紀元前393年

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紀元前393年(きげんぜん393ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「ポプリコラとコルネリウスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元361年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前393年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

ギリシア[編集]

マケドニア王国[編集]

エジプト[編集]

  • ネフアアルド1世が死去し、後継にネフアアルド1世の息子ムティス (Muthis) を推す一派とプサムティスを推す一派が争った。この争いにはプサムティスが勝ったが、その統治はこの年のうちに終わりを告げた。
  • ハコルは、第29王朝開祖ネフアアルド1世の孫であると自称し、プサムティスから王座を奪い取った。

中国[編集]

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

関連項目[編集]