドバイスは、この車は『買い』ということだ。」1984年1月のテスト終了後にはこう結論付けている。「似たような価格、車体の大きさの競合車と比べるとマエストロの明らかな優位点は車内空間の広さである。前後席共にこの車に匹敵する快適さを持つ車はほとんどない。」また同誌では、小さなトランク容積を除けば真の競合車はより上級のボクスホール・キャヴァリエ(Vauxhall Cavalier)とフォード・シエラだと考えていた[3]

その後の開発[編集]

この車はそれなりの成功を収めたが、困窮したBLが望んだほどではなく1986年と1987年の「ブーム」の年が去ると、マエストロの販売は末期的に下降した。製造品質と信頼性の低さに対する初期の評判のせいでもなかった[要出典]。S-シリーズ エンジン(S-Series engin)が開発中で量産準備が未だ整っていないためオースチン・マキシのE-シリーズ(E-Series engine)から促成で改良された1,600ccのR-シリーズ エンジン(R-Series engine)関係が問題の最大の中心であった。R-シリーズ エンジンは温間時の始動に問題があり、クランクシャフトが熟成不足であった。

新しいS-シリーズ エンジンは1984年7月に準備が整い、既存の全1,600ccモデルのマエストロに搭載された。このエンジンは電気式点火装置を備えていた。同時に全モデルで細かな装備の幾つかが改良され、1.3Lのベース・モデルにはヘッドレスト、助手席側サイドミラー、ラジオが、1,300ccの1.3HLE、1,600ccの1.6オートマチックと1.6HLSには全車ラジオ/カセットプレイヤーが備えられた。

1984年10月に全モデルに渡り更なる装備の充実が図られた。1.3Lのベース・モデルには可倒式前席、ドア・ポケット、鍵付きの給油口の蓋、時計が追加された。Lモデルには布張りのドア内装、内装材の向上、運転手席側サイドミラーのリモート調整機能が付き、1.6Lには5速MTが装備された。1.3HLEには5速目がオーバードライブの5速「4+E」MT、サイド・モールディング、ツイード製内装と助手席側サイドミラーのリモート調整機能が付いた。HLSと1.6オートマチックにはティンテッド・ガラス、集中ロック機構、前席パワーウインドウ、ヴェロア製内装と上級ラジオ/カセットプレイヤーが備えられた。MG・マエストロは115英馬力(86kW)版の電子式燃料噴射装置付の2L O-シリーズ(O-Series)エンジン、高性能サスペンション、前輪ベンチレーテッド・ディスクブレーキ、専用ボディ塗装、ティンテッド・ガラス、集中ロック機構、革巻きハンドルを装備していた。

同じく1984年10月には既存のマエストロのモデルのLとHLEの間に入る「1.3HL」と「1.6HL」が追加された。

1985年8月には「1.3シティ」(1.3 City )と「1.3シティX」が登場した。1.3シティは以前の1.3のベース・モデルに似ており、1.3シティXはこれにカーペット、布張り内装、ヘッドレスト、後部パーセルシェルフ、ラジオ、手動操作式チョーク弁が追加されていた。これらのモデルはプラスチック製バンパーではなく、マエストロ バンのように普通の鋼製バンパーの端部にプラスチック製のカバーがつけられたものを使用していた。

後期型バンデン・プラ版の内装

元々のダッシュボードは複数の部品で構成されており貧弱で軋み音を立てやすいという評判であったため、1986年2月により一般的な構造のモンテゴのダッシュボードに替えられた。同時にもっと細かな装備品が全モデルに渡って改善された。シティXにはドアポケットと後部ウインドウのワイパーとウォッシャーが、LとLEにはツイード製内装が、HLとオートマチックにはヴェロア製内装と加飾が加えられた。バンデン・プラには一部革製の内装と上級のカーオーディオが装備された。

1986年にBLがブリティッシュ・エアロスペースに身売りされると1987年と1988年モデルではオースチンのバッジが廃止され、シリーズ全体の販売は前年から導入された騒々しいが経済性の高い自然吸気のパーキンス(Perkins)製ディーゼルエンジン搭載モデルに支えられた。しかし、ターボチャージャーなしのこのモデルはかなり遅い車であった。

