紀元前313年

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紀元前313年(きげんぜん313ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「クルソルとブルトゥスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元441年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前313年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

エジプト[編集]

ギリシア[編集]

  • マケドニア王国の支配に抵抗し、エピロス市民は前王のアイアキデスを呼び戻した。カッサンドロスはすぐに、アエトリアを侵攻中の弟ピリッポスの率いる軍を向かわせた。ピリッポスはアイアキデスを破り、アイアキデスと残った軍勢は、アエトリア軍に加わった。2度目の戦いが行われ、ピリッポスが再び勝利し、アイアキデスは殺害された。残ったアエトリアの軍勢は、周囲の山の中に避難した。

中国[編集]

  • 樗里疾を攻撃し、藺を陥落させ、趙将の荘豹を捕らえた。
  • 秦の恵文王を攻撃しようと、斉との同盟を破らせるべく、張儀を楚に派遣した。張儀は楚が斉との同盟を破棄すれば、商・於の地600里四方を献上すると、楚の懐王に約束した。懐王が斉との同盟を破棄して、商・於の地を受け取りに行かせると、張儀は言を左右にして、与えようとしなかった。怒った懐王は屈匄を将軍として秦に侵攻させた。

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

関連項目[編集]