1992年にモンテゴに搭載されていた81英馬力(60kW)の高回転型パーキンス社製ターボ・ディーゼルのモデルが導入されたが、今や(ローバー・200/400導入後の)マエストロのシリーズはクラブマン(Clubman )とDLXへと減らされた。このターボエンジン搭載型は、燃費性能を落とすことなく性能と同時に洗練度をも改善されていた。この車は非常に価格競争力もあり、より小型のローバー・メトロプジョー・205の非ターボ・モデルと同価格帯であった。その他唯一のオプションで設定されたエンジンは旧式な1,300ccのA-シリーズであった。

1993年の『ワット・カー?』誌(What Car?)のバイヤーズガイド記事にはこう記された。「確かにこの車は古臭いが現在非常に廉価でもある。騒々しいことはご承知の通りだが、経済性が高く驚くほど速いターボディーゼルエンジンがこの広い車室の車を走らせ続ける。」

更に同じく1993年にオートモビル・アソシエーション(The Automobile Association)がターボディーゼルをロ-ドテストにかけ、こう判定した。「自分が最新の流行に明るいことを示そうとしてマエストロ ディーゼルを買おうという気になることは難しいであろう。見回せばローバー・218/418 ディーゼルの方がかなり良い候補である。しかし車のことに無関心な同乗者は後席が気に入るであろうし、その一方でドライバーはガソリンスタンドに立ち寄らなければならない回数の少なさを楽しむことができる。この車こそがイメージよりも真剣に内容の方を重視する人向けのハッチバック車であり、しかも価格はほとんどの競合車よりも数千ポンド安い(比較表を参照)し、最初の給油機にたどり着く前に既に節約できている。ギアチェンジを厭わないならば、この気取ったところのないマエストロ ターボディーゼルを競争力のある価格で買うことは、かなり失敗することのない買い物である。」

1995年9月にこの車の生産はコンプリート・ノックダウン(CKD)キットという形でブルガリアヴァルナに移転された。部品の輸入コストの高騰と需要がほとんどなかったために約2,000台を生産して1996年4月に会社(Rodacar AD)は生産を停止した。生産されたマエストロの大部分は、英国を含む諸外国へ輸出された。これらの中の少数がベリー・セント・エドマンズ(Bury St Edmunds)のアップル2000(Apple 2000 Ltd. )により販売され、「N」で始まるナンバープレートで登録された。

1997年にヘレフォードシャー、レッドベリー(Ledbury)のパークウェイ・サービシズ(Parkway Services )が621台のCKDキットのマエストロとそのバンを一括購入した。パークウェイ・サービシズはこれを組み立て、そのほとんどをローバーから供給された部品を使用して右ハンドル仕様に変更した。自動車保険用全国データベース(The National Database for Motoring Insurance )には「R」から「51」までのナンバープレートで登録された車が記録されている。つまり、英国内でマエストロが新車で購入できた期間が1983年から2001年までであったことを示している。

その後生産設備は中国第一汽車(FAW)に売却され、中国市場ではハッチバックとバンのマエストロが販売された。ハッチバックのマエストロにはモンテゴの顔回りを取り付けられ「一汽陸豹・CA6410」となった。この車が生産されている間に少量の中国生産部品が英国に輸入された。

MG版[編集]

MG・マエストロ

MG・マエストロ 1600 (1983–1984)[編集]

技術陣の意見に抗して1983年初めに性急に量産に向かっていた頃、初めのMG・マエストロは開発中であった。1,600ccのR-シリーズ エンジンは回転が荒く、温感時の始動が困難であり、そのウェーバー製連装キャブレターSUキャブレターに慣れたディーラーの工場では調整できなかった。R-シリーズ エンジンは、EFiが導入された1984年10月まで生産された短命のS-シリーズ エンジンに代替された。信頼性に問題があったにもかかわらず1万5,000台以上のMG・マエストロ1600が生産された。

MG・マエストロ2.0EFi (1984–1991年)[編集]

短期間休止した後でMG・マエストロは、前モデルよりもかなり性能が向上した燃料噴射装置付き2,000ccエンジンを搭載して再発売された。操縦性と性能は良好で、オースチン・ローバーは初めてゴルフ GTIエスコート XR3iの真の好敵手となる車を持つこととなった。

このモデルは1990年代初めにロンドン警視庁により緊急即応/巡回用車としての評価が行われたが、最終的には信頼性と経済性の理由から主力車種としてはフォード・シエラの2,000ccエンジン車が選定された[要出典]

MG・マエストロ ターボ (1989–1991)[編集]

ローバー・グループとなる僅か数カ月前の限定車(500台と5台の広報車)のMG・マエストロ ターボ(発売は1989年初め)がオースチン・ローバーから販売された最後の車であった。この車は2,000ccエンジンを使用していたが、キャブレターとターボチャージャーの組み合わせにより最高速度はほぼ130mph(約210km/h)で、0–60mphの加速は6.7秒であった。これは大部分の競合車よりも速かったが、ティックフォード(Tickford)が設計したボディキットと軽合金ホイールを纏ったこの高性能車は、この車がマエストロであるという事実を覆い隠すことはほとんどしていなかった。マエストロが発売されてから6年も経ていたことから、販売は低調であった。

MG・マエストロの生産はローバーが新らしい200と400に専念することにした1991年に終了したが、標準のマエストロの生産は1994年12月まで続いた。

終焉と「再生」[編集]

1993年にローバー・600が登場するとマエストロ/モンテゴの生産ラインの閉鎖が目前となってきたが、1994年までCKDキットの形態で少量の生産が続けられた。BMWがローバーを買収するやいなや在庫部品は早々に生産に回された。

1994年にローバーは、英国から輸出したCKDキットを使用してヴァルナの新工場でマエストロを生産するためにブルガリアの企業との合弁事業としてロダカー(Rodacar )を設立した。1995年7月に生産が開始され、1996年4月に工場が閉鎖されるまで2,200台が生産された。この合弁事業の失敗は、他車との競合とブルガリア政府が輸入部品の関税の減免と政府省庁による数千台のマエストロの購入に関する紳士協定を反故にしたためであった[1]ウルグアイへの550台、アルゼンチンへの400台、マケドニア共和国への200台を含む約1,700台のロダカー製マエストロが輸出された [2]

英国の2つのディーラー、レッドベリーのパークウェイ・サービシズとベリー・セント・エドマンズのアップル2000が販売されなかったマエストロをブルガリアから購入し、右ハンドル仕様に改装して英国内で販売した[3]。詳しくは上記の「その後の開発」を参照。

マエストロとモンテゴの治具は、その後中国の頤中(Etsong)が購入し、ハッチバックとバンにトヨタ製エンジンを搭載して発売した[4]。2003年に権利が第一汽車(FAW)に譲渡され、モンテゴの顔回りを付けたマエストロを陸豹・QE6410(Lubao CA 6410)、バンを解放・CA6440 UA(Jiefang CA 6440 UA)として発売した[5][6]。2008年にFAWから治具を購入した四川汽車工業集団(Sichuan Auto Industry Group Company Ltd)がマエストロ バンを野馬・SQJ6450(Yema SQJ6450)として再発売した。

評判[編集]

マエストロはその広く実用的な車室、競争力のある提示価格、経済性の高さ、良好な乗り心地と操縦性のおかげで60万台以上が販売されたが、フォード・エスコートボクスホール・アストラVauxhall Astra)の成功に対抗することはできなかった。同社製の似通った大きさ(しかし、より上級の)のホンダ車を基にしたローバー・200 シリーズがこの時期の英国における最強販売車種の1台であったという事実が、会社を消滅に導くことになったといわれる開発とブランド戦略の混乱ぶりを物語っている。

『オートエクスプレス』誌(Auto Express)が2006年8月に実施した調査によると、マエストロは過去30年の英国で最も多くがスクラップにされた車の第9位であり、英国内で今なお稼働状態にあるのは僅か1万1,574台でしかない。

多くのマエストロが錆、腐食、機械的な問題があるといわれたが、これは同じ頃に設計された多くの車に当てはまることであった。1989年以前のほとんどのBL車と同様にマエストロは、シリンダーヘッドの交換(シリンダーヘッドの再加工)をするかガソリン添加剤を使用しなければ無鉛ガソリンで走らせることはできない。FBHVC (Federation of British Historic Vehicle Clubs)がテストしたところ有鉛ガソリンを添加剤で代替するとリッター当たり数ペンスしかかからないことが分かった[7]。これに当てはまらないのは1994年以降のO-シリーズ エンジンで、このエンジンは充分丈夫な排気バルブとバルブシートを備えていた。

バン モデルのテールライトは1998年までランドローバー・ディスカバリーのシリーズ1に使用されていた。

モデル[編集]

キャンパーバンの改装車。このキャンパーバンと基本ボディを共用するマエストロの多くの商用車(バン)版が小型の埋め込み型ヘッドライトを備えていた。
キャンパーバンはランドローバー・ディスカバリーのテールライトを使用していた。

エンジン[編集]

  • 1983年-1993年 - 1,275cc A-シリーズ L4, 68英馬力(51kW)/5,800rpm、75 ft•lbf(102Nm)/3,500rpm
  • 1983年-1985年 - 1,275cc A-シリーズ L4, 64英馬力(48kW)/5,500rpm、73 ft•lbf(99Nm)/3,500rpm HLE
  • 1983年-1984年7月 - 1,598cc R-シリーズ L4, 81英馬力(60kW)/5,500 rpm、91lbft(123Nm)/3,500rpm
  • 1983年-1984年7月 - 1,598cc R-シリーズ L4, 103英馬力(77kW)/6,000rpm、100lbft(140Nm)/4,000rpm MG
  • 1984年-1993年 - 1,598cc S-シリーズ L4, 85英馬力(63kW)/5,600rpm、97lbft(132Nm)/3,500rpm
  • 1984年7月-1984年10月 - 1,598cc S-シリーズ L4, 103英馬力(77kW)/6,000rpm MG
  • 1984年-1992年 - 1,994cc O-シリーズ L4, 115英馬力(86kW) MG EFiと2.0i
  • 1988年-1990年 - 1,994cc O-シリーズ L4, 152英馬力(113kW) MG ターボ
  • 1990年-1992年 - 1,994cc オースチン/ローバー MDi - パーキンス・プリマNA L4, 62英馬力(46kW)
  • 1992年-1994年 - 1,994cc オースチン/ローバー MDi - パーキンス・プリマTD L4, 81英馬力(60kW)/4,500rpm、116lbft(157Nm)/2,500rpm

試作車の中には 1,800ccのガソリンエンジンやフォルクスワ-ゲン製の 1,900ccディーゼルエンジンを搭載したものもあったが、これらが使用されることはなかった。

グレード[編集]

マエストロには以下のグレードがある。

  • ベース(Base 、1983年–1985年)
  • L(1983年–1990年)
  • LE(1986年–1988年)
  • HL(1984年–1987年)
  • HLE(1983年–1985年)
  • HLS(1983年–1986年)
  • LX(1990年–1993年)
  • シティ(City 、1985年–1988年)
  • シティX(City X 、1985年–1988年)
  • スペシャル(Special 、1988年–1990年)
  • クラブマン(Clubman 、1990–1994年)
  • SL (1988年–1990年)
  • メイフェア(Mayfair 、1986年–1988年)
  • バンデン・プラ(Vanden Plas 、1983年–1988年)

中国生産[編集]

英国でのマエストロの生産が終了してから4年後の1998年中国タバコ会社の頤中(Etsong )がこの車の生産設備と知的財産権を買い取った。2000年青島の特別製造工場で「頤中陸豹・QE6400 ルビー」(Etsong Lubao QE6400 Ruby )と「頤中陸豹・QE6440 レアード」(Etsong Lubao QE6440 Laird )の2車種の生産が始まった。QE6400はモンテゴの顔周りを付けたマエストロのハッチバック・ボディ車で、QE6440はパネルバンであった。両車共にトヨタ製のエンジンとトランスミッションを使用していた。

2003年に頤中は自動車製造から撤退し、陸豹工場(Lubao factory )を中国で最大の自動車製造業者の一つである第一汽車(FAW)に売却した。FAWはQE6440 バンの生産は止めたが、2007年時点でハッチバック車は「一汽陸豹・CA6410」(FAW Lubao CA6410 )として販売を続けている。

出典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Timothy Whisler (1999). The British Motor Industry, 1945-94: A Case Study in Industrial Decline. Oxford: Oxford Univ. Press. ISBN 0-19-829074-8. 
  2. ^ “First Impressions: Austin Maestro”. Which?: back page. (June 1983). 
  3. ^ “Austin Maestro”. Which?: 44–46. (January 1984). 

外部リンク[編集]